山田 朗/明治大学文学部教授 /名古屋高裁イラク派兵違憲判決の意義 08/07/11
明治大学教授・山田 朗
2008年6月13日 映画人九条の会での講演
自衛隊のイラクでの活動が違憲(憲法9条1項違反)であるとの判断
その次にこの判決の意義ですが、私は全然法律家ではありませんので、私が何か法律論をいくら言ってもあまり深みがないんですけれども、私にしてみると、この2の自衛隊のイラクでの活動が違憲なんだ、これはつまり戦争加担なんだということをはっきりと認めた、そういう判断をしたということですね。憲法第9条第1項、つまり戦争放棄、いちばん大きな原則ですが、これにそもそも違反しているんだというんですね。これは非常に大きなことですね。
どうしても私たちは、それは大原則だけれども、どちらかというと争うときには第2項、戦力不保持とか交戦権の否認とか、こっちを使って何とか議論しようとするんですけれど、この判決は正面から第9条第1項、戦争放棄に違反しているんだと言うんですね。それを掲げたところが、これはまあ、たいへんな正攻法だと思います。
イラクで2003年以来行われている戦闘は、一貫して国際的な戦闘なんです。何のことかと言いますと、もういったん戦争は終わっているんだという議論なんです、国側は。戦争は終わっていて、国内、イラク国内の問題である。戦闘行為をやっているのも、別にイラク政府じゃなくて一部の武装集団がやっているだけなので、これは戦争じゃないんだ。つまり戦争というのは国と国がやるものであって、現在のイラクの状況というのは戦争じゃない。だから戦争に加担しているわけじゃないんだと、こういう論理になるわけです。
そこをですね──実は今日、映画人九条の会の事務局長さんがたいへんご苦労されて、この判決全文を手に入れて配っていただいていますので、これをずっと読んでいくと多分私の講演時間でも足りないぐらいのことになっちゃうわけですが、これはものすごく細かい事実認定なんです。何年何月何日にこういうことがあったということを、こんなに細かくやって認定しなくてもいいだろうという、それぐらい細かくやっているんですね。
つまり、こういうふうに事実認定をずっと重ねていって、これはやっぱり戦闘であり、なおかつこれは国際的な武力紛争だと。これは戦争が終わって、その後始末段階というのとはちょっと違うぞということを言っているわけです。ですからそれは非常に、何となくそういうふうに思うというんじゃなくて、これはやっぱり裁判ですよね。すごく細かい事実認定を積み重ねていって、それでこれはやっぱり戦争なんだと。それに日本は非常に深く足を踏み込んじゃっているんだ、ということです。
ですからイラクの状態をまずどう認定するかという、そのいちばん根本的なところからやっているんです。その作業は、これは随分膨大なものです。
なぜならば、日本のマスコミはあんまりイラクのことを具体的に報道していないですよね。マスコミにはマスコミの事情があるわけですけれど、これは例の自己責任論というのがありまして、イラクで捕まっちゃった人たちがいて、行っている人の自己責任だ、みたいなことがあって。あのときにけっこうマスコミ各社は、特派員を引き揚げちゃったところが多いんです。フリーのジャーナリストで報道している人は多いんですけれども、情報量としては少ない。大きなマスコミでは、アメリカ経由ではない情報が詳細に出てくるということはあんまりないんです。アメリカ経由の情報というのは、もちろん全部が全部というわけじゃありませんけれど、やっぱりアメリカ寄りの情報というのは多いわけです。
そうしてみますと、これは圧倒的に情報不足なんです。日本のマスコミでもこのイラク戦争についてわりとよく報道しているのは、北海道新聞です。これは最初に派遣された部隊が旭川の部隊で、北海道の部隊だったものですから、北海道新聞はわりと時々特集を組んだりして、よく報道しています。それから東京あたりだと東京新聞ですね。東京新聞の本社は中日新聞ですから、中日新聞もこれをわりと大きく扱っています。
このイラクの実態というのを非常に事細かに調べて、それで法廷でイラクの状況を撮影したDVDとか、そういうのも証拠として見たんだそうです。ですから随分証拠調べを一生懸命やったということがあります。
