前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)/「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」—歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—09/02/23


全4回連載

 

 

               「自衛隊の『旧軍隊』への回帰と九条の闘いの視点」(3)

 

                 —歯止めなく暴走する自衛隊をどう変えていけるのか—

 

 

                      講師 前田哲男氏(軍事ジャーナリスト・評論家)

 

 

 

■自衛隊の体質からくる問題点

—定着する九条と「日米同盟」路線との乖離—

「新ガイドライン安保」がもたらした新分野

 

 次に、なぜ自衛隊の中からこういう声が次々に起こってくるのか、を少し見てゆきたい。

 

 このあたりは、ここ数年の防衛庁の防衛省昇格(06年)と「米軍再編」(05年合意)、それに至る「新ガイドライン」(97年改定)と「周辺事態法」(99年制定)さらにまた海外出動の数々(インド洋〜イラク)など、ごく最近の動きに属しますからあまり詳しい説明は不要だと思いますが、それらを貫いている情勢の中から、なぜ田母神的なものが噴出するのかということを考えると、二つの違った方向に捻じ曲げられた自衛隊という組織のきしみ、すさみのようなものが浮かびあがってくるのではないか。田母神論文にも、対米不信が見え隠れしています。

 

 旧軍への郷愁が語られる一方で、アメリカに従属し、米軍と一体化する、基地からお金まで、さらに裁判権の不行使というような、一体化というより従属する関係が進行していく。自衛隊員にとって、自分たちの選択ではなくて政治路線によって、自分たちが対米従属に織り込まれていくという大きな外部構造がある。

 

「防衛省昇格」と独善的使命感の台頭

 

 一方で、さきほどのサビーネ・フリューシュトゥックの分析にもあるように「過去を懐かしみ、戦前を美化し、旧軍の伝統を誇りに思う」という意識、民族的な意識がある。さらにそれを「美しい国日本」とか「戦後レジームからの脱却」というような形で鼓吹する政治家もいる。現実はアメリカの傭兵でしかないという環境でありながら、内部にはそれに諾(うべな)えない、それを否定したい心情があり、また煽り立てる声も聞こえる。この引き裂かれた関係は、隊員の深層心理に大きいのではないかという気がするのです。

 

 心理学、精神病理学に「性同一性障害」という概念があります。「身体の器官の性と自己認識としての性とが一致せず、強い違和感や不快感が生活する上での困難になっている状態」と広辞苑にあります。そういう心理状態を性同一性障害といいます。

 

 日本でもそういう人は15万人ぐらいいると言われていますが、自衛隊こそまさにアメリカに従属し傭兵たらざるを得ないという客観的な側面と、いや違う、俺たちは旧日本軍の末裔なんだ、美しい国日本の花なんだというような自己意識に引き裂かれている。実態的に眺めれば、今世紀に入って以降の自衛隊は、海外派遣であれ、対米関係であれ、すべて対米従属をより加速するような方向に進んでいる。そのことは容易に見て取れます。

 

 しかし一方で、そう思いたくない自己意識があり、また安倍さんのような言動をする人がいる。しかし安倍さんが実際の政治で「美しい国日本」路線、「戦後レジームからの脱却」をしたかというと、そうじゃない。だからあの人は神経性の下痢になってしまったのでしょう。矛盾に引き裂かれて体調を崩したと考えるのが一番合理的で、よく理解できるのではないかと思います。そういう性同一性障害的なねじれ現象です。

 

 そのねじれの中に25万人の制服の人々が置かれた状況を考えてみると、同情するわけではありませんが、田母神的な人物が出ても少しも不思議はない風土があると思います。もとより田母神さんのような防衛大学を卒業して、しかも1選抜で昇進してきたエリートの幹部隊員、定年が60ないし62歳までの階層ですから、もうひとつの階層、任期2年ないし3年の隊員を同一にして25万人とくくって論じるわけにはいきません。これら任期制隊員は、いってみれば派遣社員、パート社員という、これまた今我々が直面している問題との関連で論じなければならない面があります。同じねじれも異なる形であらわれてくる。

 

「守屋問題」だけでない組織劣化と隊員意識のすさみ

 

 レジュメに書いたいろいろな不祥事。無断離隊し鹿児島でタクシーの運転手を刺殺した練馬部隊の20歳の陸士長が、相手は「誰でも良かった」と、「土浦・秋葉原事件」と同じようなことをいう。また、胡錦濤国家主席が来日して宮中晩餐会が開かれた時に、自衛隊体育学校のピストルの選手が参議院の議員会館に入ろうとした、その他、護衛艦の中では放火があったりで、隊員の犯罪は一つや二つではなくいくつもあります。また、「江田島の格闘訓練致死」や「護衛艦さわぎり・いじめ自殺」など密室での私的制裁が後を絶たない。

 

 現に裁判になっている「セクハラ、いじめ」だけで5つぐらいあります。札幌・富山・浜松、札幌などです。この間、佐世保での「さわぎり」事件が福岡高裁によっていじめと認定されて慰謝料の請求判決が確定しました。

