丸山重威 (関東学院大学教授))【いまを読む−若者のためのメディア論】(7)歴史に培われてきた政治と国民の近さ オバマ大統領就任式に学ぶこと/09/01/23
【いまを読む−若者のためのメディア論】(7)
子どものころ読んだバーネット女史の作品「小公子」に、セドリック少年と英国の弁護士ハビシャムさんとの間のこんな会話があります。
「いったい、だれが伯爵にしてくれるんですか。」
「まず、いちばんに、王さまか女王さまですな。たいていは、王さまや女王様につくした人とか、えらい行いをした人が伯爵にしていただけるのです。」
「ほう。じゃ、大統領とおなじようなものですね。」
「ほほう、そうですか。アメリカでは、そんなふうにして大統領がえらばれるのでございますか。」
「ええ、そうですよ。」
と、セドリックは、いきおいこんで答えました。
「その人がいい人で、ものをよく知っていると大統領に選ばれるんですよ。みんなでたいまつ行列をしたり、楽隊をくりだしたり、演説をするんです。ぼくは、しじゅう大統領になりたいなあと思っていたんですけど、伯爵になろうなんて、ゆめにも思いませんでしたよ。ぼく、伯爵のことなんて知らなかったんです。」
と、セドリックは最後のことばを大いそぎでいいました。
伯爵になりたいと思っていなかったなどといって、失礼に当たってはいけないと思ったからでした。(村岡花子訳、講談社青い鳥文庫版から)
「小公子」=原題Little Lord Fauntleroy=は、ニューヨークの裏町で、母親と一緒に元気に暮らしていた少年セドリックが、実は英国の大きなお城を持つドリンコート伯爵家の息子、エロル大尉の忘れ形見で、フォントルロイ卿と呼ばれる身分で、海を渡って伯爵家に迎えられ、持ち前の無邪気さとやさしさ、素直な心で、気むずかしい伯爵の心を次第にほぐしていく物語です。
小学生時代に読んだこの本に、セドリックが新しい大統領が就任するときの様子を話していたくだり、つまりこの引用の部分があったのを思い出して、改めて読んだのですが、昔も新しい大統領が誕生するときの喜びをもったアメリカという自由な国で育った少年と、古い英国の身分制度と、その中にどっぷりつかった、少年にとっては「おじいさま」に当たる伯爵のコントラストが大変面白かったことを覚えています。
そしていま、大統領就任の祝賀行列を見に連れて行ってくれた食料品屋のホッブスさんや、靴磨きのディック、召使いのメアリなど大好きな友達と別れて、大きなお城に迎えられたわずか7歳の少年の物怖じしない素直さは、あれから50年経ったいま読んでも、ほのぼのとした豊かさを感じさせてくれました。
この「小公子」は、英国生まれの米国人作家で、「小公女」や「秘密の花園」でも知られる、フランシス・ホジソン・バーネットの作品ですが、書かれたのは1886年といいますから、米国では民主党のクリーブランド大統領の時代です。市民サービスや年金など多くの国内問題を抱え、各地でストライキが頻繁に起きていたそうですし、日本では明治19年。自由民権運動の高まりの中で、国会開設(1888年、明治21年)や憲法制定(1889年、明治22年)が具体化してきた時期でした。
しかし、ざっと100年以上も前に、近くの食料品屋のおじさんに連れられ、大統領就任式のパレードを見に行った7歳の少年が「大統領になりたい」と目を輝かせている情景を想像するとき、米国という国の若々しさ、自由さを感じないわけにはいきません。
アメリカの大統領選については、候補者指名までの長い道のりといい、大統領が決まった時のお祭り騒ぎといい、話には聞き、ニュースもそれなりに見ていましたから、ある程度知っているつもりでした。しかし、CNNでオバマ大統領の就任式の様子をずっと見て、人々の権利意識と歴史認識の深さ、そして国民と政治の近さを、改めて痛感したものです。
直接民主主義に近い大統領制を取る米国と、国民の意思は議会を通じて政治に反映させる議院内閣制の日本とは、もちろん同列には論じられません。
また、今回の場合、初めて自分たちがアフリカ系の大統領を選ぶという歴史的瞬間に立ち会ったということに対するさまざまな感懐があったことは事実ですし、インターネットなどをフルに使った「草の根」的な運動が、これまで以上に米国社会の「熱狂」をつくっていたのだろうということはできるでしょう。
それにしても、零下2度という寒空の首都に、バスや鉄道を乗り継いで詰めかけ、何キロも先の路上から就任式を見つめようとする人々が二百万人も集まったという民衆の高まりには、それだけで感動を覚えます。
CNNは、オバマ新大統領の宣誓を取り仕切ったジョン・ロバーツ最高裁長官が、宣誓のことばの順序を間違えた、と問題にし、オバマ大統領は翌日ホワイトハウスで記者団立ち会いで宣誓をやり直しました。私たちからみれば、「なぜ、こんなことが問題になるのだろう」と考えるのですが、米国憲法には、「大統領はその職務の遂行を開始する前に、次のような宣誓もしくは確約をなすことを要する」(第2条第1節8項)と規定して、「米国大統領の職務を忠実に遂行し、全力を尽くして合衆国憲法を維持し、守り、擁護することを厳粛に誓います」という文言が決められています。
ことばの順番が違っても問題はないのでしょうが、それだけ、米国社会が憲法を大事にし、意識していることが伺われます。
日本の憲法にも「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」との規定(九九条)があります。日本でも、公務員に就職するときは、宣誓書を提出しますが、政治家はどう考えるのでしょうか?
私はここで、常に憲法と建国の歴史を大事にし、これを思い起こし、語り、それを基準にものを考え、闘ってきた米国社会を考えるとき、敗戦のあとの新しい国造りの苦労を思うこともなく、「押しつけ憲法」と悪罵を投げつけて、政争の中で「たらい回し政権」を次々つくらせて恥じないいまの日本の政治、そしてその主権者である国民には、学ぶべきことがまだまだ多いように思います。
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オバマ新大統領がどう考え、何をするか。就任演説では、多くの課題が率直に語られ、解決への可能性が述べられています。米国民はもちろん、世界中が、彼の行動と政策を注目しています。その「注目」と「国際世論」に、大統領もアメリカも支えられ、動かされていく部分も多いでしょう。
このことも私たちが考えなければならないことだと思います。
(2009.1.21)