小中陽太郎(作家)
すこしでも長くとの願いもむなしく、小田 実さんが亡くなったのが、参院選・自民惨敗の夜。政治的変動の真夜中というのが、いかにも乱世の人小田さんらしいと思った。
小田さんに頼んで書いてもらったテレビドラマを依頼したのは、45年前の秋だった。
四日市の石油コンビナートをロケハンした。ドラマは太陽に輝くコンビナートと土地を奪われる農民を対置したものだった。音楽は、若き天才、高橋悠治さんだった。このドラマの放送後、わたしはフランスに憧れてNHKを辞めた。
オリンピックの翌年、米地上軍がベトナム・ダナンに上陸、小田さんが、鶴見俊輔さんや開高 健に呼びかけた「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)に誘われ、50年経った。わたしも記者会見を何度か仕切り、脱走兵が出てくるとその記録づくりに徹し、当時は街頭でのデモばかりといわれた平和運動をマスコミや普通の市民たちを繋ぐ役目を意識的に自分の持ち場とした。
この7月初旬、小田さんと出会うきっかけとなったテレビドラマのフィルムを作曲の高橋悠治さんと45年ぶりに上映した。高橋さんもピアノを弾いてくれた。小田さんの来場を心待ちしたが思いのほか病状が進んでいた。これは「しんぶん赤旗」に書かせてもらったが、それは現代の世相、国際情勢が当時と似ていると思ったからだ。「米軍再編は当時の安保改定にも匹敵するアジアの軍事的再編であろう。
イラクの宗教的抵抗は、ベトナムの反抗の歴史を思い起こさせる」と(7月4日)。参院選は、政治と金、年金に国民が怒ったからであるのは確かだが、やはり憲法改悪、国民無視の政治姿勢に奮い立ったのである。
この数年マスコミも厳しい批判にさらされてきた。NHKは「問われる戦時・性暴力」で権力の意向を忖度して、軍事慰安婦の部分をカットした。東京高裁からNHKは、国際裁判の主催者に200万円の損害賠償を命ぜられた。民放の「あるある大事典U」では納豆の効果データを捏造した。忖度や捏造などジャーナリズムのイロハである事実・真実を伝える精神はどこへ行ったのか。
そのなかで国民にもテレビ界にも危機意識が強まった。
この8月を振り返っても、8月10,11日、2夜連続の中沢啓治作「はだしのゲン」(フジテレビ)は、反戦の心を持ち、暮らしていた一家を襲うピカドンの恐ろしさをわかりやすく描いた、炎の中に死ぬ父(中井貴一)や弟の天真爛漫な姿、元気に生きるゲン役の小林 廉に笑い、泣いた。
12日夜(日曜)は、水木しげるの「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争〜」(NHK)、漫画と現在とのミックスは、時に作りすぎだが、後半、軍参謀の保身と戦友の死に至ると凄絶極まりない。
再放送では「僕らは玉砕しなかった」(サイパン)、「硫黄島・玉砕戦」など誤った戦争指導者の作戦指導を生還者は語り始めている。
歴史を掘り起こし、それを伝えていくことが、作家やジャーナリストの平和運動の第一である。
時あたかも長崎の少年を撮影した当時米兵のジョン・オダネル氏が亡くなった(85歳)。オダネル氏は原爆投下後の長崎に米軍として進駐、そこに弟を背中におぶって現れた少年を撮影した写真はみなさんも目にされたことがおありだろう。野坂昭如さんの「火垂の墓」そのままである。
この写真は、米兵の検閲で長く発表することができなかった。戦後50年、盛岡のキリスト教「善隣館」の山崎 真館長が、オダネルから見せられ、わが国に紹介したのである。これも尊い平和運動である。オダネル氏も晩年放射能の後遺症に苦しんだ。わたしもいつも講演にはこの写真を持っていって少年少女に見せている。
戦争の記憶は消えるという人もいる。しかし生き残った人の証言や写真、絵によって人間は悲劇を追体験できるはずだ。そこに平和運動の意義もあるだろう。
小田 実の死の直前7月8日、わたしが原作者の小田 実を迎えて演出したテレビドラマを、45年ぶりに上映したのもそんな試みのひとつである。
この夏、元日本共産党中央委員会議長の宮本顕治氏が亡くなられた。二つの思い出がある。全国革新懇を結成され、その世話人会に参加したとき、革新統一について率直に意見を交換した。意見の違いもあったが、革新懇の呼びかけどおり「自由にフランクに」話し合うことができた。
87年の都知事選候補者選びのときも、宮本議長が推薦してくれて、上田耕一郎氏が訪ねてきてくれた。社共の統一はむずかしく、小田 実と対立しそうになり、革新統一の火を消すのが耐えられず、辞退した。心にかかるのは推薦してくれた都職労婦人部(馬込五三子)のみなさんで、大きなお腹で応援に来てくれた人もいた。
20年ぶりにお会いしたら、お腹の子も大学生となり、わたしにゆかりの名前と聞いて感動した。そういうつながりをつくってくれた連帯を大切にしたい。これは名古屋港の港湾労働組合と組んだミュージカルまで繋がっているのだ。
わたしの市民運動は誇るものとてないが、統一と真理だけは守り続けたい。そういう機会を与えてくれた宮本顕治さん、小田 実さんお二人に感謝の気持ちでいっぱいである。