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桂敬一/元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(29)/「ロス疑惑」三浦和義元社長のいま再登場はなぜか―助かるのは日米軍事一体化を企む両国政府―08/03/01

 

「ロス疑惑」三浦和義元社長のいま再登場はなぜか

 ―助かるのは日米軍事一体化を企む両国政府―

 

元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員  桂  敬 一

 

 

 2月26日夜、たまたまみたTBS「ニュース23」のトップ・ニュースは、「ロス疑惑」・三浦和義元社長のサイパンでの逮捕(22日逮捕)に関するもので、初めて米本土・ロサンゼルス市警が記者会見に応じ、現在の捜査の状況と今後の見通しなどを語る内容だった。日本時間では26日午前4時ごろの会見で、未解決事件捜査班のリック・ジャクソン刑事が回答に当たった。これは各紙も同日夕刊でカバーしていた。ジャクソン刑事は、かねてから三浦元社長に対する追及を検討してきたが、今回、三浦元社長がサイパンにくるという情報が入ったため、急遽逮捕に踏み切った、と説明した。

 三浦元社長の現地逮捕は22日の午後、ロス市警による発表は23日。テレビは同日夜、第1報を「速報」で伝えたが、なにぶん夕刊後のタイミングであり、新聞は翌朝、各紙いっせいにこのニュースを取り上げることになった。1面、社会面いずれもトップ・ニュース。どの新聞も、1981年の事件の容疑による逮捕に、なんでいまごろやるのかと当惑を示しつつも、抑えきれない好奇心を関係記事いっぱいに溢れさせ、テレビの後を追い、派手に紙面を飾った。

その結果生じた紙面の変化は、19日早朝に発生した海上自衛隊イージス護衛艦「あたご」の漁船衝突事件の関係記事が、23日の朝夕刊までは連日、1面・社会面にトップ扱いで出ていたのに、それらが突然、うしろに引っ込み、代わって前面に、三浦元社長逮捕関係記事が出てきたこと。防衛省・自衛隊側の情報隠蔽に対する責任追及が、石破防衛相にも及びそうで、こっちがいよいよ“佳境”に入りかかったというのにである。もちろんテレビの関心も、どっと三浦元社長のほうに重心を移す。週刊誌は、元祖「ロス疑惑」を生んだ『週刊文春』の、そらみたことかと先見の明を誇るかのような広告を筆頭に、『週刊新潮』、『女性セブン』の、「三浦和義」逮捕に大きなスペースを割いた発売広告が、各紙28日朝刊にでかでかと載った。

 おかしいではないか。イージス艦騒ぎで政府が追いつめられ、国民の関心がそこに集中しつつある矢先、なんで28年前の「ロス疑惑」再登場なのだ。

 

◆テキの狙いはイージス艦か沖縄米兵暴行事件か

 「こんなに都合よく『ロス疑惑』がまたぞろ出てくるのはヘンだ。アメリカはイージス艦の事件を放っておくと、ことは日本の自衛隊のお粗末さだけに終わらず、あんなものを日本に買わせたり、アメリカの戦争のために自衛隊に使わせたりする問題にまでいきかねないので、なんとかしなくちゃいけないと、今度の三浦逮捕をやったんじゃないの。だって話が出た途端、マスコミはバッとイージス艦からこっちに向きを変えて騒ぎだしたぜ。アメリカはもちろん、自衛隊だってしめしめってところじゃないか。」

 想像力たくましい庶民が好きな「陰謀」談義だが、いま電車のなか、飲み屋、大学の学食、あちこちの井戸端から聞こえてくる話だ。では、だれが仕組んだのか。三浦元社長逮捕は、ロサンゼルス市警がもっているらしい1988年発付の逮捕状の20年ぶりの執行ということだし、マスコミ報道を信じる限り、日本の警察当局はそんな逮捕状が発動されるとは予想もしていなかった―あれは全部終わった事件としていた、ということだから、あとは当然、海の向こう側が考え、実行した陰謀ということにしかならない。だが、アメリカが仕組んだのなら、もっと別のことが問題ではなかったか、とも考えられる。

