蒲 信一/靖国参拝違憲訴訟の会・東京 原告団長/軍国日本の本質/06/05/30
蒲 信一/靖国参拝違憲訴訟の会・東京 原告団長
私は1953年生まれである。朝鮮戦争が終結した年に生まれた。だから戦争を知らない世代である。父は元海軍大尉、母は旧満州の出身である。両親から戦前・戦後の話をよく聞かされて育った。
私の戦争観が一変したのは、浄土真宗の僧侶の資格を取得する過程で、靖国問題を学ぶようになってからである。私の恩師が、真宗信仰と靖国信仰との混同を厳密に指摘されてから、靖国信仰が極めて巧妙な戦争賛美の装置であることに気がつき始めた。靖国の本質、それは究極の国家カルトであり、戦争を生み出す暴力思想であった。
私はアジアの人々と日本の国民は、ともに被害者だと思っている。民主主義国家であれば、当然国民にも責任はあるが、当時は軍事独裁政権である。反戦を唱えることなどできない状況で、日本国民は赤紙一枚によって否応なく戦地へ駆り出され、「義は泰山より重く、命は鴻毛よりも軽しとせよ」と、命の消耗を強いられた。つまり軍国日本は内外の民衆の命を、武器と使役の対象としてしか見ていなかったのである。その中心にあるのは、すさまじい差別主義と暴力であった。
これまでの反戦運動の論調は、あくまでもアジア諸国の被害の上に立ったものだった。もちろんそれを否定するものではない。被害国民の心に思いを馳せずに、どうして反戦を訴えることができよう。
ただ、戦死者とその遺族の苦悩を受け止めてこなかったことで、かえって靖国思想に復活のチャンスを与えていなかっただろうか。一銭五厘の招集令状で戦地に送られ、非業の死を遂げた兵士の遺族のやりきれぬ思いを、彼らは巧みに取り込んで、日本遺族会という強固な靖国信者団体を形成したのである。そして戦死者は再び霊の軍人として、軍国日本の鎮護の役を担わされている。そこに退役はない。永遠に守り続けなければならない。
戦死者たちに、靖国の英霊という「霊の軍人」を退役してもらい、速やかにそれぞれの魂のふるさとに帰っていただきたいと、私は心から願うものである。