北村 肇/「金曜日」編集長/考えよう、動こう,闘おう、前進しよう/06/05/31
北村 肇(「金曜日」編集長)
ポカポカと自分で自分の頭を殴りたくなる。
三十年以上、ジャーナリズムの現場に身を置き、毎日新聞労働組合、新聞労連の委員長も務めていながら、一体、お前は何を見て、何をしてきたのか―。
「憲法改悪」の動きが加速し、『週刊金曜日』も一貫して護憲キャンペーンを展開している。だが、はっきり言って遅すぎる。ガンの芽は、発症の十数年前にできていると言われるが、国家権力の奸計は、はるか以前から始まっていたのだ。
中曽根元首相が『月刊文芸春秋』の昨年十二月号で、こう書いている。
「基本線、本命は池田内閣以来棚上げしている憲法改正です。立党五十周年式典でいよいよ自民党の憲法改正最終草案が示される。将来日本に静かな革命を起こし、いずれ明治憲法、昭和憲法、平成憲法と受け継がれて、五年後位に第三維新を引き起こす原動力になります」
中曽根氏の宿願は、まさしく「保守革命」なのである。それはつまり、一九四五年以前の日本に戻すことにほかならない。「天皇制」、「国体」、「愛国」へと大きく舵を切る、いやもはやカーブではない、根本的大変革を目論んできたのだ。
「主権在民」の戦後日本から、「主権在国」の大日本帝国に戻すためには、どうしても「憲法改悪」が欠かせない。そのためには、権力を批判する組織・団体をつぶさなくてはならない。そう考えた国家権力は、着実に手を打ってきたのである。
むろん、私たちはこれらの動きに対し、それぞれ反対運動を展開してきた。だが、権力側が狙う「保守革命」の全貌に気づいていたかと問われれば、明確に肯くことはできない。私自身、ジャーナリストとして失格と言われても、返す言葉がない。
さらに注意を必要とするのは、中曽根氏のような“保守本流”とは別の流れが存在することだ。それは「米国属国を背景にした保守革命」である。
中曽根氏が夢にまで見た「国体尊重の憲法前文」は、小泉首相の鶴の一声でボツになった。その代わりに前文に盛り込まれたのは、国際協調に名を借りた「米国との軍事的つながりの強化」であった。そして、小泉・竹中ラインもまた、中曽根氏と同様、「主権在国」を目指していることに変わりはない。米国の言いなりになり、米国を肥え太らせることを目指し、新自由主義を導入し格差社会をつくるためには、「うるさい政党や組織は邪魔」だからだ。
このような状況のもとで、真に憲法を守るためには、小選挙区制から共謀罪にいたるまで、網の目のように張り巡らされた保守革命の陰謀をすべてうち砕かなくてはならない。冒頭に「遅すぎる」と書いたのは、事態がそこまで深刻化している現状をまず認識しなくてはならないと思うからだ。
しかし、あきらめるわけにはいかない。戦後民主主義は、無数の「国家の犠牲者」によって生まれた。そのことに思いをいたすとき、なんとしても「平和、人権、主権在民」が高らかに謳われた憲法を、われわれ市民の手で守らなくてはならない。
考えよう、動こう、闘おう、前進しよう。そう、自分に言い聞かそう。
そして、考え、動き、闘い、前進する姿を周りの人に見てもらおう。
そうやって、一人でも仲間を増やそう。
たくさんの人に考え、動き、闘い、前進してもらうためには、まず自分から始めなくてはならない。
しんどい。でも、「平和や民主主義を守る闘い」は結構、楽しいことだ。生き甲斐のあることだ。違いますか?