近田洋一/元琉球新報・埼玉新聞記者/新たな日米軍事同盟― 沖縄から見た米軍再編ー/06/05/31

 


 

           新たな日米軍事同盟― 沖縄から見た米軍再編ー

                           近田洋一(元琉球新報・埼玉新聞記者

■5・15(ゴー、イチ、ゴー)

5月15日を沖縄ではこう呼んでいる。1972年5月15日、沖縄は戦後27年に及ぶ米軍事支配から脱して、日本に復帰した。県民はもちろんだが、僕には記者として特別な思いがある。今から34年前のこの日付琉球新報1面を担当した。縦・横ぶち抜きでこういう見だしを付けた。

■「いま祖国に帰る」「変わらぬ基地 続く苦悩」

昨年、長年連れ添った妻が病気で急逝した。奇しくも5月15日だった。埼玉から遺骨を抱いて郷里の石川市(現うるま市)に帰った。19日に葬儀を済ませた後、翌20日、琉球新報の記者時代、かつて僕の取材エリアだったキャンプシュワブのある辺野古を訪ね、取材した。普天間基地に代わるものとして沖合にヘリポートを建設する。これを巡る攻防が続いていた。ちっとも変わらない。見出し、そのものではないか!

辺野古集落の反対側、大浦湾にも回り込み、写真を撮り、スケッチした。ここに至る国道331号線沿いは復帰以前、ノンストップエリア・写真撮影禁止。これを侵したとして取材中、拘束され、基地内で尋問されたことがある。フィルムは抜き取られた。そんな思い出のある場所だった。

 

■沿岸案

埼玉に帰った。「あれだけ強い反対があるのだから、海上ヘリ基地建設は無理だろう」。僕はいささか楽観していた。ところが、直後に日米安保協議会(2プラス2)で「中間報告」なるものが合意された、という。内容を見て仰天した。これまでの沖合案を諦め、辺野古基地・キャンプシュワブの地上部分と接続して沿岸を埋め立てる。滑走路は辺野古崎から大浦湾へと延びる。それだけはない。ヘリの格納庫や貨物積み下ろしのスペースを確保するために、滑走路沿いも埋め立てる。一度は日米間で検討されたが、集落に近く、危険な上、ジュゴン他貴重な動植物の生息域を荒らす、として廃棄された「案」だった。地元を無視した頭越しの「合意」に沖縄は猛反発した。危険回避のために、と言って出てきたのが離着陸時に集落を避ける「V字型」滑走路案。防衛施設庁の説明によると、ヘリは海上を旋回し、集落は避けられるという。こんなもの沖縄では誰も信じていない。風向きによって旋回路はどうにでも変わる。現に普天間基地では定められた飛行空域はあってなきがごとしだ。

1959年6月30日に僕の母校でもある石川市(当時)宮森小学校に米軍のジェット機が墜落、児童14人を含む17人が死んだ。嘉手納基地から飛び立ったジェット機が直後にエンジントラブルを起こし、乗員はパラシュートで脱出、操縦者を失った同機は規定空域外市街地のど真ん中に突っ込んだ。あれから何回、どれだけの事故が起きているのか。辺野古ヘリ基地着工を急がせる契機となった沖縄国際大学へのヘリ墜落も宮森事故の延長線上にある。

事故直後の米軍の対応も変わらない。沖国大では墜落現場にロープを張り、米軍は立ち入りを一切排除した。宮森小学校のとき僕はコザ市にあった勤務先の琉球新報中部支局に向かうため、家を出た直後で、ただならぬ気配に急遽引き返した。メディアでは最も早く現場に駆けつけた。既に米軍が到着、学校周辺にロープが張られ、米兵がカービン銃を構えていた。制止を振り切って校内に飛び込んだ。背後でガシャっと銃を装填する音を聞いた。瞬間「撃たれる!」と思ったが僕は生きていて、写真を撮り続けた。米軍が真っ先にやっていたのは重要な軍事機密である機体の回収。救助は二の次だった。いのちなんかどうなろうが構わない。基地は戦場なのだ。僕はしたたかに教えてもらった。

 

