板垣 恭介/元共同通信記者 / 憲法問題を考えるヒント──なぜ僕は『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』(大月書店刊)を書いたのか
07/01/01
9月21日、東京地裁は「東京都教育委員会の日の丸・君が代の強制は、思想・良心の自由を侵害する」という違憲・違法の判決を下した。
東京都が控訴し、上級審での判決の見通しは暗いとはいうものの、おおっぴらに憲法改悪が叫ばれている折から、爽秋の風を思わせる裁判所の判断だった。
この判決を聞いて、1970年7月17日に出された家永教科書裁判での杉本良吉裁判長の「教科書検定は、憲法21条2項で禁止している《検閲》であり、記述内容に介入しているのは、教育基本法10条の《不当な支配の排除》に違反する」という判決を思い出した。
杉本を裁判官官舎にたずねた。教科書裁判で初めての画期的な違憲判断をした杉本は、淡々とした表情で僕を迎えた。
そして「憲法を素直に読んで判決を書けば、ああなるのです。それだけです板垣さん」と、穏やかに、泰然とした口調で語った。いまでも杉本の温顔と、静かな語り口をはっきりと思い出すことができる。
あの時の「素直に憲法を読めば……」という杉本の言葉は、憲法を素直に読まずに、憲法を無視してきた自民党政府への、憲法を守る職務を持つ裁判官としての痛烈な抗議の表明だった。
あれから36年……。《解釈合憲》で、憲法違反の既成事実を積み重ねてきた政治家(自民党員だけでない)たちは、アメリカの圧力もあって、いまや憲法改悪を正義のように語るようになった。
そして今、憲法擁護を主張することは《反動的言論》とされる時代になってしまっている。こうした成り行きに対するマスコミの異議申し立ては、情けないことに声が低い。
「アベシン」というチンピラ総理大臣の語る《集団自衛権の研究》は、またまた《解釈合憲》を積み重ねて、米軍の下請け部隊の《日本軍》に、外国で戦争をさせるためで、殺されるのは、日本の若者たちだ。
しかし不思議なことに、若者たちはこの危機について甚だ鈍感なのである。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」(憲法99条)
2004年10月28日の「秋の園遊会」で、東京都教育委員の将棋元名人米長邦雄が明仁天皇に言った。「私の仕事は日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることでございます」
天皇はすかさずたしなめた。「やはり、強制になるということではないことが望ましい」
この天皇の言葉を「天皇の政治的発言だ」と批判した自民党の国会議員がいた。しかし明仁天皇は、憲法99条に定める「憲法尊重擁護義務」に従ったにすぎない。批判した自民党政治家の憲法についての無知をさらけ出した一幕だった。
もともと憲法というのは、とかく暴走しやすい「権力」に歯止めをかけるためにある。つまり政府・権力者に対する命令なのだ。
「アベシン」の所信表明演説は、こういう歯止めがうっとうしいから、別の憲法をつくるという恐ろしい魂胆が、具体性のない美辞麗句のなかに隠蔽されている。
「憲法は占領中に制定されたもので、既に60年近くが経った」と彼は言う。憲法はファッション雑誌ではない。生鮮食料品の大売出しビラでもない。
「思想・信条の自由」「基本的人権の尊重」は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法97条「基本的人権の本質」)なのだ。
たとえ何年経とうとも、世界のすべての人間が永遠に享受すべき財産であり、《不磨の大典》として大切にしなければならない。これを放棄したら、「世界に開かれた美しい国、日本」を標榜する《アベシン政権》は、アメリカを除く世界中から見放されるだろう。
「アベシン」は、「自由と規律を知る凛(りん)とした国」を教育の再生・改革によって構築するという。日の丸・君が代の強制は、教育現場でさらに厳しく行われることになるだろう。
