丸山重威 (関東学院大学教授))【いまを読む-若者のためのメディア論】(8)「政府高官」発言と検察の「リーク」 政治とカネと検察取材 09/03/18
【いまを読む−若者のためのメディア論】(8)
◎「政府高官」発言と検察の「リーク」
政治とカネと検察取材
支持率10%台という不人気内閣が続く中、予算と雇用と給付金で騒然としている政局に、特捜検察による西松建設の政治資金問題の摘発が民主党の小沢一郎代表を直撃、そちらに焦点がずれかねない勢いだ。
この問題、小沢氏の反論や、「政府高官」のオフレコ発言、西岡武夫・参院議員運営委員長の「検察のリーク」発言と、メディアをめぐってさまざまな問題が飛び出し、「政治とメディア」の在り方を問い掛けている。
▼何が問題だったのか
問題は、小沢代表が主宰する「陸山会」という政治団体が「新政治問題研究会」、「未来産業研究会」という政治団体から献金を受けたが、実はこれが、大手ゼネコンの1つ、西松建設からの献金で、それを知っていたのに受け取ったのは政治資金規正法の虚偽記載に当たる、として、小沢代表の大久保隆規・公設第一秘書(47)が3日、東京地検に逮捕されたためだ。
地検の容疑は次のようになる。陸山会に献金した2つの政治団体は、西松建設が会社のカネを献金するための隠れ蓑で、西松建設は幹部社員に上乗せボーナスを出し、それがそっくり政治団体に献金され、陸山会にわたる仕組み。これを大久保秘書は知っていてやった。政治資金規正法は、企業から政党以外への献金を禁じているので、脱法行為だ、という主張でもある。
小沢代表は4日、記者会見し、「政治団体が献金してくれた金の出所など知るはずもない」と反論、「衆院選が取りざたされている時期に異例の捜査が行われたことは、政治的にも法律的にも不公正な国家権力の行使だ」と検察を批判した。
確かに、この政治団体とその資金源の問題について、出所を追いかけていけば、きりがないし、この政治団体は、二階俊博・経済産業相や、尾身幸次・元財務相、森喜朗・元首相、山岡賢次・民主党国対委員長、山口俊一首相補佐官などの政治資金団体にも献金しており、「そちらはどうするのか」という疑問が出るのは当然だ。
▼「国策捜査」か、「一罰百戒」か
しかし、そんな中で5日、「政府高官」が記者との懇談で、西松建設の違法献金事件に関する東京地検特捜部の捜査について、「自民党議員が受けた献金の額は少ない。捜査が自民党議員にまで拡大することはない」との見通しを述べたことで、また大騒ぎとなった。
この「政府高官」とは、官房副長官の漆間巌・元警察庁長官。最初はオフレコの発言だったが、8日のテレビ番組で河村官房長官がこの発言の主が漆間氏で、漆間氏が「記者との懇談の場で聞かれた。特定の議員への影響や捜査の帰すうに関するような説明をした覚えはない」と釈明したことを明らかにした。漆間氏は9日の国会で、「あくまで一般論として話したが、特定の政党について述べた記憶はない」と答弁したが、約20人の記者が揃って聞いた話を全面否定する神経は相当なものだとしか言い様がない。
官房長官は「極めて不適切で、誤解を招く発言。厳重注意した」としているが、こうなると、「今回の捜査は民主党にダメージを与える国策捜査だ」という主張を裏付けるようなもので、話はますますややこしくなる。
もともと、検察庁、特に独自捜査をする特捜部(特別捜査部)は、汚職・企業犯罪・多額の脱税事件など「政治とカネ」を追及するものが中心になっている。だから、その動きは、ときの政治に影響を与えやすい。
「国策」という言葉が指すものは一様ではないだろうが、「国策捜査」という言葉は、2002年5月に背任容疑で逮捕、起訴された外務省の佐藤優氏が使って有名になった。 佐藤氏の著書「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、2005年)によると、取り調べ担当の西村尚芳検事自身が、「だってこれは国策捜査なんだから…」と、説明したというのだから始末が悪い。しかし、権力の内部の「粛正」を図ろうとする特捜部の検事たちは「国家の正義のために、厳正に法を適用する」と、大変な意欲とプライドを持っているから、「一罰百戒。狙われたら最後、政治的に抹殺される」という感じがもたれるのも事実といっていい。
「正義」についての感覚も、「時代のけじめ」だったり、「時々の一般国民の基準」だったりするから、これも問題だろうが、結局は、メディアを巧妙に使いながら、刑事手続きを進めることになる。
▼検察取材の実際と「リーク」
こうした特捜検察の動きについては、事件が始まると毎日報道されるから、そのニュースをどう取るか、が競争になる。
「捜査の密行」は、「容疑者」側に捜査の動きを知られないためにも必要だとされ、昔は、「事前に報道されると、その日には予定していた強制捜査をやめた」と話した検事もいた。それだけに、検察取材は必要なことしか伝えたくない検察と、すべてを知って判断したい取材記者との駆け引きを含めた「知恵比べ」になる。
私自身の検察取材は、新人時代に大阪地検特捜部の「タクシー汚職」の取材に携わったのがほとんど唯一の経験だが、他の官庁取材や、警察取材とも違う状況がある。
