桂敬一/メディアウオッチ(13)/教育基本法・防衛「省」報道の呆気なさに驚く―日本は世界史の新しい流れに逆行するのではないか―/06/12/05

 


 教育基本法・防衛「省」報道の呆気なさに驚く

―日本は世界史の新しい流れに逆行するのではないか―

 

日本ジャーナリスト会議会員 桂  敬 一

 国会で教育基本法「改正」と防衛「省」昇格を目指す動きが、呆気にとられるばかりの速さで進んでいる。日本の今後の針路を危うくする重大法案が、ろくな審議もされないままにだ。しかも、新聞やテレビがこうした事態を、もはや「消化試合」とみなすような調子で報じるだけで、深刻な危機感を抱く風もないのが、おそろしい。どのメディアもそれらの中身を、独自の視点から詳しく、また繰り返し報じたことは、ほとんどない。反対運動にいたっては、まるで報じていない。
 いま世界は、ここ数年の矛盾がいっせいに噴き出した状況に直面している。だが、そこをうまく突破すれば、国際社会が新しい可能性をもった方向に針路を切り替え、かつてなかった発展に向かい、進んでいける兆候もみえだしている。しかし、こんな国内政治のなりゆきでは日本は、このまま独り取り残されてしまう心配がある。いや、世界史の流れに逆らい、国際社会の新しい発展を妨げる反動的な役回りを、また演じてしまうおそれさえある。

◆20世紀との決別を意味する米国中間選挙の結果
 

2006年11月は将来、世界史的な画期として後世に記憶されることとなるに違いない。アメリカの中間選挙で共和党が敗北を喫し、ブッシュ大統領がイラク戦争推進政策を見直さざるを得なくなったからだ。大統領は選挙結果をみて、ラムズフェルド国防長官を解任した。ボルトン国連大使の再任も諦めた。2年後の大統領選では、ブッシュ政権の路線を踏襲する大統領の選出はありえない、とみておくべきだろう。戦争の世紀といわれた20世紀を特徴付けてきた歴史的な惰性が、ようやく動きを止めそうなのだ。代わってこれからは、21世紀というにふさわしい時代を特徴付ける、新しい世界の動きが生まれてくる予感がする。
 1990年代初期の冷戦構造崩壊、湾岸戦争勝利で、アメリカは東欧圏、アジア、イスラム世界、中南米をはじめとし、全世界に対して圧倒的な軍事支配力を誇示してきたが、それは依然として、戦争の世紀の名残り留める体制でしかなかった。そして、2003年の「9・11」事件のあと、アメリカは古い体制の余勢を駆って、強引な「テロ」との戦争に乗り出し、アフガン・イラクの戦争の泥沼に足を突っ込んだ。
 だが、そのやり方には国際社会の批判が集まり、ブッシュ路線に追随したスペイン、イタリアの政権は早々と失墜し、ブッシュ政権との一体的な関係を誇ったブレア政権の凋落振りも、イギリスでいまや歴然たるものとなっている。イスラム世界では、パレスチナ問題とイラク戦争とが重なり、アメリカを批判する勢力の政治的影響力が、着実に広がり、強まっている。アメリカが戦争政策の失態とともに財政難を深めていくなかで、ロシア、インド、中国、ブラジルなどが経済を発展させ、国際的な発言力も強めつつある。また、ASEAN(東南アジア諸国連合)や、アメリカに対する批判的な政権の樹立が相次ぐ中南米諸国のあいだで、地域間の相互協力が強まり、アメリカはこれらの国々に対して、かつてのようには簡単にいうことを聞かすことができなくなっている。イラク戦争に反対したフランス、ドイツを中心とするEU(ヨーロッパ連合)がますます自立を強めていることも、あらためて繰り返すまでもない。

◆日本だけがブッシュ路線に執着するのはなぜか
 

世界はようやく、なにごともみんなで相談し、お互いが並び立つよう協力してやっていくのが当たり前となる場になりだしたのだ。とくにアメリカに対しては、遠慮なくものをいい、その傲慢さや独善が世界に禍いをもたらすおそれがあると考えられる場合は、とりわけ率直にものをいう必要のあることが、世界中で強く認識されるようになった、といえる。いや、そういうことの必要性をアメリカ自身が認め、政治のやり方をみずから変えようとしたのが、今度の中間選挙の結果だったといえる。
 ところが、日本だけが、最初に賛成したブッシュ大統領のやり方に依然として固執し、その路線に合わせたやり方で日本の国内政治を構造的に変えようとしている。それが教育基本法「改正」であり、防衛「省」昇格だ。その先には、憲法改正国民投票法、共謀罪があり、終着点としての憲法「改正」、自民党のいう「新憲法」制定がある。このような見取り図からいえば、そうした国内的な政治改造の意図を達成するために―戦後の平和憲法に依拠した民主主義のシステムを全面的に解体、国家権力による権威主義的な統治システムに国民を再統合していくまたとない機会とするために―、日本のほうがブッシュ大統領の対テロ戦争政策路線を利用してきた、というのが政府与党の本当の姿なのではないかと思える。

