桂敬一/日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(26) メディアはついに権力の陥穽にはまっていくのか―朝日・読売・日経の事業提携が提起する問題を考える―07/10/04

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メディアはついに権力の陥穽にはまっていくのか
―朝日・読売・日経の事業提携が提起する問題を考える―

    日本ジャーナリスト会議会員  桂 敬 一

 

 

◆注目浴びる朝日・読売・日経3社による
  突然の事業提携

 

 10月2日の各紙朝刊は、朝日・読売・日経(日本経済)の3社社長が1日、共同記者会見を開き、3紙は今後、新聞配達の共同化と共同ウェッブ・サイトの事業化を目指して業務提携を行うことで合意した、とするニュースを報じた。当の3紙もそれぞれ、自紙の紙面で大きくこの話題を取りあげ、それは新聞をいっそう発展させるための決断であり、読者の期待に応える方策を講じることだと、歩調をそろえ、ぬかりなく宣伝に努めた。

 

 だが、護憲対改憲の論調対立など編集方針のうえでも、全国紙トップの座を争う販売活動の面でも、覇権を競い合う朝日と読売が、いまなんで共同歩調を取ろうといいだしたのだろうか。また、販売業務にせよ、ネット事業にせよ、共同化が合理化を目的とするのは自ずから明らかである。

それは早い話、業績が低迷している社、競争からの脱落の危機にさらされている企業が、まずやることではないか。しかし、読売を筆頭に、朝日、日経も、新聞業界では売上げ・利益、ともにトップに位置する社だ。なぜ彼らのほうが、部分的にせよ競争を停止する共同化の挙に出たのだろうか。

 俄然このニュースは、マスコミ界の注目を集めた。『週刊文春』(10月4日号)は3社共同記者会見前にいち早く販売店統合の動きを報じ、会見後は『サピオ』(11月14日号・小学館。月2回刊)、月刊『諸君』(12月号・文芸春秋社)、フジテレビの広報誌『AURA』(185号)が特集を組み、TBSの広報誌『passingtime』(86号)も関係記事を掲載した。

また、3紙の動きが表面化する直前に、『週刊ダイヤモンド』(9月22日号)が「新聞没落」というセンセーショナルなタイトルの特集を行っていたのも、目を引く。今回の3紙の動きとその余波をめぐるメディアの取り沙汰は、今後もしばらくはにぎやかになるばかりだろう。

 では、これらのメディアの伝える情報と3紙の動きに関する論評とを全部読んだら、いま起こった事態の全容と、それが近い将来、新聞・マスコミ界に及ぼすであろう影響とが、ちゃんと分かるかといえば、とてもそうはいえないのが実態だ。

読めば読むほど、かえって疑問が湧いてきて、わからなくなるだけだ。私も上記のフジテレビ『AURA』に一文を寄せたが、脱稿は3社共同記者会見前であり、いい足りないことが多い。
しかし、今回の動きが生じるような背景は、だいたいそこに書いたので、ここではその点は省略、今後浮上すると思われる問題点を考察してみたい。

 

◆新聞界の「ウィンウィン連合」は
  どんな問題を呼び起こすか

 

 注目を浴びた3紙提携の報道に先駆け、9月26日朝、朝日・読売の両紙が同時に、北海道東部地区向けの自紙を十勝毎日で印刷開始、とするニュースをささやかに報じていたのが見逃せない。十勝毎日は帯広を地盤とする約9万部の夕刊専門の地域紙だが、帯広を中心とする十勝地区では、北海道全道の雄、道新(北海道新聞)も油断できない高い普及率を保っている。

強さの秘訣は、当該地区の地元ニュースの、徹底的した収集と紙面化だ。そして夕刊専門紙である。輪転機は昼過ぎごろまで動くだけで、夕方以降は空いている。

そこに、全国ニュース主体の朝刊紙が、一緒に仕事をしようといってきても、紙面内容・作業時間、ともにバッティングする気遣いがまるでない。それどころか、受託印刷で賃料が入れば、輪転機の有効利用になる。自紙販売店にその新聞を扱わせることにすれば、輸送費や販売店手数料の負担軽減、販売店の増収策にもつながる。

