桂敬一/元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(39)オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(1)―歴史の転換点に立つ政治のあり方を考える08/12/10

 

 


メディアウォッチ(39)

 

オバマで進歩追うアメリカ、麻生で退化する日本(1)

―歴史の転換点に立つ政治のあり方を考える―

 

日本ジャーナリスト会議会員  桂  敬 一

 

 インド・ムンバイの目的不明の同時テロの突発、日本の元厚生省次官連続襲撃事件の不可解さ。犬が人を噛んだのではニュースにならないが、その逆ならニュースになる、の喩えどおり、国内外に続発する衝撃的で奇異な事件を、メディアはこれでもかとばかり、報じる。

 

 だが、それらの背後にはかならず歴史の動きが絡んでおり、あえて牽強付会の誹りをおそれずにいえば、前者の事件にはオバマ大統領実現による政治の画然たる変化が、後者に関しては、安倍・福田・麻生3代にわたる自民・公明の政権タライ回しの生んだ、目を覆いたくなるほどの政治の停滞が、それぞれ関係しているように思える。

 

 オバマはイラクからの撤兵方針は明確にしたが、反対にアフガンへの兵力増強を主張している。それは、中央アジアからインド亜大陸にかけての反政府イスラム武力勢力を刺激しないではおかず、彼の「チェンジ」には危なっかしさがつきまとう。

 

 一方、日本の90年代半ば以降のバブル崩壊後の雇用の不安定化・貧困化は、アキバ事件容疑者のような自棄的な殺人衝動に走る若者、地域における家庭崩壊に伴う親子殺しの当事者たちなどを、多数生み出したが、元厚生省次官殺しにいたって、事態は今やオバマと同年代、40歳代後半の人間をも虚無のなかに狂わせるところまできたかと、戦慄を覚えさせる。彼らにとって、団塊世代までは享受できた安定した老後は、もう手の届かないものなのだ。

 

 それでも歴史は動いていく。そのある部分は進歩に向かう。しかし、別の部分は澱んでオリを溜め、腐臭を放つようになったり、不意に脈絡なく動き、逆流となって歴史を退行に導こうとしたりする。しかし、これまでの歴史をみれば、人はこのような相克を繰り返しつつも、総じてその進歩を追ってきたといえるだろう。

 

 問題は、人間であるならば、自分の行動の選択に当たって、それが進歩に向かうのか、あるいは退行に転じるのか、当然自覚を迫られることになるはずだ、という点だ。為政者にも、政権を選ぶ側の国民にも、ともにそのような自覚は求められているのだ。そして、そうした自覚を、為政者には厳しく求め、国民には共感を喚起しつつ促し、自分の属する国の政治・社会が歴史の進歩に向かうよう働きかけ、万が一の退行による転落を、防ぐように努めるのがメディアの務めというものだろう。

 

 危なっかしさはあるが、アメリカがオバマ大統領を誕生させたことは、それ自体、歴史が前に進むことを予感させる大きな変化といえる。もちろんアフリカ系米国人、黒人の大統領が出現したことの持つ意味だ。日本の新聞各紙もその歴史的意味を、アフリカ系米国人の公民権運動指導者、最後は凶弾に倒れたキング牧師の45年前の演説、「私には夢がある。いつか、私の子どもたち4人が肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ずくる」を引用、オバマがその夢を実現した、と書いた。

 

 だが、それだけではあっさりしすぎる。きれいごとにさえ、感じられてしまう。45年間は空白であったわけでなく、これを一足飛びにしてアメリカン・ドリームが実現したわけでもない。その間の進歩は、遅々とした苦闘の連続―多くの屈辱や絶望、幾たびもの挫折や再起の繰り返しがあり、その積み重ねのうえにあって初めて、オバマ大統領が出現したはずだ。

 

 子どものころ、ストウ夫人の『アンクル・トムズ・ケビン』を読んで感動はしたものの、心中、居心地の悪さが残ったのが忘れられない。自分がつくり出した奴隷の悲惨さを、白人は「人道主義」で告発できるとは!また、M・ミッチェルの『風と共に去りぬ』などでは、寛大な白人の主人と彼(彼女)を慕う忠実な黒人奴隷とが理解し合い、仲よくできるのが一番ハッピーなのだと思わせるところが多く、その読後感もなにか落ち着かないものだった。

 

 しかし、その後、R・ライトやL・ヒューズを読み、R・エリソン、J・ボールドウィンなどに出会うと、アメリカの黒人自身も、そんな欺瞞的な状況からの解放を望み、たたかっていることがわかった。そうした文脈では、キング牧師の運動、さらにはブラック・モスレムのリーダー、マルコムXの暴力主義的な差別撤廃の闘争のほうが、頷けるものがあった。

 

 だから、91年、湾岸戦争でパパ・ブッシュを補佐したC・パウエル、そしてブッシュ・ジュニアに仕えたC・ライスの、2人の黒人国務長官の奮闘ぶりには驚いた。白人エリートの就く高位の職にあり、白人からもその能力は高く評価されていた。だが、そこにもまた私は、ストウ夫人、ミッチェルの世界のなかに感じた影が、落ちているように思えてならなかった。

