桂敬一/メディアウオッチ(7)/「国民投票法案」そのものが違憲ではないのか 06/06/01

 


「国民投票法案」そのものが違憲ではないのか            

 桂 敬一

  (マスコミ九条の会 桂敬一のメディアウォッチ 第7回06年6月)

 5月26日朝のNHK「おはよう日本」のなかのやりとりだったと思う。与党がこの日の午後、法案を提出することが、ほぼ決まっていた。女性のアナウンサーの質問に対して解説員が日本国憲法本体の改正は、両院の3分の2以上の賛成による議決が必要で、バリアが高く、なかなかできないが、その改正のための国民投票法案は、改憲の手続き法案なので、国会での過半数の可決でやれる。比較的簡単だ。そこでまずこちらからやっていこうという現実的判断があり、今国会に提出されることになったとみられるというような趣旨の説明をしていたのだ。

 

 「またこれだ」と思った。どの新聞も、このテの話を何度も繰り返してきているからだ。しかし、本当にそういうことなのか。

 ◆96条の変更も「憲法改正」ではないか

 現行憲法96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。(以下略)」と、改憲手続きも、はっきり定めている。

 これに従えば与党は、今回の国民投票法案が、この条項に定められている改憲手続きの変更を伴うものとなるのであれば、まずその法案審議自体を、現行の96条そのものの改正作業と位置づけ、それが現に規定するとおりの手続きにしたがって、行っていくのが筋であるはずだ。すなわち、衆参両院それぞれの3分の2以上の賛成で可決し、さらに国民投票にかけ、その過半数の賛成を獲得しなければ、事実上96条に対する憲法改正案である国民投票法案は、実現できない―実現してはいけない、というべきなのだ。

 5月26日に国会に提出された政府与党案、正式の呼び名を「日本国憲法の改正手続きに関する法律案」とする法案を、注意深くみていこう。

 この新法案は、たしかに現行96条が決めてないところを、新たに補って細かく決める、という部分が圧倒的に多い。そこにもいろいろ問題はあるが、ここではそれらの点には、あえて触れない。それらは新しく生じることになった問題だ、とだけいっておく。

 ところで、現行96条の、国民投票は「過半数の賛成を必要とする」と規定する考え方は、賛否いずれかのみを予定するシンプルな発想に基づく(当然無効票は否に参入される)ものである、といってよい。これに対して今回与党案は、無効票は賛否どちらからも排除、そのうえで、「過半数」は有効投票を母数として算定する、というものなのだ。これは、現行の「改正」というべきものではないか。

 ◆よくわからない、国会における「発議」と「可決」の違い

 さらに大きな問題なのが、憲法改正案の「発議」に関する部分だ。与党案では、議員による「憲法改正原案の発議」という行為を、わざわざ取り分けて特定、その「原案の発議」のための、賛成の要件を規定している。すなわち、「衆議院においては議員100人以上、参議院においては議員50人以上の賛成」で、「原案の発議」が認められる、とするのだ。そして、不可解なのが、こうして認められた「改正原案」を、あらためて国会で「可決」し、それを国民投票にかける、としている点だ。

 現行96条は、簡明なものだ。改正原案を議案として「発議」することと、これをさらに「可決」することとの、二重の手間を取るようなものとはされていない。どんな改正案でも、国会に出された以上、衆参両院それぞれにおいて「総議員の三分の二以上」の賛成が得られれば、即「国民に提案してその承認を経」るための「発議」ができたことになる、と読める書き方になっている。

 今回与党案の「可決」のなんとも怪しいところは、その「可決」をもって、現行の「第96条第1項に定める憲法改正の発議をし、国民に提案したものとする」と定めている点だ。しかも、与党案のこの規定の構成を行っている文章からは、現行96条にある肝心の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という文言が、すっかり消え失せている。

 まっとうに解釈すれば、上記の「可決」は、事柄の性格上、もともと現行96条が定める国民投票に委ねるための国会内採決に該当するものなのだから、3分の2以上でなければならない、ということになる。しかし、新法案においては「発議」と「可決」が分離され、こちらの「発議」は、現行における「発議」とは違う意味のものとなったから、現行96条どおりの拘束は受けない、とされる可能性がある。また「可決」のほうは、なんの前提もなく国会での「可決」といえば、通常は過半数でOKのものであるから、そういう理解の仕方でいい、とされるおそれがある。