実は読売はこのような十勝毎日の特性に着眼、いち早く同社で道東向けの新聞を印刷してもらっていたのだ。9月26日の朝日・読売の報道は、そこに朝日も、読売との同意を得て参加、来春から十勝毎日で約1万部、委託印刷を開始することになった、というものだ。

 読売はなぜ同意したか。札幌本社から印刷した新聞を運ぶより、帯広で印刷できれば、道東部での新聞拡販は容易だが、広大な同地域全体への輸送は、販売を十勝地域だけに限定している十勝毎日の輸送・販売網では不十分であり、少部数の読売が独力でやるには限界がある。

道東全域の主敵、道新が遙かに多部数を擁しており、広大な兵站線を維持できるのに対して、コスト面でまるで太刀打ちできない。だが、同じく道新を主敵とする朝日がきて輸送・販売の共同化ができれば、共通の敵に対抗可能な兵站手段を確保できる可能性がある。
敵の敵は味方だ。これは朝日にとっても同じ理屈だ。これが両社合意の理由であろう。

では日経はどうか。維持コストが高くつく自紙専売店の数が少ない日経は、全国各地の有力紙に頼み込み、その専売店に合売扱いで自紙を売ってもらっている。
一般紙とバッティングするところの少ない経済紙という性格が、それを可能としてきた。北海道の比較的大きな都市部では道新に合売を頼んでいる。

同紙読者による併読購入が多いからだ。しかし、遠方の僻地、市町村ではそもそも日経の購読そのものが少なく、白紙状態のところが多い。朝日・読売・日経3社の共同会見の内容を読むと、日経の既存の合売関係はそのまま存置、これからやれるところは3社協力の下でやっていく、ということだ。朝日・読売は当面、日経の既得権は尊重しつつ、新しい戦線拡大分野では自分の味方に引っ張り込もうと考えているのではないか。コバンザメ=日経もそれで承知のようだ。

 読売は道新とのたたかいのパートナーとして、なぜ朝日だけを選び、同じ全国紙のなかの毎日、産経は選ばなかったのだろうか。これは朝日についてもいえる。

なぜ提携相手が読売で、毎日・産経ではなかったのか。産経については理由は簡単だ。北海道に現地印刷所は置いておらず、事実上、宅配部数は1部もないからだ。

これに対して毎日は朝日・読売と同じように札幌に印刷所をもっている。だが、発行部数は両紙と比べて著しく少ない。これでは味方にしても、費用負担上の貢献性が乏しく、戦力として不足だ。3社共同会見で明らかにされた3紙合意文書には「3社以外の新聞社等が将来(提携に)参加することを排除しない」としている。

毎日は、勇躍そこに加わるか。そうはできまい。合売というよりは朝日・読売の複合専売というべき販売店に販売を委ねても、販売手数料が両紙のそれを下回ったら、簡単に自分の部数を、手数料のいい朝日か読売に奪われてしまうからだ。朝日・読売のどちらも、いつも自分のところの手数料を、毎日のそれに合わせて低く維持してくれるとは、とても思えない。

 かくて3紙販売提携の北海道東部地区における展開は、必然的に全国紙「勝ち組」の強者連合=ウィンウィン連合としての意味をもち、そこに参加できない全国紙と対抗的な地方紙に無視できない圧力を加える作用を生み出す。
他面、自分に従順な弱小地方紙を傘下に回収、系列化する作用も伴う。あとは応用問題を解くようなものだ。地方・地域によってそれぞれ異なる、さまざまな形態は取るにしても、やがて全国に広がる「勝ち組」3紙連合の地政学的な影響過程は、同じ淘汰原理に貫かれるものとなるはずだ。