◆拉致問題で日米軍事同盟の拡大を正当化できるのか

そこにはあわせて、対北朝鮮政策の利用も絡む。日本は、拉致問題を根拠にアメリカ以上に強硬なタカ派的態度を示し、制裁を加えるべき相手、北朝鮮の軍事的脅威を最大の理由とし、日米軍事同盟の強化に走る。これを、ブッシュ大統領はもとより、彼の戦争政策路線を見直そうとするアメリカの新しい政権担当者でも、嫌というわけがない。むしろ歓迎するのが当然だ。なぜならば、日本の費用肩代わり分をふやすかたちでの海外米軍基地の再編促進や、まだまだカネのかかるMD(ミサイル防衛)開発や、その実戦配備のための費用の日本側負担分の増加が、当てにできるからだ。
これまであれほど北朝鮮との直接対話を強硬に拒否してきたアメリカが11月末、北京で事実上の両国二者協議に応じた。アメリカの最大の関心は北朝鮮に核兵器開発を諦めさせるところにある。拉致問題はにはさして関心はない。日本が北朝鮮の脅威を理由に、海外における米軍戦略の再編・展開に具体的に協力してくれ、その分自国の負担が軽減される限りにおいて、日本に対して拉致問題にも関心を示さなければならない、というのがアメリカの立場だ。そうした事情は、日本を除く6か国協議関係国のすべてにとって、みえみえのものとなっている。
 いや、日本政府自身も、そのことはよく承知しているに違いない。拉致問題を口実に対北朝鮮強硬策が維持できるあいだは、限定付きでもそれに対するアメリカの協力が取り付けられ、日米同盟最優先の政策を国内で正当化できるし、やがて米軍の海外における軍事行動全般への自衛隊の参加まで含めた日本の自衛権の行使に道を開き、それを許容する方向での憲法の「改正」もできるようになる、と日本政府が踏んでいるフシがある。なによりも、憎むべき敵、おそるべき敵がいてくれれば、それに対して日本国民なら団結するのが当然だということになる。敵とたたかう必要が生じたとき、それに反対するのは愛国心をもたないもの、日本国民というにふさわしくないものだということもできる。そういう空気を醸し出すには、北朝鮮は格好の材料だ。アメリカが拉致問題に関心があろうがなかろうが、そんなことはかまわない―アメリカが自分に必要なものを日本から引き出すために、とりあえず拉致問題について日本に調子を合わせてくれているのであっても、それはそれでけっこうだ。そう日本政府が思っていることは、大いにあり得る話ではないか。

◆カネをかけ、ますます深まる対米従属のおかしさ

 アメリカのある種の行き詰まり、零落が、日本にそう考えさせる自由度を生み出しているようにみえる。だが、果たしてそうであろうか。アメリカが自分の制約された事情から、日本の歓心を買うようになっているという状況が生まれているのは確かだ。しかし、アメリカの事情とは、6か国協議が最終的に北朝鮮の核兵器開発放棄に到達、残る拉致問題は日本と北朝鮮の直接交渉で解決すべきだということになったら、それに簡単に同意する体のものではないか。また、日本の基地や兵員の提供、費用負担で日米同盟が強化され、同盟軍の共同作戦が海外で展開可能な状況になったとしても、その発動は、日本側の事情によって行われることはあり得ず、アメリカ側の事情によってのみなされることになるのが現実のなりゆきなのではないか。
 このように眺めると、日本は費用や義務の負担面での双務性を強め、日米同盟を対等な関係で維持することになるかにみえるが、それは錯覚に過ぎず、そのような方向に踏み込めば踏み込むだけ、アメリカに対する従属性をかえって強めるばかりになる、というべきが実態ではないかと思える。もしもアメリカが日本の協力によって、傲慢で独善的な軍事介入政策を他国に及ぼすとしたら、日本は怨みと軽蔑を買うことになるだろうし、アメリカがひるみ、代わって日本が進んでそうした軍事介入を行うとしたら、日本は激しい憎悪を買うことになるはずだ。どちらに転んでもトクになる話ではなく、21世紀の歴史の流れに棹をさそうとする国々から猛烈な反発を喰らうことになるだろう。
 そこまではいかないとして、ではあと、このような体制はいったいどんな効用を発揮するというのか。それは、戦争することの緊張感を国内に瀰漫させ、表現の自由、市民的行動の自由を制約、権威主義的な政府が国民を思いどおりに統治しやすい国へと日本を変えていくに違いない。北朝鮮を敵とみなし、それと厳しく対峙していくことを通じて、皮肉にも日本も、現在の北朝鮮と同じような逼塞した国になっていくのだ。