 2月10日の夜、沖縄・北谷(ちゃたん)町で14歳の少女が米海兵隊員に暴行される事件が起こっていた。これに対する沖縄県民の怒りが爆発したら、普天間基地の名護・辺野古への移転計画がまたひっくり返り、沖縄駐留海兵隊のグアム移転に要する経費の日本側の巨額負担という話もスムースには進まなくなるおそれがある。在任地・日本を一時離れていたシーファー米大使も出先から慌てて沖縄に飛び、謝罪のため関係方面を回って歩いた。ライス国務長官の遺憾の談話も早々と出され、日本を訪ね、謝罪するというニュースも伝えられた。実際、27日に来日し、早速、福田首相を訪問、謝意を表した。沖縄現地での米軍の気の使いようも大変なものだ。「反省の日」を設け、米軍関係者全員に外出を禁じ、基地内に足止めしたりして、地元県民の怒りを鎮めようとした。だが、その後も、沖縄の米兵は、酒酔い運転、住居侵入などで逮捕される事件を起こし、基地がある限りこの種の犯罪は根絶できないという、本質的な問題点が明白となるばかりだ。新聞もテレビも、事件が起きれば書かないわけにはいかない。

 こういう事態を眺めれば、アメリカが三浦元社長逮捕を仕組んだとした場合、なんのためかの理由は、イージス艦衝突事件ではなく、沖縄・米兵暴行事件をメディアの騒ぎから遠ざけたいというのが本命だった、とする推理も成り立つ。沖縄の事件だけでも、テレビ、新聞で、くる日もくる日も騒がれるのは、具合が悪い。

◆はるかに大きい日米支配層が予感する危機の構図

 しかし、「陰謀」説を尊重すればするほど、その理由をイージス艦か、はたまた沖縄・米兵かだけに限るのは、浅はかな推理だという気がする。考えてもみよう。2月10日は岩国市長選の開票日だった。かつて住民投票で圧倒的な支持を受け、米軍艦載機の岩国基地への受け入れにノーを突きつけ、さらに市町村合併にともなう市長選に再立候補、ふたたび艦載機受け入れ拒否の公約で見事再選を果たしていた井原勝介前市長が、ついに受け入れ派候補に敗北を喫した日だ。自民党衆院議員から転出、艦載機を受け入れたら国の補助金がどっさりもらえるとの約束付きの候補に負けたのだが、その差はわずか1800票、2%少なかっただけだ。実はその夜、沖縄・米兵暴行事件が起こっていた。もしこの事件が、24時間前、2月9日夜に起こっており、これを即座にテレビが、そして翌10日、開票日には新聞朝刊が、それぞれいっせいに報じていたら、岩国市長選の結果は大きな差で、井原前市長の3度目の圧勝に終わっていたはずだ。

 なにしろ岩国基地に、いまの神奈川・厚木基地を本拠地とする米艦載機が全部引っ越してき、フィリピンの米軍スービック、クラーク両基地がなくなり、沖縄の嘉手納基地も縮小されたいま、岩国基地は極東最大の米軍基地になること必定なのだ。いままででさえ、基地米兵の犯罪は近くの広島も含む周辺地域でしばしば起こっていた。しかし、基地の規模が拡大され、駐留兵員がいまとは比較にならないぐらい多くなれば、沖縄で起こっていることはもう他人事ではなくなる。それがわかっているから、岩国市民は過去2度にわたって米艦載機の移転にノーを突きつけたのだ。しかし今度は、涙を呑んで井原前市長から離れざるを得ないと思った人たちがいた。国は、新市庁舎建設の経費補助を、艦載機受け入れ問題が出る以前に岩国市に約束、支給も始まっていたが、それをも井原市長に対して停止したのだ。理不尽な約束違反によって工事の始まっていた市庁舎建設はストップされ、井原市長の下では市政が立ちゆかなくなる、と危惧した人たちだ。そして、これらの人々の多くは、投・開票日の翌日=2月11日、テレビで、そして新聞休刊明けの夕刊で、沖縄・米兵暴行事件の発生と、これに対する沖縄県民の怒りを知ったとき、しまったと思ったに違いないのだ。