 

 ところが、オバマは国務長官どころか、大統領になった。ありていに言えば、上に立つ主人はもういないのだ。たいへんな「チェンジ」だ。では、黒人が大統領になったから「チェンジ」なのか。それもなくはないが、アメリカの人気テレビ映画「24-TWENTY FOUR)」では、すでに黒人の大統領が実現していた。

 

 しかし、映画の主役は、あくまでも辣腕の白人捜査官、ジャック・バウアーであり、早すぎた黒人大統領、パーマーは、テロの襲撃などからの庇護を、バウアーたちに求めなければならない立場の人物だった。そこに映し出された社会の全体状況は、アンクル・トム的世界から綺麗さっぱり手を切ったものとはいいがたかった。これでは決定的な「チェンジ」が生じたともいいがたい。

 

 では、なにが「チェンジ」か。初めて大統領候補に名乗りを上げた、キング師後継の黒人公民権運動の指導者、J・ジャクソン師は最初、「オバマには黒人を見下す高慢さがある」と反発を示していた。だが、オバマ大統領当選の報に接すると、感涙にむせび、「黒人」の勝利を喜んだ。なぜ、オバマに対するこだわりが吹っ切れたのだろうか。

 

 オバマを除く、これまでに名前の出たアフリカ系米国人たちのほとんどは、合衆国に生まれ落ちたにせよ、アフリカから北アメリカや中米地区に連れられてきた奴隷の子孫だ。なかには、祖先が奴隷制度時代の逃亡奴隷だったものもいるだろう。多くは、奴隷制度撤廃後に農村から工業都市に移住してきた、貧しい黒人労働者が先祖だったはずだ。

 

 だが、そのもっと先の先祖はわからない。アフリカの暗黒のなかに溶け込んだままだ。そして、黒人パワーが社会的に強まるなか、彼らは自分たちの歴史的アイデンティティにこだわり、主人公、クンタ・キンテが祖先のルーツをアフリカに探したずねるテレビ映画、「ルーツ」に強く惹きつけられた。黒人作家、アレックス・ヘイリーの自伝的小説が原作だ。

 

 こうして彼らはアメリカ社会のなかに、しだいにあるべき市民集団としての姿を現すようになり、社会的地位も高めていったが、「アンクル・トム」の影は、どこまでも執拗につきまとう感じが否めなかった。いくらたたかっても、力いっぱい振り払っても、どんな栄光をかち取っても、意地悪い影はついてくる。

 

 だが、オバマは違った。彼の父の生国・ケニアは、オバマが生まれた1961年にはほぼ植民地状態を脱し、64年には共和国として独立を果たす。父はイスラム教徒だった。母は米カンザス州生まれの白人で、当然キリスト教文化を背景に持つ。若い2人はマルチエスニックな環境のハワイ大学で知り合って結婚した。

 

 その後、両親は離婚、母はインドネシア人地質学者と再婚、オバマは少年時代をジャカルタとハワイで過ごした。ハワイでは母方の実家、白人の祖父母の下で暮らし、高校をそこで終えたあと、最初は米ロサンゼルスの単科大学に留学、その後、ニューヨークのコロンビア大学で政治学を学んだ。さらにハーバード大学のロー・スクール(大学院)に入り、有名な『ハーバード・ロー・レビュー』の編集長も務めた。そこで博士学位をとったあとはシカゴ大学のフェロー(研究員)となり、弁護士資格取得後、弁護士活動に入る。

 

 シカゴでは貧困層の救済に取り組む人権派弁護士として活躍、現在の夫人、弁護士でもあるシカゴ生まれの黒人女性、ミシェル・ロビンソンと知り合い、結婚する。国政の世界には、シカゴが州都のイリノイ州選出の上院議員に当選したことから、足を踏み入れた。地元での活動が評価されたのだ。このようなオバマの個人史には、クンタ・キンテのルーツ探しにおける苦闘や、「アンクル・トム」に由来する暗い影は、かけらもない。

 

 オバマが唱えた「チェンジ」は、彼が、自分はこれからの政治を変えていく、とする意味で叫んだものだ。だが、それ以前に、形質的にアフリカの黒人の血が混じったこの47歳のアメリカ人男性が、彼よりざっと20年以上前にアメリカに生まれたアフリカ系米国人とは、まるで異なる歴史的、また地政学的環境のなかで生まれ、育った存在であることに、注意を払う必要がある。

 

 この約20年のあいだに、世界はグローバリズムの進展に伴い、多国籍・多民族混交型の政治文化を受け入れる環境を、いたるところにつくり出してきたが、元来、多民族型国家として成立したアメリカにはそうした変化がいち早く浸透、オバマのような生い育ちのアフリカ系米国人が登場したのだ。彼個人としてみれば、クンタ・キンテの苦闘も、「アンクル・トム」の暗い影も、そもそも関係ないものだ。