それからもう一つは、イラクの実態が戦争なんだとは言っても、自衛隊の関与の仕方が武力行使と一体化したものであるかどうかというのは、これまた認定していかなきゃいけないことなんですね。イラクの状態は確かに戦争状態かもしれないけれども、自衛隊の関わり方は別にそういうものじゃない、これは復興人道支援だから、戦争に加担しているということじゃないんだ、というのが国側の主張です。
しかし、実際にアメリカ軍をはじめとした武装兵力を運んでいるということ。それから多分医薬品なんかだろうと思うんですけれども、そういうものを運んでいるということは、実際に自衛隊はドンパチやっているわけではないんですけれど、これは限りなく武力行使を支えているということには間違いないんです。
ここで重要なのは、具体的に何をやっているかという認定と、それからもう一つ、輸送とか補給というのは戦闘行為とどう関係しているのかという、ここなんです。輸送とか補給というのは、実は戦争にとっては不可欠のもの、戦闘行為にとっては不可欠のものなんだということを認定するかどうか。多分私が証人として選ばれたのは、戦争史、戦争の歴史の中で補給とか輸送というのはどういう役割を果たすものなのか、ということを証言してほしかったからだと思います。
考えてみますと、太平洋戦争のときには輸送や補給部隊は、大変な損害を受けたわけです。これは必ずしも軍人だけではないですね。商船の乗組員というのは民間人ですから、この人たちは大変たくさん亡くなっているわけです。ですから補給とか輸送というのは正に、もし相手方に反撃能力さえあれば、第一にそこは狙われるポイントなんです。つまり戦闘部隊を攻撃するよりも、輸送部隊、補給部隊を攻撃して補給を断ってしまえば、最前線の戦闘部隊はその能力を発揮することはできないわけです。
ですから、まさに戦闘力を維持するために輸送、補給は不可欠の条件です。日本軍はいやというほど、それを知ったわけです。日本人はそのことを、いやというほど思い知らされたはずなんですね。だから輸送とか補給というのは戦闘とは別なんだということは、およそ言えないはずなんです。
ところが、その輸送とか補給というのは戦闘行為ではないんだ、だからこれは戦争に踏み込んでいるわけではないんだというのが、このイラク戦争における政府の見解でありまして、輸送、補給と、それから支援ということと、戦闘行為というのを明らかに分けているみたいですね。いや、これは分けられないんですよというふうに考えるのか、いやいや分けられると考えるのかで、全然話が変わってきます。
私はだから歴史的に見て、それは現代戦争になればなるほど、それは分けられないんだと。むしろ現代戦争というのは生産力、補給力、輸送力、これによって逆に決まるような、そういうものなんだということを申し上げたわけです。そういう補給と戦闘との関係について、この判決はその考え方を採用してくれました。
自衛隊のイラクでの活動をイラク特措法違反であるとの判断
3番目が、自衛隊のイラクでの活動をイラク特措法違反であると判断したことです。この判決というのは、オーソドックスな政府寄りの憲法解釈をとっている人でも文句が言えない形になっている。つまり政府の見解をまず基にして、政府の見解からも逸脱しているんだという、こういう論理なんですね。自衛隊が違憲だとか、そういう判断をしているわけじゃなくて、自衛隊を認めたとしても、政府の言うことを全部認めたとしても、それから逸脱しているという、こういう言い方なんですね。
ですから、これはある意味で非常に巧妙な言い方ですね。憲法からも逸脱しているけれども、イラク特措法、イラクに自衛隊を派遣するためのイラク特措法にすら逸脱しているということなんです。
この名古屋高裁の判決というのは、その時点ではもうすでに陸上自衛隊が撤収していますので、ほとんど争点は航空自衛隊の輸送活動に置かれているんです。つまりこれは、航空自衛隊がバグダッドに物資とか人員を輸送しているということなんですけど、そのバグダッドというのは、戦闘地域外なんだというのが政府の見解です。戦闘地域外に輸送しているんだから、これは平和的なものであるということなんですけれど、この判決を見ていただきますと、ここでも詳細にバグダッドというのはいかに危険な状態にあるか、戦闘地域というふうに言えるのかということを一生懸命証明しているんですね。
それはそうなんですよ。バグダッド周辺って、しょっちゅう米軍が空爆しているんです。空爆するというような地域は、これはちょっと治安が悪いぐらいの話では済まない地域です。