 こうした経過や背景をみれば、岩国の米艦載機受け入れ問題は、市長選だけで決着をみたとは、到底いえない。実施計画はこれからだ。基地拡張の規模、瀬戸内海に遊弋する米空母とのあいだでの離発着訓練の実施方法など、地元住民にも情報が開示され、その理解と同意が求められるべきプロセスが、この先たっぷり残っている。沖縄の事件も、東京湾をわがもの顔で航行し、漁場に急ぐ漁船を引き裂いたイージス艦衝突事件も、いつまでも騒がれていれば、岩国市民の拒否感情をまた増幅する。岩国だけではない。北海道・小樽港の第7艦隊旗艦、ブルーリッジ寄港、横須賀の原子力空母母港化、神奈川・座間基地の拡大などなど、みんなおかしくなる。これを嫌うのはアメリカだけではない。在日米軍再編・日米軍事一体化と改憲を急ぐ日本政府も、アメリカと一緒になって心配する。両者が一緒になって三浦元社長逮捕を考え出したという「陰謀」説もありではないか。

 

◆日本政府は自国公民の生命と安全を守る義務がある

 日本政府もおかしい。読売・2月27日朝刊は、三浦元社長の妻、良枝さんが26日、「なぜ日本は抗議しないのか」「最高裁の判決をほごにする不当な行為ではないのか」と、夫の逮捕について、日本の政府にも抗議する意向を、書面で明らかにしたと報じた。だが、同紙は、翌日=28日になると、良枝さんのコメントのこの部分は、三浦元社長が所属する芸能プロダクションの代表が書き加えたもので、同代表は、これは良枝さんの発言ではないと読売に対し訂正、陳謝したと、事実上の訂正報道を行った。しかし、最初の良枝さんのコメントとされた考え方のほうが、よほど筋が通っている。

 三浦元社長の1981年の妻殺害容疑は、2003年、最高裁で無罪が確定した。別件の妻殺害未遂事件では懲役6年の実刑判決を受けたが、所定の期間の服役を終えて2001年に出所、一般市民の生活に戻った。この結果、最高裁判決以後は、完全に公民権を回復している。当然、納税、選挙などの義務も履行している。日本政府は、このような国民のひとりが政府発行のパスポートを所持し、相手国の入出国規則に合致する方法を通じて海外に旅行している場合、訪問国の警察が理由も不明なまま、彼(彼女)を逮捕、身柄を拘束するようなことがあれば、ただちに相手国と交渉、自国民の保護・救出に当たる責任がある。だが、アメリカの自治領、サイパンで逮捕が執行され、拘置されている三浦元社長に対する現地日本領事の救出・保護の動きは、報道による限り、きわめて鈍い。

 サイパンの司法当局は、ロス市警など米本土捜査当局のリモコンで動くだけの感じで、頼りない。そのロス市警は「逃亡罪」まで予定しているというが、これもおかしい。1981年11月、三浦元社長夫妻はロスで銃撃による傷を負ったが、翌年1月、やや傷が癒えた夫が、ついで意識不明のままの妻が帰国したが、どちらの帰国も、日米両国の公的機関の支援を受けており、とくに後者の場合は、米軍機まで動員され、元社長が意識のない妻を、名前を叫びながら迎える様子は、テレビ中継で派手に報じられた。こんな天下に隠れもない元社長が、アメリカの捜査当局の目につくようには、その後アメリカに寄りつかなかったからといって、それが罪となる「逃亡」に当たるのだろうか。またロスの検察当局は、1988年の逮捕状発付の根拠となった証拠だけで十分有罪の立証が可能だ、といっているようだが(2月28日・日経朝刊。ロス発共同電)、こんな調子で一方的にサイパンからロスに身柄を移送され、裁判にかけられていいものだろうか。ことは殺人容疑、最後は死刑だってあり得るのだ。もしそうなったら、日本の最高裁の判断はコケにされたも同然となる。これらのことは、国家が保護すべき自国公民の身の上にかかる公正さの問題だけでなく、主権国家の権力の一翼を担う司法の名誉が、いわれなく他国によって侮辱されるという問題まで提起する。

 犯罪の発生地を統治下に置く国には、その犯罪の捜査・裁判を行う正当な権利がある。だが、犯罪の加害者および(あるいは)被害者に擬せられる人物を自国民とする国にも、同様の権利がある。同一の事件について、2国間それぞれの権利行使に早い遅いがある場合、あるいは権利行使の結果の判断に違いがある場合、一方が自分のところの判断だけを正しいとし、よその国の捜査のやり方や司法判断は、一切顧慮しないというのでは著しく公正を欠く。日本政府は、三浦元社長が私的に依頼した弁護士を頼りに、独力でこの事件に対処するのを傍観するだけでなく、進んでそこに介入、一つは邦人保護の見地から、もう一つは日本の司法制度の権威と信頼を守るために、米国政府と折衝、この事件に関する捜査や裁判の、事実上の共同化実現に努めるべきだ。そういうことをしないのであれば、この事件の「陰謀」説は、しだいに米日両政府の合作を疑うものとなっていくだろう。