次に来るのは、《戦争放棄》条項の抹殺である。
憲法改悪論者は、憲法9条の《戦争放棄》は占領軍に無理やり押しつけられたのだと、宣伝している。しかし、これは真っ赤なウソ。
GHQ(占領軍総司令部)の最高司令官マッカーサーは、《戦争放棄》の発想を持ち出したのは、憲法制定時に日本の首相だった幣原(しではら)喜重郎だったことを、米国の委員会で証言している。
憲法制定の過程で、日本側政治家との折衝・陳情の窓口だったGHQの高官たちも、《戦争放棄》についての異議申し立ては、聞いたことがないという記録を残している。
一方、憲法制定国会で「自衛のための戦争も否定するのか?」と質問された吉田茂首相は、「近年の戦争は、多くは国家防衛権の名において行われたことは顕著な事実であります。正当防衛、国家の防衛権による戦争を認めるというご意見のごときは有害無益の議論だ」と格調高く答弁している。
テロ撲滅を《正義の戦い》と規定して、状況をますます悪化させているブッシュ君にも聞かせてやりたい言葉ではないか。
ここに貴重な文章がある。新憲法が施行された1947年5月3日の3カ月後に文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』と題する、中学校の教科書の副読本である。
「こんどの憲法では、日本の国が、決して二度と戦争をしないように、ふたつのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。もう一つは、よその国との争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分のいいぶんを通そうとしないということをきめたのです」
憲法制定直後の各種の世論調査で、国民の80%以上が、《戦争放棄》を歓迎した。
押しつけられたのではない。日本人が自主的な判断で、誇りをもって《非戦・不戦》を誓い、世界中に宣言したのだ。
山口瞳という小説家がいた。彼は《専守防衛》を自称する自衛隊の存在も否定した。要旨、こんな随筆を書いて週刊誌に発表した。
「防衛予算はすべてアフリカの飢える難民に与える。まる裸になった日本はどうする?某国が攻めてきたら滅びればいい。戦争をすることを否定し、平和を愛する日本民族を攻撃する国家があるような世界には生きていたくはない。それが、戦中派の覚悟である」
石原慎太郎という小説家がいた。いま東京都知事をやっている。1960年の安保闘争の際、彼は「若い日本の会」のメンバーで、仲間には開高健や大江健三郎がいた。
彼は弟裕次郎の顔で、日活映画の俳優を安保反対集会に動員をかけ「この集まりに出るのはキミの義務だ」と命令した。その強権的なモノの言い方が頭にきた長門裕之は欠席した。裕次郎は頭をかしげて「兄貴の思想からいうと、安保反対じゃないはずだが」と言った。裕次郎も集会には出なかった。
こんな内緒話を暴露しているルポライター竹中労はこう書いている。
「果たせるかな、安保闘争が挫折すると、石原慎太郎はみごとに《転向》した。自民党の中曽根康弘の知己を得、安保反対から賛成へ180度転向し、しかも保守党公認で政界に打って出るというアクロバットを、大衆の面前で演じてみせた」(『芸能人別帳』ちくま文庫)
その中曽根康弘は、旧制静岡高校に通っていた。後輩の小説家吉行淳之介が、美辞麗句をつらねた中曽根作詞の寮歌がかなり残っていたと証言する。吉行は「巧言令色すくなし仁……あまり信用ができない」という意味のことを対談で語っている。
中曽根はかつて大統領制を唱えた男だ。自民党の憲法改悪論議では「天皇を元首に」と主張したと伝えられる。
「アベシン」の祖父岸信介は東条内閣の大臣をしていて、A級戦犯としてつかまり、こんな和歌を詠んでいる。「名にかへて、みいくさの正しさを、来世までも語り伝へん」
あの戦争は正しかったというのだ。確実に孫に伝承されている。
1960年代の終わり……。宮内庁記者クラブに在籍時代に「天皇と日本人」という連載を企画した。