もちろん地上部隊は──地上部隊が送れないから空爆しているというんだったら、ちょっとは分からなくもないんですけれど、地理的な条件で地上部隊が送れないので空爆しているというんじゃないんです。バグダッドですから、地上軍も行って攻撃している。なおかつ空爆もやっているわけですから、これはもう完全に治安維持とかいう範ちゅうは超えてしまっている。これはもう完全に戦闘状態である。その戦闘地域であるということを、一生懸命証明しているわけです。
それから、これはさっきも言いましたように、現代戦においては輸送、補給活動も戦闘行為の重要な要素であるということです。その戦闘行為を行っている武装兵員を、戦闘地域というふうに言わざるを得ないバグダッドに空輸しているということは、とりもなおさず戦闘行為を支えているんだという、こういう論理ですね。
ですから自衛隊が直接砲撃、武力行使をしてなくても、武力行使をしているものを送り込んでいるということは、これはもう間違いなく武力行使と一体化しているんだと。これが一体化しているということをもって、憲法違反であるというふうに言ったわけです。
これが3つ目。つまり1つ目は平和的生存権、2つ目はこのイラク派兵が違憲であるというふうに言い切ったということ。3つ目は、イラク特措法に照らしてみても違法である。実際に戦闘地域じゃないなんていうふうには言えないということですね。
そもそも戦闘地域というようなことを限定すること自体が、難しいということもあるんですね。実際、戦争というのは、固定的にここは戦闘地域で、ここは戦闘地域じゃありませんというようなことが、恒常的に認定できるようなことはあり得ないわけです。戦争というのは常に流動的なわけですから、そもそもそんなふうに法律で決めていること自体、無理があるんですけれど、無理なことは一応認めたとしても、適用において逸脱しているというんですね。
司法による憲法判断
4番目なんですけれど、実は司法はずっと憲法判断というのをしてこなかったんです。さっきちょっとお話ししました長沼ナイキ訴訟というので、裁判所が違憲判決を出した。これがいつのことかというと、1973年なんですよ。さきほど上映された「サイボーグ009 太平洋の亡霊」よりは新しいですけれども。それでも大変なことです。しかも、この判決は結局、高裁でひっくり返ってしまっていますので、確定したわけではないんです。
湾岸戦争以来、自衛隊がどんどん海外に出て行く。1991年に湾岸戦争、厳密に言うと90年に湾岸危機で、地上戦が始まったのが91年ですね。ですから湾岸戦争は91年なんです。その戦争が一応終わったあとに、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に行った。ここから自衛隊の海外派兵──海外派遣か派兵かといろいろ言われますけど、とにかく海外に行くということが始まりました。厳密にいうと朝鮮戦争のときに、当時の海上保安庁がちょっと出て行ったという事例はあるんですけど、それを除けば、少なくとも海外に出て行ったことはこの湾岸戦争が初めてですね。
それ以外は、PKOで段々出ていく。法律もPKO協力法というものができていますから。それで今度はイラクに派遣された。これはPKO段階から見ても、全然段違いのことなんです。なぜならば、PKOというのは一応、国際的な警察として行っているんですね。ですから、PKOで行っている自衛隊というのは、最初は拳銃、ピストルしか持って行ってなかったんですよ。ところが、2回目のPKOから、ちょっと拳銃だけだと心許ないということで、小銃まで持って行ったんですね。
3回目のPKOで、小銃だとちょっと弱いんで、機関銃まで持って行っていいでしょうということで、一応、機関銃まで持って行ったんですね。ところが、さすがにそれ以上の物はPKOでは──警察ですから、警察治安を維持するための協力ですから、機関銃以上の物を持って行ったら、ちょっと警察の域を脱してしまいますから、持っていけなかったんです。
ところがイラク派遣になると、装輪装甲車とか、対戦車ロケット弾とか、今までおよそ考えられない物まで持って行ったわけです。
何で今まで武装して行ったのかというと、これは隊員に危険が及ぶ可能性もあるので、護身のために持っていく必要があるんだということですね。イラク派遣も一応論理の上では、護身なんですよ。身を守る。隊員が危険にさらされるといけないので、身を守るために武器を携行しますと。