■秘密のヴェール

いつの時代もそうだが、戦争は秘密のヴェールで覆われている。キャンプシュワブがそうだ。海兵隊基地で戦車や水陸両用車等を使った訓練、最近はヘリからロープをつるして下降する都市型戦闘訓練も行われている。山岳部分は弾薬倉庫。隣接する宜野座村、日本最大の米海兵隊基地・キャンプハンセン(金武町)とつながり、米軍は一帯をCTA(セントラル・トレーニング・エリア)と呼んでいる。僕がとっ捕まったのは辺野古弾薬倉庫を背にして、国道から直下に大浦湾を見渡せる場所だった。覆土式弾薬庫は二重三重にフェンスが張り巡らされ、ウシやヤギなどが放牧されていた。核兵器から漏れる放射能や化学物質を探知するためだ。軍事上の常識だ。

キャンプシュワブに核弾頭ミサイルを搭載できる原子力潜水艦が出入りしている、と噂されていた。実際に航空写真で見るとくっきり深みのある色で分かる。大浦湾は基地に添うように水深約20メートルの海溝が入り込んでいる。

目撃情報はないが、深夜こっそり舟艇を使って原潜に核弾頭を積み込むくらいのことは可能だ。1972年5月15日の復帰の際に、日米両政府で交わした「基地及び区域の使用条件について」(5・15メモ)によると、一帯は「復帰前と同じように使用する」とされている。

そして復帰後の1981年。政府はキャンプシュワブに核、化学兵器を扱う第三海兵役務支援群第三補給大隊弾薬中隊第一分遣隊が駐屯していることを初めて認めた。現在はどうか。米国は核に関する情報は明かさない方針で、政府も関知していない、というスタンスだ。非核3原則のひとつ、持ち込み禁止(搭載艦船の寄港を含む)が既に破られていたことは、日米政府高官の発言で知られていることだ。

今回の沿岸案はどうか。日米政府の妥協案のように見せかけているが、原型は復帰前の1966年に米軍が作った大浦湾埋め立てによる軍港建設計画とぴったり重なる。L字型に滑走路を組み込んでいるところまで。米軍が欲しくて欲しくてたまらなかった施設だ。滑走路は1800メートルで普天間基地の1500メートルより長い。次期配備を目指している最新垂直離着陸ヘリ・MV22オスプレイも利用できる。高速飛行、空中給油も可能だ。その気になれば、空中給油を受けながらイラクにだって直接出撃することができる。これらの機能を総合すると普天間基地の代替と言いながら、面積や機能を数値にすると約4倍の新しい基地を米軍は手にすることができる。しかもタダで!

 

■基地縮小の大ウソ

米英軍によるイラク侵攻の口実として挙げられた「核攻撃による差し迫った危機」」「アルカイダとのつながり」が大ウソであったことは世界中が知っている。ブッシュもブレアも「あれはなかった」と渋々認めている。だが「フセインを倒したのだから正しかった」と居直っている。こんな子ども騙しにいつまでも国民がついてくるはずはない。案の定ご両人とも人気がた落ち。同盟軍は次々と撤退、米国が頼りとするのは今や日本しかない。米軍再編成はこうした流れの中で進行している。

沖縄の基地は縮小され、負担は軽減されるのか。キャンプシュワブで見た通り、答えは「ノー」だ。今回、沖縄の基地負担軽減を実現するために返還が合意されたとする6施設は過去にすべて約束済みのものだ。目新しいのは一つもなく、中古品を新製品と偽り、一括販売するような目くらましの詐欺行為に等しい。代わって、米軍は新たな軍港を作ったり、キャンプシュワブのように県北部に基地を集約し、ハイブリッド(高機能)化することで「沖縄の負担増は確実だ」(5月20日付け沖縄タイムス)。

5月26日に開かれた衆院外務委員会で、政府は米軍再編最終報告の「ロードマップ」が実施されても在日米軍基地が占める沖縄基地の面積は75%から(●74%)に、つまり負担軽減は1%に過ぎないことを認めた。(◆基地機能の分散移転で普天間や嘉手納など都市部での騒音や危険は減るかに見える。だが機能の大半は県北部に集中し、この地域の危険が極端に高まる。分散移転する本土自治体としても受け入れがたいことだ。5月19日の衆院外務委員会でさらに重要なことが初めて明らかにされた。政府は「米本土基地からの飛来訓練も排除しない」というのだ。嘉手納基地で常態化している。沖縄県民が求めるのは基地の縮小、廃絶であり、本土の沖縄化ではない。