名古屋大学の憲法学の長谷川正安教授がこう言った。「日本国憲法は主権在民が原則なのに、第1条、第2条から天皇という例外規定があるのだから、現場の先生は学生に教えにくいでしょうな」
たしかにそうだ。天皇は《象徴》という非人間的な言葉で修飾され、世襲でその地位が定められている。つまり、天皇や皇族たちには「職業選択の自由」もなければ、彼らの地位は「国民の総意」という曖昧模糊とした観念で担保されているにすぎない。
企画「天皇と日本人」は好評で、多くの全国の新聞社が掲載してくれたが、天皇と国民を同格に扱ったような題名は自己規制され、「国民の中の天皇」といった無難なものに変えられた。
そのころはもう、歴史の真実をネジ曲げる文部省(当時)による教科書検定が強化されており、中高校ではそもそも平和憲法の精神を教える授業が安楽死されつつあった。
さらにいまや、日本の侵略戦争の実態を見つめ直し、反省しようとする歴史認識は《自虐史観》と攻撃されている。若者たちのほとんどが、憲法については無知であり、あの戦争を正当化し、靖国参拝は若者の風俗現象にさえなっている。
自民党の憲法改悪論議の成り行きを見つめていると、いま日本は戦争へと傾斜して、朝鮮、中国、アジアの民衆を圧殺した、あの歴史をたどっている。
森喜朗元首相の「日本は天皇を中心とする神の国」、中曽根の「天皇を元首に」、政治家・識者たちの「愛国心強調」、「日の丸・君が代」の教育現場での強制、「教育基本法」の改悪などなど、歴史の歯車は完全に逆転を始めている。
はっきり言えば、あれやこれや、すべてが「愛する日本のため、尊い血筋の天皇陛下のために喜んで戦争をする国民を育てる」という方向に進んでいる。
明仁天皇は、《いつか来た道》をたどり始めたこうした日本の状況に深く心を痛めている。《国家のマトマリ》のために憲法でつくりあげられた《象徴》が、その《空洞化》を憂うという皮肉な結果となっているのだ。
だから『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』なのである。
板垣 恭介(いたがき きょうすけ)
1933年生まれ。東京都立小山台高校、早稲田大学政経学部(のち除籍)を経て、1957年共同通信社入社。社会部デスク、警視庁キャップなどを歴任。1993年退職後、早稲田セミナーでマスコミ志望の学生の作文指導にあたり、ラジオ大坂のニュース解説者を務める。現役時代から愛称イタさんで親しまれ、その毒舌、江戸っ子の語り口のような小気味好い文章が評判の名物記者だった。『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか──元宮内庁記者から愛をこめて』(大月書店)で、2006年度日本ジャーナリスト会議JCJ賞を受賞。著書に、『気がつけばあなたも文章の達人』(主婦の友社)、『無頼記者』正・続(マルジュ社)がある。
『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか──元宮内庁記者から愛をこめて』
大月書店刊/46判並製カバー装・定価[本体1200円+税]/2006年1月発行
著者は、共同通信社の元宮内庁記者。1961年に皇室担当となり、当時の皇太子夫妻(現天皇夫妻)にも親しく接し、以後40年以上にわたり皇室ウオッチを続けてきた。本書は、その体験をもとに、現在の天皇制が、人権もプライバシーも認められない天皇家の人びとの「犠牲」の上に成り立っているのではないかと問題提起する。しかもその責任が、象徴天皇制の実態を知ることなしに受け入れている日本国民自身にあるのではないかと指摘する。
これまでの天皇制はいったい何であったのか。これからも将来にわたって残す必要があるのか。皇室典範改正論議は、天皇制そのものについての論議が先ではなかったかと批判する。現行憲法上、天皇家に発言権・拒否権もない以上、われわれ国民が、皇族を自由に、そっとしてあげるべきではないのか。皇室を政治の仕掛けの中に取り込んだり、国のまとまりに利用するのは、もうやめよう。こんな非人間的な制度はもうお終いにしようと呼びかける。