視角/ 丸山重威 (関東学院大学教授) (JCJジャーナリストより転載)14/06/14

「対米開戦」

昭和16年11月29日、天皇の前で元首相らによる重臣会議が開かれた。出席した重臣9人中、開戦賛成は3人だけ。他はみんな反対だった。1週間後、日本は真珠湾攻撃を決行した。「積極的国策遂行」そのものだ▼当時の記録をたどった「対米戦争開戦と官僚」(安井淳著、芙蓉書房出版)によると、対米戦争には、海軍は反対、陸軍にも反対論があった。だが海軍も「2年位は勝つが、それ以上は…」としか言わず、「方針を変えると責任が生ずる。自分の責任外のことは言わない」という官僚主義や、「陸海軍は協調を」という天皇の曖昧な姿勢の中で「旧日本の崩壊」が始まった▼肝心のこと、つまり国の方向として開戦すべきかどうか、勝てるかどうか、戦ってそれをどう収めるか、は全く議論されなかった。「弱腰」と言われたくない、メンツは大切、後は誰かが何とかするだろう、という「開戦ありき」の議論。そこには米国の主張を受け入れ、アジア進出をやめて中国から撤兵、3国同盟から脱退するなどという選択肢はなかった▼集団的自衛権の憲法解釈変更論議を見ていると、この「対米戦争開戦論議」が形を変えて行われている気がしてならない。連立離脱が怖くて、何とか妥協したい公明党、大臣になりたいし、選挙の公認もほしくて首相に逆らわない自民党議員たち…。ただ一つ、当時と違うのはそれなりに議論を伝えるメディアと容易に騙されず発言する国民がいることだ▼いま重要なのは「枝葉」ではない。問題の「根幹」をはっきり伝え、批判することだ。