桂敬一/元東大教授・日本ジャーナリスト会議会員/メディアウォッチ(34)
腹が立つ最近の政治とメディアの年金改革論議 ―若者よ、年寄りがなぜ怒るかを理解してほしい―08/07/01
日本ジャーナリスト会議会員 桂 敬 一
◆新聞「勝ち組」3紙の年金改革提案はどこまで有効か
6月16日、朝日・読売・日経の朝刊に、年金改革に関するこれら3紙のそれぞれの提案内容を、白石真澄関西大教授の司会の下、3紙論説委員が共同で検討する座談会の記事が載った。レイアウト、見出しは多少違うが、中身はまったく同じ、1ページ全部を使った大きな記事だ。この3紙は、例の販売共同化・共同webサイト「あらたにす」立ち上げの業界勝ち組3社だ。サイトではさらに詳しい、座談会全文が読めることも、ぬかりなく宣伝していた。
朝日・読売は従来の保険料方式を土台に置くのに対して、日経は税方式=消費税引き上げを提唱するところが違う。だが、読売は、一番大きい消費税引き上げを提案してもおり、そうして生じた財源を医療・介護を含めた新「社会保障税」に充当せよ、ともいっているので、消費税引き上げ派としては最右翼に位置するメディアといえる。討論内容における3案は、多少の違いはあるが、これまでみたような国や大企業の勝手や不作為によって、厚生年金制度本体がわかりにくい仕組み、痩せ細った社会保障資源と化され、崩壊・消失寸前の状態に陥っているのに、その現実を直視しようとしていない点では、どれもさして変わりがない。
この現実がみえれば、今ある制度を前提として、財源を保険料にするか、税金にするか、などのテクニカルな話で競い合っても、ほとんど意味がないことはわかるはずだ。国民の側からすれば、取られるものが保険料であれ、税金であれ、それは同じものだ。両者を一緒にしたら、所得の4割をはるかに超えるものを国に支払っても、それが育児・子どもの教育、医療・介護、自分の年金、老親の扶養などにどのように還ってくるかが透明でよくわかるから、スウェーデンの市民は高負担にも満足しているのだ。
その透明性は、加入者の所属企業・職業の違い、収入の高下によっても、費用負担や給付の基準が複雑に変わるようなことがなく、システムの単一性、適用の同一性がしっかり保たれていることに由来する。負担力のあるものは多くを負担する。負担力の大小にかかわらず、給付の最低限はだれにも平等に保障する。
そうした社会保障本来のかたちが、しっかり保たれているのだ。こういう仕組みの復元、皆年金の復権を、この座談会の討論者は、自分の属する企業の年金基金組合の解消、そこにおける「特別席」の放棄まで含めて論じていたら、座談会の内容は傾聴に値するものとなっただろう。
◆またドイツの真似する消費税引き上げの乱暴
額賀福志郎財務相は6月29日、NHKテレビの政治討論番組で、増大する社会保障費を「働く世代の負担に全部任せたら、日本の経済は沈没する」と述べ、高齢者も含め国民が幅広く負担する消費税率の引き上げで賄うべきだ、とする考えを披瀝した。論拠として「北欧やドイツも消費税は20%前後になっている。その一方で所得税や法人税を下げているのが世界の姿だ」と語ったが、実に乱暴な議論だ。
ドイツは、ナチ政府がつくった皆年金制度を日本のように、大企業の勝手に応じてぐずぐずに改変したりはしなかった。全国組織に属する勤労者・労働者の要求を基本に、わかりやすい社会保障の仕組みとして発展させてきた。だから消費税が高くても受け入れられているのだ。しかも、低所得者に厳しく跳ね返ってくる、消費税の逆進性を緩和するために、食料・日用品・公共料金などでは非課税あるいは低税率適用の措置が取られている。
上記3紙で、消費税引き上げに一番熱心な読売は、6月20日にも「社会保障会議 消費税も年金も明快に語れ」と社説で政府を督励する始末だ。日経はつねづね、財界の消費税引き上げ論への同調を隠すところがない。このような大新聞の姿勢が、額賀財務相の言いたい放題を許すことにもなっているように思えてしまう。3紙の座談会程度の内容では、政府や政治家の怠慢、勝手を掣肘するどころか、彼らのああでもない、こうでもないの議論の横行に同伴、弥縫策のバリエーションを提供するだけに終わるのではないか。
一見遠いようにみえるかもしれないが、派遣労働の弊害根絶キャンペーンを実施、若い労働者が仕事に希望が見出せる環境をつくり出していくことのほうが、早道のはずだ。若者は、そうなれば、社会保障としての年金にも進んで参加していくだろう。だが、秋葉原事件の10日後=18日に、朝日・読売に、翌日には日経にも、派遣協会の全面意見広告が出たのには驚いた。派遣労働者が安心して働けるようにするというのだが、にわかには信じがたい。
ここでもまた3紙だ。1938年、国家総動員法公布の後、今でいうシンクタンクとして企画院が設置され、さらにその内部に私的集団、「月曜会」が生まれ、革新官僚・軍人が各種国策を練った。ナチの政策の模倣も、彼らがやった疑いがある。新聞勝ち組3紙の果たす役割が、市民から離れ、「月曜会」みたいなものにならなければいいが、と思う。
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早死にし、年金の恩恵が受けられなかった私の兄も、戦争初期に厚生年金保険の礎となったのに、戦争で死ななければならなかった人たちも、自分の遺したものが、本来の年金の社会保障制度としての発展に役立っていくのであれば、もって瞑すべしと思ってくれるはずだ。だが、そうはなっていないのだ。それどころか、犠牲は空しく踏みつけにされ、あとからくる普通の多くの若者を退け、「勝ち組」の利益だけが守られるようなものに、完全につくり変えられようとしている。
だから腹が立つ。兄の死んだときの歳より10歳も余計に年取った私としては、この時間の長さのなかで怒りを感じ、年金についても医療保険についても、かつての安心と希望の拠りどころだった内実を、新しい装いをもって取り返さなければならない、と考える。それは既得権の保守ではない。本質的なものの見極めとその維持、歴史的な復元は、次代の人たち、若い方々のためにこそやらねばならない、年寄りの義務だろうと信ずる。
(終わり)