 ◆メディアはそこのところをぜひはっきりさせよ

 法律的な知識のなさ、新聞などだけでは情報が足りないこと、さらに誤解あるいは曲解があるせいかもしれないが、私は、以上のような点に、どうしてもこだわらざるを得ない。

 具体的には第1に、少なくとも与党案は、実質的に現行96条の憲法改正手続きを、形式的にも内容的にも大きく変更する部分を伴っているのだから、その審議をまっすぐに、現行憲法第96条の改正に該当する事案であるとして行うべきだ、と主張したい。憲法9条(戦争放棄)の改廃とか、環境権など基本的人権の項目追加などを行うとかするだけが、憲法改正なのではない。あらかじめ憲法内で規定されている手続きの改変も、りっぱな憲法改正だ。もしこの法案を、通常の国会における過半数の賛成で成立させるようなことがあれば、その行為自体がルール違反=違憲である、と断じざるを得ない。

 第2として、とくに新法案の「151条」、あるいは同法案要綱の「第六 憲法改正の発議のための国会法の一部改正」の、「一 日本国憲法の改正の発議」(「151条」と同じもの)とされる部分が、既存の国会法の改正に該当する審議事項だ、とされていることにも、大きな疑念を感じる。すなわち、この部分は、在来法の一部改正に過ぎない―国会で過半数が確保できれば、それで可決していい事案だとされ、実際にそう取り扱われることになりかねない雰囲気が感じられるからだ。

 しかし、この部分こそ、新式の「発議」と「可決」との区別を行い、そのセットの仕組みのなかで、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会がこれを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」とする、現行96条の簡明な関係を消滅させ、代わりに、衆院100人以上、参院50人以上という、きわめて少数の議員数で改正案がつくれて、さらにあとは衆参両院過半数だけの「可決」で、これを国民投票にかける改正案とすることができる、とする新システムを生み出しかねない部分なのだ。

 これは、その内容において、現行96条の規定に反するものであるというべきではないか。こういうものを憲法大系の外部につくり、それによって憲法本体内の、他のあらゆる部分の改正をやりやすくするというのは、現行憲法を破壊するに等しいやり方だ。もしかすると、現行96条が定める改正手続きを厳しく適用する改憲作業を通じても、内容的にこれに反する、あるいはこれとは大きく異なる改憲手続き条項が、出現する可能性はある。しかし、それは、同じ憲法大系のなかに位置づけられるものでなければ、ならないはずだ。

 メディアには、これらの問題点を、すっきりわかるように、ぜひ解明してもらいたいものだと思う。改憲に賛成だから、改憲がやりやすくなる手続きなら、多少のことには目をつむってもいい、というのでは困る。反対に、憲法本体の「改悪」阻止に重点を置かなければならないので、些末な手続き問題には構っていられない、というのもおかしい。どちらの立場にあってもメディアは、憲法内のすべての条項の「改正」は、同じ憲法のなかで定められている手続きによって、厳正に進められなければならない、とする原則が守られているかどうか監視する大きな責任を、ともに負っているはずだ。

(終わり)


桂さんから下記のメールが届きました。

そのままま、転載します。WEB上で討論を期待します。

HP管理人

 

5月30日

小林 様  山崎 様

マスコミ九条の会HPの「メディアウオッチ」第7回の原稿をお送りしましたが、同文
を、早稲田の水島朝穂教授に「こういう考え方はおかしいですか」と、きいてみました
。そうしましたら、返事がきました。以下のとおりです。
お知り合いの弁護士さんに、至急、この「メディアウォッチ」を読んでもらうように
、働きかけていただければ、幸いです。

桂 敬一

桂先生
ご意見拝見しました。鋭いご指摘だと思います。憲法研究者はえてして、現にある憲
法の解釈から出発しますが、こういう根源的疑問も大事であると信じます。参考にな
りました。水島朝穂