他の官庁取材と違うのは、検察庁取材では、記者会見で説明される公式の捜査情報は、誰々を逮捕した、など、ほんの「骨」だけで、残りはそれぞれ独自の取材と、「夜回り」と称する捜査幹部からの「非公式取材」で原稿を書かなければならないことだ。しかも、記者会見も、夜回りも、検察側が「捜査に差し障りがある記事を書いた」などと一方的に拒否することができるもので、検察が情報操作しやすい仕組みになっている。
小沢代表が「不自然」と批判すれば、「二階氏への献金も対象にする」と示唆するくらいはお手のもので、「二階氏秘書を来週にも聴取」などという記事は、そうした中で生まれただろうことは容易に想像がつく。小出しに情報を出して(つまり「リーク」して)、報道の方向を自然にリードすることも、「仕事のうち」といっていい。
もちろんメディアは、そんな検察の動きを見ながら、その言いなりにならないように、振り回されないように、と考えわけだが、秘密捜査の中から漏れてくる情報を無視はできないから、どうしても検察の情報操作に流される。もちろん検察から言えば、一定の「証拠」と、法解釈を含めた「正当性」をもってやっているわけで、そこは誇り高く、自信に満ちてやっている。しかし、客観的に見れば、「公式には話さないが、情報をリークしてニュースの流れをつくる」ということも、捜査活動の一部といっていいだろう。
西岡武夫・参院議院運営委員長(民主党)が10日の議運委理事会で、西松建設の巨額献金事件に関し、検察当局が世論操作をしているとして、検察トップの樋渡利秋検事総長の証人喚問を行うべきだと主張、理事会後、「検察当局のリークは目に余るものがあり、世論操作が行われている」と述べたのは、この辺の事情を知り、検察を牽制しようとした発言だろう。
▼オフレコが問題になる…
記者の取材にはいろんな方法がある。ソース側が公に記者会見して話すことを報道するときもあれば、公には全く出てこない情報を非公式に取材して書く場合もある。そこには、オフレコ取材も当然ある。
1995年10月、当時の江藤隆美総務庁長官が、記者会見後、「これからは雑談。若いみなさんの参考のためにお話ししよう」と切り出し、「日韓併合条約は、法的に有効だった」「植民地時代、日本はいいこともした」などと述べ、大問題になったことがある。オフレコの約束だったからどこの社も書かなかったが、数日後、韓国の東亜日報が「江藤長官が妄言」と報じ、ソウル発の原稿が各社の外信部デスクに飛び込んできた。各社は江藤氏にオフレコの解除を求めたが、江藤氏は拒否したため、扱いが分かれ、記者クラブでトラブルになり、新聞協会が見解を出すはめになった。
また、2002年6月には、当時の安倍晋三官房副長官が、早大での講演で「大陸間弾道弾は憲法上は問題ではない」、「憲法上は原爆の保有も小型なら問題ではない」などと発言した。これが「サンデー毎日」に報道され、見解を求められた福田康夫官房長官は「日本は専守防衛だから、そういうものを持つ必要はない。むしろ持たない、ということだ。しかし、憲法上もしくは法理論的に持てないというようには書いていない。積極的な政策判断として、そういうものは持つのはやめようというのが非核三原則だ」と述べた。しかし同時に、「政府首脳」が「非核三原則は憲法に近いものだが、今は憲法改正の話も出てくるのだから、何か起きたら国際情勢や国民が『(核を)持つべきだ』ということになるかもしれない」と述べた、とも報じられ、こちらの方が大きな反響を呼んだ。
実は、福田官房長官が公式会見で述べた発言を実名で報道し、オフレコ懇談での発言を「政府首脳」として報じたためで、国会で「政府首脳」とは誰のことか、と問題化した。結局、福田長官はともに自らの発言であることを認め、「非核3原則を守る」と改めて説明した。今回は「政府高官」だったが、官房長官は「政府首脳」、副長官は「政府高官」ということになる。
▼報道も政治の渦の中
なぜこんなことをするのか、ということで、こうしたソースを明らかにしない報道は評判が悪い。しかし、オフレコでの取材は、問題の背景を知り、掘り下げていくためにどうしても必要だ。問題は、話す側がそれを利用して、記者を取り込み、報道を誘導しようとすることで、新聞協会が「乱用されてはならず、ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」としたのは、こうした事情があるからだ。
(http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/shuzai/0204offrec.htm参照)
オフレコの約束は、取材される人と取材する人との相互間の信頼関係にかかっている。だから基本的に信頼できる相手、1対1の取材の延長線で成り立つものだと思う。従って、今回のように、20人もの記者を相手に成り立つ方が不思議とさえ言えるのだ。
そう考えてみると、漆間長官発言は、「政府高官が捜査は自民党には及ばない、と話した」とリークすることに意味があり、メディアにも、検察にも、一定の示唆を与えようとした、計算された発言だったのではないか、と思われてくる。
3月24日には、大久保秘書が起訴されるか釈放されるか、「処分」が決まる。メディアの報道も、世論の動きも、検察の判断も、政治の大きな渦の中のことであることを見逃してはならない。
2009/3/16