 

◆政界の「大連立」「大連合」は新聞の
「勝ち組」連合を歓迎する

 

 朝日・読売は、北海道ですでに函館・室蘭など十数か所で、共同配達の実験を始めていた。
今回の提携ではこれを、大阪市の一部(両紙大阪本社管内。劣勢の全国紙が存在)、鹿児島県(同西部本社管内。同地には有力な地方紙、南日本新聞がある)に広げるという。

このような提携が全国各地に拡大していけば、劣勢の全国紙と、3紙連合と対抗する立場に置かれ、かつじゅうぶんな抵抗力がない地方紙は、消滅させられるか、生存が許されても、従属を強いられるかの、どちらかに追い込まれていくおそれがある。
(左写真:会談にのぞむ福田康夫首相(右)と小沢一郎民主党代表=国会内で2007年10月30日午前10時2分、藤井太郎撮影)
日経は、30〜40万部を上回るような、多くの有力地方紙への印刷・販売の委託を通じて部数を伸ばしてきたが、それらがその地位を維持する限り、同じ関係をつづけるだろう。だが、その地方における朝日・読売合計部数の普及率が地元紙のそれを上回るようなことになれば、3紙提携のなかの合売に切り替えていく可能性にも恵まれている。

 

 3社合意文書は、この共同事業と業務提携は「国民に正確迅速な報道と多様な言論を提供するとともに、新聞事業の健全な発展を実現することを目的とする」と謳っている。しかし、どうみてもそれは、強者の独占を促すカルテルとしての性格を帯びざるを得ない。

このカルテルの成功は、新聞界に生き残り得る新聞社を、当の提携3社と、この提携に参加可能な力量をもつ社、および3社に抵抗可能な力をもつ社に制限し、この条件に合致しないか、水準に達しない新聞社を、業界そのものから淘汰していく作用を伴わないではおかない。

その結果、新聞社数、即新聞紙数を減少させ、新聞界の多元性(複数性)を弱め、ひいては言論の多様性を失わせる。皮肉なことに3社合意の目的に反する事態が招来されるのだ。そして生き残れた社は事業経営的に「健全な発展」を享受できるかもしれないが、新聞界全体は産業的な疲弊の色をますます濃くすることになるおそれがある。

 

 提携3社は、国の経済産業政策が全般的に自由化、規制緩和をよしとしてきている風潮のなか、この程度の提携は、妥当な自由競争の一部に過ぎず、カルテルなどと誹られるいわれはない、というだろう。

だが、新聞事業はこれまで、その公共性・公益性を理由に、事業組織の形成・運営、経営・業務活動の展開など、あらゆる面にわたって特異な法・制度によって、独自の非市場的かつ競争制限的な特典の享受を許されてきたのが実情だ。

社内株制度を認める日刊新聞紙に対する商法の特例、独禁法の特例による法定再販・特殊指定などが好例だ。本当に自由競争がよいのなら、このような競争制限的な制度も返上しなければならないのではないか。

都合のいいところは自由にさせろ、だが、株主や本社従業員を会社に縛り付け、専売店を厳しい従属的立場に置きつづけるためには既存の特典が必要だ、というのでは、あまりにも勝手だ。読者の反発は必至であろう。

よし、それなら俺たちはなんでも自由でいい―これまでの特典はすべて返上、好きにやる、ということになれば、3社提携は本性むき出しのカルテルとなり、新聞界全体が、かつて経験したことのないギョーカイ的混乱のなかに、転落していくだろう。

 

 このような事態の到来を一番喜ぶのは、狡猾な政治家と政府だ。
「勝ち組」連合が自分たちに友好的である限り、その提携の自由を歓迎するにやぶさかではない。それが既存の非市場的・競争制限的特典と矛盾を来すのなら、かえって恩を売るに好都合だ。