 

 言い換えれば、「チェンジ」は、特段の意識なしに「アンクル・トム」離れした新種のアフリカ系米国人を存在させる環境の変化として、彼が唱えるより先に生じていたのだ。オバマは政治的抱負として「アメリカを変え、そして世界を変える」と語った。だが、先に世界のほうが変わってくれていたのであり、それがアメリカも変えていたから、彼は大統領となり、自分の抱負とする「チェンジ」を唱えることもできた、というのがことの順序だ。

 

 パウエルも、ライスも、そしてジャクソン師も、オバマ大統領の出現に感動、彼を全面的に支持すると語った。だが、それは、彼の政策や能力に打たれてのことというより、自分たちが引きずってきた苦闘の重みや影を、軽々と飛び越えてしまった彼の姿の鮮やかさに打たれた賛嘆にほかならないのではないか。

 

 彼の成功の背後に、自分たちが持ち得なかった、新しい時代の大きな変化、光芒を放つ歴史状況の転換を、彼らは見たのだ。大統領当選を喜ぶ祝いの言葉が、ケニアに住む亡父の係累から、小学校時代のインドネシア人の級友から、そして高校時代のハワイの友人から届く。もちろん母方の白人の親類からもだ。こんなアメリカの大統領がかつてあっただろうか。

 

 人口が増えつつあるヒスパニック系、アジア系の市民の多くも、自分たちが置かれた状況がまだ流動的であるため、その安定化を、彼のいう「チェンジ」に託したいと願い、彼を支持する。

 

 それだけに止まりはしない。白人の国民の多くも、もう過去の歴史に属するとしか思えないブッシュの政治から解放されたいと願い、不安は残るが、新しい可能性を秘めた「チェンジ」へと向かう期待を込めて、オバマに支持を寄せた。そのどれもが、古びた時間を切り裂いて、新しい歴史が現れることを期待し、オバマを眺めることができたからだといえるだろう。

 

 今アメリカで生じている変化には、そうしたすごさがある。たっぷり200年以上もつづいた白人によるコロニアリズムは行き詰まり、それが生んだ矛盾は結果的に、いわゆるポストコロニアリズムの広がりを生み出し、まず世界システムを変えつつあるのが、現在の歴史の転換の大きな特徴となっている。そしてそれは、必然的にどの国の国家の統治にも影響を及ぼさないではおかない。

 

 アメリカは、大英帝国に代わって世界の覇権主義的運営に責任を負い、第2次世界大戦、冷戦対決で勝利を収め、冷戦構造消失のあとは湾岸戦争の勝利を経て世界一極支配の体制をうち立てたかにみえたが、イラク戦争、世界的な金融危機の発生源となり、この体制は瓦解に瀕し、最後のコロニアリズムが終焉を迎えつつあるというのが、この転換期のもう一つの特徴ともいえる。

 

 過剰に世界に干渉してきたアメリカは、その破綻によって生じるポストコロニアリズムの影響も、より大きく被ることになる。実はオバマ大統領の出現は、そうした動向の産物だったのだ。さればこそオバマは、政治的成功をかち取ろうとすれば、必然的に国内外のポストコロニアルの輿望に応え得る政治を続行、かつてない「チェンジ」を追求していかなければならない。

 

 実際にはオバマは、明春、大統領に就任したあと、何度も失敗を繰り返すだろう。伝統的なアメリカの栄光を求めつづける勢力との妥協が必要だし、彼自身もまた、自分のある意味では運命付けられた政治的使命を、十分に自覚しているとは思えないからだ。アフガンの戦力強化で失敗し、金融危機の救済策でも、守旧派の圧力や画策によって、失敗を舐めさせられるおそれがある。

 

 また、対日政策では、これまでよりもっと身勝手な要求を、日本に突きつけることになる可能性も考えられる。だが、その失敗の苦さや、無意味さ、マイナスを学び、すでに「チェンジ」しつつある歴史のエトスの産物として政治指導者、オバマが生まれ、存在しているのだということを理解すれば、彼は自分が選ばれた本来の道に立ち返るはずだ。

 

 もう彼は、後戻りはできない。それは彼の個人的な資質の次元で予想されるものではない。彼を大統領に選び、希望を寄せつつある国内外の新しい政治勢力、ポストコロニアルな世論が彼に覚醒を促さないではおかないからだ。日本も本当は、そうした声を彼に寄せる、有力な国の一つとなるべきではないのか、とする思いが募る。

 

 さて、こうしたオバマのアメリカを考察したあとで、日本の政治の現状を眺めると、なんともいえない暗澹たる気分になる。世界の大きな変化、変革にクロスするところが、あまりにもないからだ。本当にそれはあり得ないものなのだろうか。

 

 私はそうは思わない。日本の戦後体験と平和憲法は、オバマがいつか、新しい世界システムの構想過程で混迷に直面するとき、彼をそこから救出、新しい指針を示す、大きな潜在力を持っている、と考えるからだ。(つづく)