仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(116)
8月15日桜木町で 16/08/19
仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)
忙しさにかまけてブログ更新をさぼっていました。
九条かながわの会は、例年、横浜駅西口高島屋前周辺で「8.15」宣伝・リレートークをしていましたが、
今年から場所を桜木町に移してのとりくみでした。
横浜駅にくらべて、桜木町駅前は観光客の多さが目立つところです。
一般的な戦争の話をするよりもと、伝説の歌手二人の話をしました。
一人は忌野清志郎さんです。若者に人気の人でした。清志郎さんは、地球環境を守ろうと呼びかける「アースデイ」(2005年)に出演し、
歌の合間に語りかけました。「この国の憲法九条を知ってるかい。戦争はしない、戦争に加担しない。愛と平和なんだ。
まるで ジョン・レノンの歌みたいじゃないか」と。
先日の参院選で、改憲勢力は三分の二の議席を獲得してしまいました。若い人たちの多くは「三分の二」の意味を理解しないまま投票した
といわれています。アベ政権は、早くも南スーダンへの駆けつけ警護を発動しそうです。「殺し」「殺される」事態に直面せざるを得なくなるでしょう。
「そんなはずではなかった」と あらためて気づくことになりそうです。
憲法違反の自衛隊の海外派兵は なんとしても止めなければなりません。参院選で見せた市民と野党共闘のとりくみを あらためて構築し直して、大きな運動をさらにすすめようじゃありませんか。清志郎さんも 空の上から見守ってくれているでしょう。
伝説の二人目は美空ひばりさんです。
演歌一筋と思われていたひばりさん。実は、反戦・平和の歌をうたっています。
「一本の鉛筆」です。
1974年8月。第1回広島平和音楽祭で歌いました。「一本の鉛筆があれば、戦争は嫌だと私は書く」「あなたを返せと私は書く」「8月6日の朝と書く」
「人間のいのちと 私は書く」と。
1988年。第15回平和音楽祭で、ひばりさんは再びこの歌をうたいました。健康状態は良くなく、楽屋にベッドを持ち込んでの出演だったといいます。
そのときのひばりさんの言葉。
「昭和12年(1937年)5月29日生まれ。本名加藤和枝。
私は横浜に生まれました。幼かったわたしにもあの戦争の恐ろしさは忘れることができません。
みなさまの中には、尊い肉親を失い、悲しさを乗り越えてこられた方がたくさんいらっしゃることでしょう。
きょうの私の歌が、みなさまの心の、少しでも慰めになりましたら幸せだと思います。
これから二度とあのような恐ろしい戦争が起こらないよう、みなさまとご一緒に祈りたいと思います。茨の道が続こうと、平和のためにわれ歌う」と。
そして歌ったのです。「一本の鉛筆」です。
ひばりさんの言葉にあるように、ひばりさんは横浜大空襲を経験されたのです。
いま、全国空襲被害者連絡協議会のとりくみが進んでいます。被害者のための「特別措置法」が超党派議員連のみなさんの後押しでこの臨時国会から通常国会にかけて議論されることになります。8月13日には、東京・台東区民館大会議室(320人が集まりました)で「舞台は国会へ」集会を成功させました。このとり組みの推移を、ひばりさんも見守っていることでしょう。
ドイツ、イギリス、イタリアなどは、とっくの昔に市民に対する被害補償をしています。やっていないのは日本だけです。
みなさんにも、このとり組みの今後を見守っていてほしい。
8月だけを「平和の月」にしてはなりません。