この分散、移転にも(◆内容の誤魔化しがある)、沖縄の希望を入れた、とされる海兵隊員7000人のグアム移転は司令部要員で、戦場に直結し“殴り込み部隊”の異名を持つ実践部隊はそのまま残る。沖縄は最も恐れていて、欲しくない要員をほぼ恒久的に抱え込み続けることになる。

2兆円とも3兆円とも言われる再編に要するカネは国内分すべてを日本が負担する。あろうことか、グアム(外国)への移転費用まで。「よそのお家の引っ越し費用までどうして出すの?」(朝日・声欄での小学生)。子どもだって騙されない。

 

■狙いは軍事同盟化

周知の通り、日米安保条約には様々な縛りがあるが、(これは主として憲法上の制約によるものだ)対等な2国間の軍事同盟ではない。米軍再編計画の核心となるのは『安保から軍事同盟への格上げ』だ。在沖米軍司令部の一部本土移転、そしてグアム移転は作戦の統合化、世界規模での再編と展開を前提にしている。沖縄から見るとこうなる。

司令部をグアムに置き、実戦部隊が沖縄に残ることは、日米両国の軍事行動をより緊密化し、事実上、一体のものとして組み込まれていく。自衛隊は「軍隊として」振る舞わざるを得なくなる。さらに再編計画では米国領土ではない北マリアナ群島のテニアン、サイパンも組み込んでいく。第二次世界大戦で日本軍の要塞となり、沖縄と同様に多大な犠牲を出したエリアだ。これをそっくりなぞり、再構築することになる。戦力は勿論、当時の幾十倍にも強化され、世界規模での展開が可能となる。単独行動主義を主張してはばからない米国は「世界で最も危険な国」とさえ指摘する声も強まっている。これと行動を共にすることは、とりわけ、かつて日本に侵略されたアジアの国々との緊張を一気に高めることになりかねない。

米軍再編で沖縄県内の自衛隊も大きく変質する。復帰後、沖縄に駐屯することになった自衛隊は巨大な米軍基地の中で息を潜めるかのように生きてきた。日本軍への強い警戒心があることをを恐れていた。例えば、陸上自衛隊の実弾射撃演習場はうるま市に一カ所あるだけだ。射程は25メートルだ!。那覇空港の一部を間借りしている海上自衛隊の訓練場は約90ヘクタールに過ぎない。

在日米軍の再編報告で、自衛隊は世界最大の海兵隊訓練場・キャンプハンセンの基地5100ヘクタールを共同使用することが明記された。防衛庁・施設局が沖縄に対してなぜかくも威丈高なのか。回答は密かに進めてきたこの協議にある。再編計画でお墨付きをもらい、今後は公然とキャンプハンセン訓練場に実弾を撃ち込むことができる。射程は25メートルでなく、米軍同様に、基地外の民有地まで飛び出しても構わないのだ。何しろ共同使用、合同訓練なのだから。誰が撃った玉なのか区別のつけようもない。

 

■憲法・メディア

以上の再編を巡る沖縄の現地事情は本土メディアで殆ど伝えられないか、誤ったイメージでしか描かれていない。例えば、負担軽減の目玉の一つとされるグアムへの海兵隊一部移動で流される映像は残留する「実践部隊」だ。国民は「危険の一部が除去される」と思いこむ。辺野古ヘリ基地に関しても報道されるのは政府間交渉とせいぜい県知事、地元自治体の反応くらいで、反対運動は伝えられていない。実際にどのような被害が起きているのか、あのアルグレイブ刑務所で起きたような深刻な人権侵害など、雑誌「世界」の特集号を除けば、お目に掛かったことはない。

メディアの怠慢と言うよりも、僕には共犯としか思えない。60年安保闘争当時7社共同声明によって日米安保問題の本質を国民の目の前からそらしてしまった。その呪縛から解放されていない。メディアとして最も大事な権力からの独立と自由を手にしていない。

復帰後34年も変わらず、放置されてきた沖縄は例えてみれば、日米両政府という親からの被虐待児だ。平和憲法を持つ日本へ、という復帰に託した希望はうち砕かれた。そして今、密室に閉じこめられたまま、両親から新たな虐待を受けようとしている。伝えられないのは沖縄だけではない。憲法改悪に対する反対運動、教育基本法改悪に対する反対運動は見事に無視されている。自らよって立つ精神の自由が攻撃されていることにメディアは気付かないのか。よろしい。なら、気付かせよう。どんなにささやかでも権力への抵抗があってこそメディアだと(了)。