 

 護衛艦は密室性が二重に高い。自衛隊というそもそも隔離された世界の中で護衛艦は鉄の箱の中で、しかも、海の向こうで二重三重の密室性を持っていますから、なかなか問題が明らかになってきません。出てきても客観的に立証しにくいのです。「さわぎり」の事件は例外中の例外としてそれが立証できた。他は泣き寝入りするしかないというようなわけですから、そうしたものもきちんと取り込んでおかなければならないと思います。

 

 こうした隊員たちのすさみは、大きな立場から見れば田母神問題の中に入るけれども、少し違う論じ方をしないといけないと思います。

 

 それは軍隊の身分制、階級がもたらす独自の環境なんです。正社員とパート、派遣社員、季節工、という分け方をすると少しわかるかもしれません。

 

 ですから自衛隊の体質を論じる時に、丸ごと一つ25万人という言い方をすると少し乱暴ないい方になりますが、そのことを十分に承知した上で大きく見れば、自衛隊という戦闘集団、最大の武器保管機関の存在異議と社会的意識が、引き裂かれている。一方でアメリカの言いなりになるような従属状況を作りながら、もう一方では防衛庁を防衛省に格上げし、その下で、集団的自衛権、外国で戦争をするような権利、実質的な交戦権を与える、そのような答申、「有識者懇談会」の答申が出されました。

 

 今行われているような海外派遣の度ごとに法律を作って、その範囲内で外国に行くというやり方でなく、恒久法という法律を作っておいて、即座にどこにでも行けるような法律をつくろうという動きもあります。

 

 これから問題になるだろうソマリア沖で、海賊が頻繁に出現し、問題を起こしている、その海賊対策に海上自衛隊を派遣すべきであるという動きが出てきています。

 

 このように、自衛隊をどんどん「普通の軍隊」的な使い方をする一方で、その実態は限りなくアメリカの傭兵の役割を押しつけられるにすぎない。一体自分達は何なのだ。政治は我々に何をさせたいのだ、という政治不信です。全面的に同調できないとしても、このねじれ、ゆがみみたいなものを我々は知っておかなければならないと思います。

 

■暴走する自衛隊をどう規制するのか?

 

 田母神的な暴発をさせないためにはどうするのか。こうした状況を、ただ憲法違反、彼らは違憲の存在である、ということだけではなしに、つまり一過性の問題ではなく、文民統制という民主主義のルールの中で、これからも起こりうる問題としてまず捉えることが大切です。その上で自衛隊という憲法上問題のある組織をどうするかという視点から、自衛隊の抱えている内部矛盾を受け止めて、分析し、きちんとおさえておく必要があるだろうと思います。

 

 そうしてみると、組織の劣化と隊員意識のすさみ、と言いましたけれども、冒頭に挙げたさまざまな事象がこの一年の流れの中に、底流としてうごめいているのがわかります。

 

上は守屋問題とか久間元防衛大臣の「原爆はしょうがない」の問題発言があり、下はいじめ、セクハラなどがあります。

 

 自衛隊内のいじめ・セクハラは、パワー・ハラスメントという権力を傘に着た暴力ですから本当に大変です。軍隊という組織は規律と服従の世界ですから、いじめにはパワー・ハラスメントという問題が切り離せないものとして存在します。いま進行中の、やがて最終報告が出される江田島の格闘訓練の死亡事件、やめたいと言った一人の隊員を15人で囲んで、お別れ会だといって死に至らしめたという。訓練と言われているけれども、到底そのようなものではない。もはや「私的制裁」という旧軍用語を使わなければならない。

 

 こうした問題を護憲の側で丹念に拾い上げて調査を行なってきていれば、田母神問題のようなことは起こらなかったのではないか。少々乱暴ないい方かもしれませんが、彼らは違憲の存在だ、彼らの人権など問題にしない、というような見方で自衛隊という人間集団を別世界視していた。そこの中で起こっていることに関して、実態的な分析をしたり、教育や人権の観点から批判するということをしてこなかった。

 

 最大の責任は旧社会党です。いま社民党は一生懸命、調査をやっています。「さわぎり」事件もそうですが、江田島の格闘訓練致死事件では最初に現地に調査団を派遣しました。しかし、最大野党だった社会党時代はそうでなかった。以前からやっていたら違ったかもしれない。それでも遅すぎることはないわけです。いまからでもやっていかなければならない。そうすることによって「自衛隊をどうするか」という視点が生まれてくるし、メッセージがフェンスの向こうの自衛隊員に説得的に受け止められるだろうと思います。自衛隊改革には、隊員の同意、支持が、決定的でないにしても重要すから、彼らが受け入れ納得する呼びかけ、政策提起が必要だろうと思います。

 

 時間があまりありませんから、後半にお話しようと思っていることについて、少々つめてお話します。(つづく)