しかし、対戦車ロケット弾というところにまでなると、相手が戦車でやって来るということを前提にしているわけですよね、それは。そうなると、これはちょっとした治安の維持とかというのとはおよそ違います。ましてや治安の維持とも言ってないわけです。復興人道支援だって言っているわけですから、それで持っていく武器としては、あまりにも重武装過ぎる。こういうことです。実はこれは、札幌地裁で私が証言したことなんです。
この名古屋高裁段階ですと、航空自衛隊ですから、隊員が携行している兵器としては拳銃、それから小銃、それから短機関銃、サブマシンガンですね。こんなものを持っていっています。さすがに陸上自衛隊と違って装甲車とかロケット弾じゃないんです。
ただ、一つ争点になりましたのは、フレアという兵器が存在します。これは航空自衛隊が普通持っている兵器じゃないんですけど、イラクに派遣されるということで、臨時に装備した兵器なんです。
フレアというのは、炎という意味なんですけど、これは空中を飛んでいる輸送機を目がけて地上からミサイルが打たれたときに──大体ミサイルというのは赤外線を追尾しているんですね。つまり熱源を追尾してくるようにできている。そうすると、飛行機の方からもっと強い熱源、赤外線を出すものを落としてやると、ミサイルはそっちの方に行っちゃうわけです。ミサイルを誤誘導、間違って誘導させるための兵器として、このフレアというのがあるんです。相手がミサイルを打ったなということを自動的に検知して──ミサイルを打ったときに赤外線が発射、発光しますので、それを自動的に検知して、その飛行機からフレアが発射される。こういう仕組みになっています。
これは実は、航空自衛隊は普通には装備してないんです。ところがイラクに行くということで、臨時にそれを装備したんですね。実は、そのフレアの装備に関連して起こったのが、例の山田洋行事件なんです。だからちょっと、そこは繋がっているんですが、それはちょっと置いておきます。
これは、明らかにミサイルで打たれるということを予期していなければ、こういうものを装備する必要はないわけです。現実にフレアが何回か作動したことがあると言われています。ということは、ミサイルが発射されたかもしれない。ミサイルが発射されたかもしれないと判断して、この機械が自動的に判断するんです。そのフレアが発射されたということがあるんだそうです。ですから、かなり切迫した状況ですね。自衛隊の方も、そういう非常に危険な状態があり得ると考えている。これを戦闘とは関係ないとか、戦闘地域じゃないとかと言うこと自体が、非常に無理があるわけです。
そういう兵器のレベルから見ても、明らかに自衛隊、海外に出ていく自衛隊の質というのは変わってきています。この15年間くらい、湾岸戦争以来ですね、自衛隊は明らかに変わりつつある。例えば海上自衛隊は湾岸戦争から今日までに、トン数で1.5倍になっています。湾岸戦争当時、総トン数30万トンであったのが、現在45万トンです。1.5倍。冷戦後、トン数が1.5倍になっている海軍というのはほとんどないですよ。
海上自衛隊は、トン数で言うと世界第5位です。アメリカ、ロシア、中国、イギリス、日本という順位になっています。だから、結構なトン数なんです。この30万トンから45万トンにいく過程で、フランスを抜いています。インドも抜いています。インドも結構な海軍国です。
しかしそういうことというのは、あまり一般的には知られていませんし、ただトン数が増えているだけじゃなくて、要するに自衛隊の性格が変わりつつあるということなんです。つまり、海外遠征能力というのが高められていて、艦艇が大型化しているということなんです。そういうことが何かいつの間にかどんどん進められていて、なし崩しに行われている。既成事実を積み上げて行われているんじゃないかと。
だから、ここで司法が歯止めをかけてほしいということを──本来これは、軍事の問題というのは、やっぱり国会が、政治の力がきちっとチェックしなきゃいけないんですけれど、どうもそれが十分にできていないので、司法が判断をしてほしいというのが、私の証言の最後の訴えの部分なんです。だから、司法が何とかしてくださいということをお願いしたわけですけれども、名古屋高裁はそれをやったということですね。司法判断したと、憲法判断したということです。