 ◆世界史の新しい流れを発展させるべき日本独自の役割は

 世界史の大きな転換期に臨みながら、その行方に積極的な方向での影響を及ぼそうという議論が生まれてこない日本の政治、そうした国内政治の政権争奪をめぐる駆け引きのなかにどっぷり漬かり込んだままの日本のメディア、そこには国際社会が努めて発見しようと思う独自の重要な情報源もなく、外国メディアが重視し、海外に転送すべきニュースもみつからない。日本の国際的動向に関する重要な情報の入手は、アメリカが日本との関係についてなにをいうか、どのような行動に出るかをフォローしていくことに頼ったほうが、よほど確かな手応えがあるのが実情だ。
 「外務報道官・・・は、週に二回・・・、外務省の記者会見室で英語によるブリーフィングを行う・・・。正直申し上げて、普段、この英語のブリーフィングに来てくれる外国特派員の数は三人ないし五人。北朝鮮の核実験のような出来事があったり、日本で新たな政権が発足したりといったようなときには増えるが、それでも二十人を超すことはまず考えられない。十数人がいいところだ。・・・大手外国マスコミの方が見えることはまずない」。NHK元記者で、退職後は外務報道官を務め、現在は外務省参与の高島肇久氏が新聞通信調査会の講演会で打ち明けた話だ(「日本だけで生きているメディア わが国の国際報道を考える」、『新聞通信調査会報』2006年12月1日号)。
  このような状況を打破する展望はないのか。このまま「新憲法」制定に向かって流されていくしかないのか。メディアはその枠内で右往左往するしかないのか。そんなはずはない。やるべきこと、やれることはたくさんあると、私はいいたい。
 労働組合の機関紙などにニュースを配信する連合通信社が講演事業も行い、その記録を収録した会報も発行しているが、その最新号(『「情報懇話会21」会報』11月30日号)に、「報道が教えてくれないアメリカ弱者革命―日本の格差拡大社会の行き先を考える」と題する講演記録が収録されていた。講演者は堤未果さん。堤さんは、この講演のメーンタイトルと同名の著書(海鳴社刊)で、日本ジャーナリスト会議(JCJ)の今年の新人賞を獲得した気鋭の女性ジャーナリストだ。アメリカで身近に「9・11」に遭遇、これを契機に「テロ」に襲われたアメリカ社会の変貌、イラク戦争開始後の参戦兵士、その家族など悲劇に巻き込まれていった人々の境遇の変化などを追跡し、その社会的矛盾と閉塞からアメリカの市民がどのように立ち直ろうとしているかをルポしたのが本書だが、講演は、イラクから帰還し、ホームレスに転落した若者たちの実情や、彼らが、貧しさから徴兵の甘言に誘惑されそうになる高校の後輩らに働きかけ、応募を食い止め、反戦ネットワークを広げていることなど、新しい動きに触れている。また、こうした話を日本の若者が熱心に聞きふけり、いまの日本の社会変化のなかで、自分がどんな問題にぶつかりだしているかを理解する状況も報告しており、たいへん興味深い。
 堤さんは、アメリカの若者やイラクの人たちが、日本の憲法9条に切実な理想を見出し、強い憧れを抱く様子も伝えている。それは、世界史の転換期に日本が、国際社会も注目する独自の役割を、どのような方向で発揮することができるかを示唆している。また日本は、非核三原則を誠実に守りつづけるなら、世界で全面核軍縮を訴える一番大きな説得力を保持することになるはずだ。堤さんが弱者革命に託する希望こそ、いま日本のメディアも広く共有すべきものではないか。この希望を育て、生かす視点に立てば、教育基本法「改正」・防衛「省」昇格の企みに立ち向かう報道の取り組みは、もっともっと生き生きとしたものにしていくことができるはずだ。
(終わり)