「連載」亀井淳/「笑う犬」週刊誌ウオッチ(5)/皇室は「ファミリーモデル」たり得るか/06/09/21          !                               

 皇室は「ファミリーモデル」たり得るか

 亀井 淳

 「祝! 男児ご誕生」(週刊朝日9月22日号)、「祝 命名『悠仁さま』」(サンデー毎日10月1日号)などと大書し、笑顔の紀子妃を表紙に飾った週刊誌が売られている。テレビ、新聞も2週間以上、このおめでたムードをかき立てている。

ほかにろくな話はない。安倍政権発足のための助走のような自民総裁選は「消化試合」だし、甲子園優勝の「ハンカチ王子」への熱狂もさめたところだ。
 考えてみれば、敗戦後の皇室は「神」から「ファミリーモデル」に変身することで生き延びた。何十年と続く超ロングランの家族ドラマなのである。
 軍服、帯剣、白馬にまたがった軍国天皇は、8・15のあと背広に着替え、妻と子どもたちに囲まれた「よきパパ」を演ずることで、血なまぐさい戦争指導者のイメージを拭った。
 その次のビッグショーは明仁皇太子(現天皇)と民間の「お嬢さま」の「ロマンス」である。戦後14年。民主主義、男女同権といわれても多くの日本人はまだその実体的な意味を知らなかった。そこへ「大学を出た」美女と皇太子が「軽井沢のテニス」から恋を実らせた、という話(実は相当な創作なのだが)に人びとは「革命的」な価値転換を感じた。
 折から日本経済は高度成長の裾野を登りはじめ、テレビ、週刊誌などマスメディアが急激に発達した。情報化時代のネタとして、皇室の話はもてはやされた。
 2度目の大キャンペーンは昭和天皇死去に際してマスコミが総力を挙げた、天皇の戦争責任を免罪する大報道である。そしてその論議が決着しないうちに行われた秋篠宮と紀子さんの婚約報道で、再び皇室のイメージは「明るい家族」に戻る。
 3度目のイベントは皇太子と雅子妃の「ロマンス」話と結婚なのだが、このときは美智子妃にはなかった「キャリアウーマン」というキーワードが売り物だった。
 こうして何年かおきに盛り上げの山場をつくって国民の関心をつなぎ止めてきた皇室だが、皇室という制度が民間と違う最大の特徴は「血の継承」である。しかも、現行の皇室典範では継承者は「男系の男子」でなければならない。女児(愛子さん)を生んだが男児に恵まれない雅子妃はストレスから病を発し、皇太子が妻の「人格」が否定されていると抗議する一幕があった。皇室存続の危機と感じた政界が動いて「女性天皇」を認めるように皇室典範の改正に動き出したそのときに、秋篠宮妃の妊娠、男児出産があって典範改正は先送りされた。
 「悠仁さま」誕生以後、マスコミ、特に週刊誌は皇太子家対秋篠宮家、あるいは雅子妃対紀子妃という二項対立の形でドラマを盛り上げようとしている。今の皇室典範に従う限り、次の天皇は今の皇太子だが、その次は「悠仁さま」となる可能性が非常に高く、マスコミの関心は秋篠宮家に集まっている。これは、両家対立の要因なのか、それとも「お世継ぎ」を設けることを義務づけられた皇太子家が「解放」されて、雅子妃の「適合障害」なる病気が軽快するきっかけになるのか。それはもう少し経過を見ないと分からないだろう。
 いずれにせよ、新宮誕生の前後に雑誌の世界にはかつてない踏み込んだ論議が掲載された。誕生前に編集された月刊誌「文藝春秋」10月号には雅子妃の「離婚」や皇太子一家の「皇籍離脱」を想定した話が語られたし、誕生後にはある評論家が「皇太子は秋篠宮に譲位を」と発言した。「天皇定年制」の提唱が新聞に載ったりする。かと思うと、誕生ではしゃぎ過ぎるマスコミを批判したブログが袋だたきに遭ったりする現象も起こっている。
 今後こういった問題はいっそう現実的な課題となるだろう。ファミリーモデルとしてつないできた敗戦後の皇室だが、今では大衆はモデルを必要としていない。しょせん、民主主義、人権平等の時代に、特権者を存在させることは、無理に無理を重ねる無理筋なのである。