小中陽太郎/作家/熱い思いが交差した3月の名古屋での公演
―現体制と対峙する自立したジャーナリストたちが集う― /07/04/06
小中陽太郎(作家)
NHK、民放ともに、マスコミ界がゆれている。そんなとき『一人ひとりのマスコミ』(創森社)を発刊した。人間は記録し、活用する、その実践記録だ。「ヒロシマへの道、ヒロシマからの道」は、2004年8月MIC主催の「核のない世界を!」に参加した記録だが、そこにいたる市民と労働組合との共同の歴史を振り返ったものだ。ついでJCJでの体験から、名古屋での市民と言論実行委員会での成果をまとめた。マスコミを守るのは、ひとりひとりの自覚とそれを大きく包む輪であると思う。
NHKの「裁かれた戦時性暴力」の改変に、政治家の圧力があったことは明らかだが、それを防ぐのは、強い自立心を持った人間の力ではないか。
わたしが考えているのは、活字でも映像でも、音でも、風の中に消えるとみえるジャーナリズムの作品は、そのままにしておけば消える、しかしそれを守る人間がいれば決して消滅することはなく、真実はいつかは明らかになるというものである。ただしそれには、長く粘り強い努力が必要である。
3月17日に名古屋のヤマハホールで「絶滅種テレビを発掘する」と題して、個人で守ってきた映像,」「脱走兵の記者会見」や「実験ドラマ」を紹介し、それをうけて、各界のシンポジウム、最後に、これまで出演してくれた芸術家の実演の3部構成からなる企画が実現できた。愛労連、ヤマハミュージック東海、市民とメディア研究会・あくせすなどの取り組みで、130人の満員の参加者が会場に足を運んでくれた。
シンポジウムは、東京からの中田整一(もとNHKスペシャル部長、「満州国皇帝の秘録」で毎日出版文化賞)は、巨大組織で、それを率いる役員がジャーナリスト精神を失うとどんなにもろく崩壊するか、また今のテレビから志が失せていることをドラマを例に告発した。梨元勝、須藤甚一郎などの芸能レポーターは今のテレビ局が大手プロダクションに従属しているさまを語り、政治プラス暗示構造であることを突いた。須藤は地方政治の馴れ合いもついた。中日新聞編集担当役員佐藤毅は、憲法9条をいまこそ全力で守るべきと訴え、大西文一郎東海テレビプロダクション元社長は、四日市公害の喘息のドキュメントを見せたのち、「あるある大事典U」でもスポンサーが年間50億払う予算が最終制作プロには一本860万円にいたる構造を声を震わせて糾弾した。司会の野田昇司(元NHKアナ)や構成の黒田光太郎(名大教授)、木野秀明(あくせす)の準備が生きたと思う。
会場参加の名大黒田光太郎教授は、これまでのテレビの科学信仰が、「あるある」を止められなかったことを示した。木野秀明は、大木圭之介は、BRCの経験から、伝えたいものを把握する力をもとめた。沖縄密約電文のスクープの関係者である北岡和義は、西山太吉の損害賠償訴訟について、」NHKがただの一回も報じず、これが報道機関かと批判したのである。
第3部は、いかに何でも欲張りすぎたかと思ったが、かつての名優、ダンサー、バレリーナ、合唱団が、守り育てた芸術を披露した。全体のまとめは4月13日5時半からNHK名古屋文化センターで記録上映会をひらくが、桜井均(パネラー、NHK、「テレビは戦争をどう描いてきたか」)の見事なまとめを借りるなら、
「さめたデジタルネットより、やっぱりアナログのミソ煮込みのほうがいい。
雄叫び・雌叫びがほどよく交差(交尾?)して、悲しいほど美しかったです。
絶滅種と断定するより、絶滅危急種ぐらいのほうが傾斜(ニュアンス)があって
いいかもしれませんね。
Conscientious Objectorsという言葉がとつじょ甦りました。ありがとうございました。
東京でも炸裂しましょう。」