仲築間卓蔵/元日本テレビプロデューサ-/連載「六日のあやめ 十日の菊」(68)

日テレと原発と正力松太郎 11/06/27

 

日テレと原発と正力松太郎

 

仲築間卓蔵 (元日本テレビプロデューサー)

 

 最近は、出身が日本テレビということで、いささか「肩身の狭さ」を感じているのですよ。
  それというのも、日本テレビの創立者(創立は1953年)で、読売新聞社主の正力松太郎氏が1955年、原子力担当国務大臣になり、原子力委員長として原発推進の先導役を担ってきたからです。「プロ野球の父」「テレビの父」と呼ばれた正力氏は、「原子力の父」と呼ばれるようにもなりました。

 日本の「テレビ」も「原子力発電」も、出自はアメリカの世界支配と深く結びついています。
  原発は、アイゼンハワー大統領のアメリカによる世界エネルギー支配を目指した”平和利用”政策に沿ったものでした。
  正力氏は、原発によって日本の共産主義化が防げると考えていたといわれています。
  「このまま貧しさの中に閉じ込められてしまうと、日本は共産化する。生活水準の上昇を拒む諸悪の根源は・・・エネルギー不足問題にあり」「原発が可能になれば、エネルギー不足は解決し、共産化を防ぐこともできるはずだ」とまじめに信じていたと・・・・(内橋克人『日本の原発、どこで間違えたのか』)
  正力氏によってアメリカと「原子力協定」が進んでいきますが、それに抗議して、湯川秀樹博士が原子力委員を辞任していますね。

 テレビの導入も同じ道をたどりました。
  日本にテレビネットワークをつくるきっかけは、カール・ムントというアメリカ上院議員の「台頭する共産主義勢力に対抗するため、ラジオのVOA(ボイス・オブ・アメリカ)をテレビジョン化した”ビジョン・オブ・アメリカ”をドイツと日本に設置せよ」という議会演説だったのです。
  正力松太郎氏とその周辺は、「日本でのテレビネットワークは(アメリカでなく)日本でやる」と進言しています。「計画を日本人みずからやってくれるなら、それが何よりも望ましい(日本テレビ50年史・経営編)」と、ネットワーク構想実現を正力氏に任せることになります。
  当時、正力氏はマッカーサー司令部による「公職追放」の身でしたが、それが解除されます。最近、アメリカの公文書館で正力氏がアメリカ情報局の暗号名で呼ばれていたことが明らかになっていますが、それもうなずけますね。
  テレビ創設のための技術、設備、必要なドルまでも面倒をみてくれたのです。

 日本テレビの正式名称は日本テレビ放送網株式会社です。あまたテレビ局があるなかで、「網」と名のつく局はありません。「網」は反共ネットワークの「網」だといわれる所以はこんなところにあったのですね。「肩身の狭さ」は、そんな経緯が知られてきたからなのですよ。

 だから、日テレが原発問題にどのように向かい合っていくか・・・注目せざるを得ません。
  「電力不足が心配」という原発推進論が聞かれるなかで、「NNNドキュメント’11」(日曜深夜)『原発はなぜ爆発した?』は、安全性を過信してきた東京電力と国の怠慢ぶりを冷静に批判していましたね。「肩身の狭さ」の幾らかは解消しそうです。原発からの撤退に確信をもった報道に期待したい。「頑張れ日テレ!」のきょうこの頃なのです。


 

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