岩下俊三/イラク報道がなぜ「カイロ発」 なのか!/06/03/15

 


イラク報道がなぜ「カイロ発」なのか!

岩下俊三(フリージャーナリスト)

1948年生まれ。慶応大学卒、パリ大学在学中から映画制作、BBC、フランス2などでテレビドキュメント制作従事。1985年よりテレビ朝日をベースにニュースステーション、報道特別番組を制作、世界中の紛争地域を取材。大学講師(表現文化論)。

「危険地帯」を取材しない日本の報道機関

 いま、もっともマスメディアが伝えるべきことは何か。それは自国の軍隊の動きである。そして大量破壊兵器と国際テロリストとの関連を「理由」に始まったイラク戦争とはなんだったのかを、しっかりと検証し、報道すべきである。さらにアメリカのイラク攻撃に賛成し、なお「人道復興支援」の名の下に、遠い中東まで軍隊を派遣したのであるから、その内容と「撤退」についてきちんと伝える必要がある。しかし、そのいずれもメディアはできず、政府の説明責任を厳しく追及することもない。そんな当たり前のことが、なぜできないのか?

 新聞報道をみるがいい。イラク報道のほとんどが「カイロ発」なのだ。しかも外国の新聞や通信社に「よれば」の記事である。まして自国の軍隊の動向を、自国の記者が取材できず、政府が「いまはその(撤退をふくめた動向や)時期はいえない」といえば「はい、そうですか」と引き下がる。実際、在日イラク大使館に外務省が手を回しているらしく、ジャーナリストに新規ビザは発行されない。大手メディアは「危険地域」だから直接の取材をオーダーしない。以前からいるNHKなどは米軍に守られた地域から一歩もでない!

はたしてこれでいいのか?自分の目と耳で、そして肌で感じる実態を、国民に知らせなくていいのだろうか。

少なくとも、民主主義と主権在民を標榜する国家にとってもっとも大事なことは、国民に多様な選択肢があるということであり、そのためには、なるべく多くの、しかも正確な情報が与えられていることが前提であることはいうまでもない。ゆえに国民にとって、もっとも不幸なことは、己の信念にもとづく参政権の行使にあたって、判断の基礎となる情報がなんらかの圧力によって塞がれていることであろう。いかなる理由があれ、目と耳を塞がれてしまってはどうすることもできない。まずジャーナリストが「五感」を閉じられてしまっては、もはや言論の根拠を失う。そうすると「発表報道」しかなくなっていくのだが、その「発表」すら「今言うのは適切でない」とされる事態となったら、もうおしまいである。(写真 サマワの自衛隊)

国民の耳と目と口が塞がれた先にあるものは

 我々はいかなる理由があれ、「知る権利」がある。ましてその権利を保障した憲法を変えようという動きが現実のものとなりつつあるなか、なにも知らされないままで偽りの参政権を行使させられるとすれば、それこそやや古い言い回しだが「擬制」というよりほかはない。そしてたいていの場合「いかなる理由」とは歴史的にみてもかなりいかがわしい理由が多いのであって、自分の権益にとって不都合であるとか、知られるとまずい「密約」が潜んでいるから、といった類のものにすぎない。人権を保護するためとか、国民の安全確保のためとか、テロ対策とかあいまいな表向きの「嘘」の理由をつけて「知る」権利を奪っていく先に、なにが待っているのか?もはや、いうまでもない。

 国民の耳と目と口を塞いでいくその先にかならずあるのは「戦争」である。それはあまねく「不幸」そのものであり、言論を塞いだ本人もその家族すらも結局は破滅へと向かわせるものだ。まして無辜の民にあってはこれほど理不尽な死や苦痛はあるまい。

 たまたま僕は、世界の紛争地域をいろいろ歩いてきた。恥ずかしい話だが、その体験でいうと、そうした紛争地域でも、おだやかな空気や風のぬくもりといった「整理されていない言語」のようなものをふと「カンジル」と妙に嬉しくて、はからずも感涙することがしばしばあった。それまで、カラシニコフの乾いた音や、夥しい死体や、泣き叫ぶ子供たちには平然とカメラを回し、マイクを向けていたのにかかわらずである。

もちろん、そうしたことは見なくてすむのならもう見たくない。そして実際、取材ができなくなってきた。しかし、それでも僕は止めない、たとえ「いかなる理由」で制止されても。