提携はこれらの制度に矛盾しない範囲のものだ、とする見解を出してやればいい。また、3社連合を警戒する劣位にある新聞側が、法定再販・特殊指定の廃絶をおそれる場合は、そのようなことにはしないといって、安心させる役柄を演ずることもできる。

「勝ち組」連合、「負け組」への転落の恐怖に苛まれる側、どちらに対しても、彼らが求めるものを安堵してやるといって、自分への協力を取り付けることができる。もし両者がギョーカイ内で利害をむき出しにして争い、収拾つなかい場合こそチャンスだ。
いうことを聞くほうの肩をもち、逆らうほうを懲らしめる。そして新聞界全体をコントロールする。

 

 福田内閣は当分、改憲のカの字も口にしないだろう。しかし彼らがタカ派である点は、安倍内閣となんら変わりはない。安倍内閣がつくった改悪教育基本法・国民投票法・在日米軍再編促進特措法を、いまは黙って「隠し球」として福田内閣は握っている。

つぎの大きな政治の曲がり角、国難といえる政治的危機が現出したときが問題だ。国難には国民がこぞって立ち向かうべきだ―小異を捨てて大同につけ、政治家は党派的立場をなげうち、大連立、大連合を目指せ、とする号令が、いたるところから発せられるようになる可能性がある。

廃止されたテロ特措法に代わる後継のインド洋給油法案プラス・アルファ(たとえば自衛隊海外派遣恒久法案)の成立難航、それらが争点となる総選挙の実施など、国難とされる政治的危機の到来は、意外と早いかもしれない。

そのとき、大連立・大連合を呼号する最大の政治勢力や政府を、3社提携連合はどれだけ批判できるだろうか。すでに読売や日経は、安倍政権の参院選大敗・内閣改造のときから「大連立」を提唱している。朝日は大連立には与せず、自民対民主の2大政党制を提唱する風だが、当の民主党内が大連立・大連合で割れたら、どうするのだろうか。

そこがどうなるにせよ、大連立・大連合で政界の多数派が形成されたら、これに対して、ギョーカイの多数派として産業的な支配権を確立、維持していこうとする行動原理に貫かれる3社連合は、到底逆らうことができないのではないだろうか。政府の「隠し球」はそのとき突き出され、改憲が目前に迫る。護憲の朝日はたじろがずにそれに向かい合えるのか。

 

◆新しい「新聞統合」を生み出す
  ネオリベとグローバリズム

 

 1931年(昭和6年)の柳条湖事件・満州事変以後、年を追って政府指導による新聞の企業整理が加速されていった。
1936年、電通・聯合の2大通信社合併によって、国策通信社の同盟が設立され(戦後は共同と時事に分割)、翌年、蘆溝橋事件勃発・日中戦争本格化に伴い、新聞社整理の動きはいっそう強まり、1940年に情報局が設置されると、その指導の下で個別的な新聞統合が実施されだした。

翌年、新聞共販制が実施されると、弱小紙を中心に新聞社の整理統合は一気に加速、太平洋戦争開戦ののち、「新聞事業令」による統制措置を受け、1942年には全国紙3、経済紙2(東京日経、大阪産経)、ブロック紙3(道新、中日、西日本)を別とし、残る全府県は各地方紙1紙の存立・普及が許される、いわゆる「1県1紙」の新聞統合が完成する。
37年当時、1422紙あった日本の新聞は、その結果、55紙を数えるだけとなった。

 

 それは、戦争の本格化という国難に向かう政治的危機のなかでの、政府による究極的な言論統制だった。だが、これを新聞企業側が重苦しく受け止めただけだったのかいうと、かならずしもそうではないから奇妙なのだ。

当時の新聞界は、部数が数千にも満たない群小紙が乱立、経営の自立もままならない、名ばかりの新聞社が多かった。
これが政府指導によって整理され、最後には統制団体・日本新聞会などによって統合に導かれていくと、残れる企業は、資本の集中・拡充、設備の近代化、市場の大規模化が図れるのだから、経営的には統合措置を歓迎する空気さえ強まった気配がある。

