視角/ 丸山重威 (関東学院大学教授) (JCJジャーナリストより転載)13/04/10

 

「主権と独立」

 

 サンフランシスコ条約の調印、つまり1951年当時の新聞縮刷版を見て改めて驚いた。講和条約で「北海道、本州、四国、九州の4つの島とその周辺」に領土が限られ、沖縄も歯舞、色丹も切り離されたことはよく知られているが、何と当時の大手紙には「沖縄」の文字が見当たらないのだ▼もう一つ、サンフランシスコ講和会議にソ連からはグロムイコ代表が出席したが、条約は「米軍を日本に駐在させる新しい戦争のための条約。米軍は侵略者の連合組織を打ち立てようとしている」と主張して署名しなかった。しかもソ連の主張は「満州、台湾、南沙諸島などの主権を中国に、南樺太、千島と関連諸島の主権をソ連に認め、日本の主権は4島に加え、琉球、沖ノ鳥島、南鳥島に及ぶ。全外国軍隊は90日以内に撤退」というものだった▼新聞にはソ連の主張も出ている。しかし、東西対立の中で、ソ連については「講和会議の妨害を狙った出席ではないか」という見方ばかり。「全面講和か、片面講和か」といった議論は既になく、新聞の姿勢は疑うことなく「西側」の立場。その主張は、講和条約を歓迎するものばかりだった▼私たちはずっと「日本はサンフランシスコ講和条約で独立を獲得した」と教えられてきた。今から見れば偏った報道だったが、社会も政治もその通り動き、その通り教育された。「主権回復」「独立」…。そんな言葉が、本質的な意味が知られないまま「独り歩き」して61年…▼これを機会に「戦後日本の歴史」を改めて学び直さなければならない。