仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(47) 足利事件と日テレ未解決事件取材班09/06/13
足利事件の再審請求即時抗告審で、 無期懲役刑の執行停止によって、 逮捕から17年ぶりに釈放された菅家利和さんについて、 最高検の伊藤次長検事は10日、 記者会見して、 「検察としては、 真犯人と思われない人を起訴し、 服役させたことは、 大変申し訳ないと思っている」 と述べ、 検察として初めて謝罪した。 再審前に無罪を前提に検察が謝罪するのは極めて異例のことだと思う。
「極めて異例なこと」 がどうして起きたのか。 弁護士の長年にわたる努力の賜物であることはもちろんだが、 ここでは、 日本テレビ報道局社会部の 「未解決事件取材班」 の地道な調査報道活動について触れたい。
日本テレビがこの事件に関わり合うようになったきっかけは、 報道特別番組 『アクション』 (08年1月6日スタート) である。 社会的な問題を取り上げて 「それが1年後にどうなっているか」 を検証するというのが番組企画意図である。 5~6本のテーマの中に、 栃木、 群馬県境20キロ圏内で5つの幼女事件が 「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」 として入っていた。
連続事件と仮定されていた中で、 「なぜか1件だけおかしい」 (取材班キャップ清水潔記者) ことに注目したのが足利事件である。 清水記者と杉本純子レポーターを中心にして調査がはじまることになる。
そのとき、 すでに (01年1月) 出版されていたノンフィクション作家・小林篤さんの 『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』 も参考にされた。 小林さんが書くきっかけになったなったのは、 ある雑誌社の編集者のデスクの上に無造作に置かれていた足利事件の 「控訴趣意書」 である。 このことを書くと長くなるので、 ここでは省略する。
清水記者に会うために、 セキュリティーのきびしい日テレの新社屋にはじめて足を踏み入れた。 小林さんも話していた 「取材班の独自調査は半端じゃなかった」 という言葉通り、 DNAについてのアメリカ取材、 目撃者の取材、 被害者の母親の取材は徹底して行われている。 警察当局の取材拒否にもあっている。
取材結果は、 夕方の 『リアルタイム』、 夜のニュース 『ZERO』、 日曜の特番 『バンキシャ』 で22回放送された。 番組のブログを見たら、 報告は28回に及んでいる。 警察当局は、 「なんだあの番組は」 「おれたちの敵だ」 と言っていたという。
菅家さんとの付き合いは文通 (受刑者とは会えないので) ではじまっている。 信頼関係は着実につくられていった。 釈放された時のマイクロバスの中に清水さんはカメラを持って乗っていた。 テレビ出演は日テレが最初である。
菅家さんは、 「コーヒーを飲みたい。 寿司を食べたい。 カラオケにいきたい」 と。 カラオケでは橋幸夫、 石原祐次郎などの歌をたてつづけに20曲も歌ったとか。 これらのスクープ映像は、 信頼関係なしには成立しない。
テレ朝の 『サンデープロジェクト』 が注目しはじめたのは、 日テレの放送から6ヵ月たってからである。 その他の社は 「冷めていた」 」 。 各社が騒ぎ始めたのは5月。 再鑑定の動きがあってからである。 ぼくが聞いたのはほんの一部だろう。 取材班の苦労はまだまだあるはずである。
日テレは、 「岐阜県警裏金問題」 で一時ミソをつけたことがあったが。 この調査報道で一気に息を吹き返したといえる。 報道の 「劣化」 がいわれているが、 背景には 「事実の検証を怠っている」 「事実から遠ざけられている」 「疑ってかかることをしない」 風潮があるようだ。 「おかしい」 と言い続け、 大きく関心を持たせてくれた取材班に、 こころから拍手を送りたい。