さすがに今回の3紙提携の背景にはこのような政府の統制の動きはない。だが、連続数年も総発行部数が減少、縮小する市場を食い合わねばならない危機に突入した現在の新聞界では、自由な競争のなかであっても、最大の政治的勢力や政府との協調が規模の拡大の成功につながるとなれば、その誘惑に背を向けることが困難となる社が出てくるのも当然といえる。

その誘惑を、成功の可能性をもつ社、グループほど、大きく感じるはずだ。私は、現在の政界と新聞界との危機の重なり合う状況のなかで、昭和10年代、太平洋戦争前夜に経験したのとほとんど同質の危機を、新聞界はまた迎えつつあるのではないか、という気がしてならない。

 

 もちろん客観情勢はまるで違う。端的には、3紙提携によるネット・サイトの共同事業化など、戦前はおろか、10年前だって予想できなかった新しい出来事だ。新聞社による共同サイトの試みはアメリカでいち早く試みられたが、成功に至らなかった。

欧米有力紙の有料ニュース・サイトは一、二の例を除いてみな失敗しており、成功したビジネス・モデルを見出すことができない。

サイトの広告媒体化では成功例が出てきているが、これもマス・メディア系サイトより、検索サイトなど、ネット系事業者の成功例のほうが、よほど目覚ましい。しかもこの世界は、まさに自由な競争の世界であり、国境を越えたグローバルなビジネスの世界でもある。

朝日と読売が、日経を提携の仲間に引き入れた一番の狙いは、この分野で日本の新聞社として最も成功している日経のノウハウ、リソースに期待するところがあるためではないか、と想像される。この分野では、毎日が先端的な経験を積み、10月1日からはリクルートとヤフーの出資企業と提携、エンターテインメント情報まで手がける「毎日jp」という総合情報サイトをスタートさせた。

新聞では劣勢の産経も毎日と同時に、マイクロソフトと手を組み、「ウェッブ・ファースト」(スクープは紙媒体より先にネットに出す)をスローガンとするニュース・サイトを立ち上げた。また、共同通信と地方紙を主力とする加盟紙は、昨年7月から新ニュース・情報サイト「47 NEWS」を共同で発足させている。

朝日・読売も、海のものとも山のものともわからなくても、サイト運営で新機軸をうち出さねばならない必要に迫られていたのだ。

 

 そしてこのネットの世界にもまた、成功のためには大きな政治的勢力や政府の思し召しが欲しくなる誘惑がたっぷり仕掛けられている。その思し召しに飛びつけば、政府の権力的規制や、異業種大企業の籠絡に緊縛されることとなる、かつてないまったく新しい危機に遭遇する羽目となる。

いまや放送と通信、ネットの世界との境界はなくなっている。提携3社はいずれも有力放送企業を子会社、あるいは系列企業として擁している。たとえば、ワンセグへのコンテンツ配信を成功させたいと思う系列放送企業の欲望をかなえ、その成功を新聞社のサイト事業につなげたいと考えれば、放送・通信の融合をめぐる法制のあり方をめぐって政府に一考をお願いしなければならなくなる。

その結果出てくる政策には、巧妙な政府の規制の仕掛けが隠されてくる可能性がある。あるいは政府がアメリカ主導のグローバリズム、その徹底した構造改革志向のネオリベ(ネオリベラリズム。新自由主義)に屈従すれば、その傘の覆いが放送会社、新聞社にも被さってくるおそれがある。

これらは戦前の新聞統合とはまったく違うものだが、新聞の独立と自由を奪う体制的措置としては、同じ意味をもつものだというべきではないだろうか。

 

 3紙提携の行方を市民とともに、今後ますます警戒心を強め、しっかり見定めていかなければならない。

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