 

◆つぎはなにが起こるか―いつも必要なメディア操作のネタ

 岩国で苦悩しながら艦載機受け入れ派候補に1票を投じた人、米兵に暴行を受けた沖縄の中学生少女、イージス艦に船を壊され、海に沈んだまま遺体も上がらない千葉の漁師、吉清さん親子のことを思い浮かべるとき、作家の司馬遼太郎が若い戦車兵として敗戦直前、栃木県佐野市近辺で訓練を受けていたとき、連隊にきた大本営の参謀に「上陸した米軍から逃げて街道を北上する避難民の混雑にぶつかったらどうすればいいか」と質問したら、彼がひと言、「轢き殺していけ」といった、と語っていたのを思い出した(『朝日ジャーナル』1971年1月18日号。鶴見俊輔氏との対談)。

 戦争は、それが始まると、本性を剥き出しにする。「勝つ」ためだけが目的となる。その前に立ちはだかる問題は阻害要因以外のなにものでもない。住民の平和のためにたたかう? 住民の安全を守るためにたたかう? それは戦争を準備する段階ならいえる話だが、戦争が始まったら、軍の戦闘行動の前でうろうろする住民など、ただの邪魔者だ。後れを取らぬよう、彼らを「轢き殺して」でも戦場に早く駆けつけ、敵より抜け目なく立ち回らなければ、負けてしまう。しかし、岩国、沖縄、東京湾で「轢き殺された」人たちとその背後にあるものをよくみると、実は戦争への準備段階でも、戦争の本性、戦争を推進する国家の本性は露呈するものだということが、よくわかる。

 また、三浦元社長の逮捕と、それがマスコミに伝えられ、その大騒ぎによって本性を剥き出しにしつつある戦争のむごさ、国家の悪が隠されていくのをみると、個々の事件のなかに「陰謀」を探るみたいな、ちまちました話はどこかに消し飛び、すでにすべてがひとつの巨大な謀略マシーンのように固まり、それが動きだすようになった光景を眺めているような気がしてくる。日米政府も、両国の経済・社会・文化の支配層も、もちろんメディアも、すべて一体となってこのような謀略マシーンをつくりあげ、動かすようになりつつあるのではないかと、戦慄をもって想像する。もうそれは、その気になれば、三浦元社長逮捕のような事件は、いくらでもつくることができる。

 『国家の罠』を書いた佐藤優氏は、自分の体験を踏まえて、国家が一つの政策を封じ、新しい政策への転換を図るとき、司法権を使って「国策捜査」を展開、見せしめにするスケープ・ゴートをつくり、これを使って政策転換をやりやすくする事実があることを、説得的に示した。その後、「国策捜査」が流行語になった。だが、三浦元社長のケースはそれとは違う。権力が自分の落ち度、あるいは後ろ暗い野心などを世間の表から隠す、あるいは遠ざけておきたいとき、詮索好きの大衆の視線や興味をより強く引き付けることができる、いわば効果的な目くらましとして利用されたのが、三浦元社長逮捕のようなケースだ。たくさんのメディアを動員、報奨としてテレビには高視聴率を、新聞や雑誌にはたくさんの販売部数を、約束してやらねばならない。そして長期間にわたり、大衆を面白がらせ、関心を引っ張っていく必要性がある。こちらのほうが、どこまで自覚的に意図されたものかはよくわからないが、謀略性ははるかに大きい。

 メディアは、視聴率や部数が稼げればいいと、このような複雑怪奇な仕組みのなかに安住しつつづけていれば、知らないあいだに、権力が大衆にみせたいものをみせ、隠したいものを隠す、どちらにせよプロパガンダの手伝いをさせられるだけに終わり、はっと思ったときには、戦争への道の先頭で旗を振っていた、ということになるのではないか。

 唐突めくが、このような流れをどこで断ち切るかを考えるとき、憲法9条の偉大な力をどう生かすかが重要であることに、気付かされる。

(終わり)