藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長、 元上智大学教授) 機密費問題とメディアの沈黙10/08/01

 

 

機密費問題とメディアの沈黙

 

藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長、 元上智大学教授)

 

  「機密費がしゃべらせていた評論家」 (「仲畑流万能川柳」 『毎日新聞』 6月12日)。 テレビで活躍中の政治評論家やコメンテーターも、 川柳子にこう揶揄されるようでは格好がつくまい。 もっともなご託宣も、 政府の差しがねと疑われては耳を貸してはもらえない。

 

  ジャーナリストが政府の人間からカネをもらうことは、 職業人として致命的な行為である。 その疑いをかけられるだけでも、 まず確実に信用を失墜する。 それだけに、 複数の政治評論家らに現金で盆暮れの付け届けをしていたという野中広務 ・ 元官房長官の発言は、 ジャーナリズム全体にとってゆるがせにできない問題をはらんでいる。

 

  しかし不思議なことに、 新聞もテレビもいまのところ、 それほど衝撃を受けた様子も見せていない。 これはいったいどうしたことか。

 

「盆暮れに500万円」

 

  野中発言はTBSとのインタビューとして4月に放映され、 そのあと同じ趣旨の講演内容が 『琉球新報』 に報じられた。 官房長官の管理する官房機密費から毎月数千万円の現金が政界工作や情報収集目的のほか、 国会議員の外遊の餞別や評論家への盆暮れの付け届けなどにも支出されていた、 というのである。

 

  このうち評論家への付け届けは 「盆暮れに500万円ずつ」 だったと言い、 「持って行って断られたのは田原総一朗1人」 だったと野中氏は述べた。 ただ受け取った人たちの人数や名前は明らかにしなかった。 政治家から評論家になった人で 「家を新築したから3,000万円の祝い金を小渕首相 (当時) のもとに無心してきたものもあったという。

 

  『朝日新聞』 をはじめいくつかの新聞は5月1日の紙面に、 あまり目立たない扱いで同じ趣旨のことをあっさりと伝えていた。 しかしその後は、 『東京新聞』 が5月18日付の特報面でこの問題の検証記事を掲げたほかは、 6月半ば (本稿執筆時) に至るまで続報らしい続報を伝えていない。

 

  『毎日新聞』 は5月21日付紙面で野中氏とのインタビューをわざわざ伝えているのに、 中身はまったく新味のない記事で終わっている。

 

 『東京新聞』 の特集は数人の評論家らにあたって、 一部の人たちから 「講演料」 や 「原稿料」 を政府や関係機関から受け取ったことがあるとの話を引き出してはいる。 が、 野中発言の 「盆暮れの付け届け」 を認めた人はいない。 野中氏が思わせぶりに語った、 数百万円の付け届けを受け取ったとされる評論家の数や名前には、 依然として厚いヴェールがかかったままだ。

 

あいまいな発言で疑念

 

  野中発言の持つ意味は深刻である。 実際に官房長官を務めた当人の発言だけに、 その内容は信憑性が高い。 しかし受け取った人数や名前など、 具体的な事実をまるっきり伏せているため、 限りなく不確かな憶測や推量をはびこらせる危険がある。 その危険を放置するなら、 野中氏の責任を問わねばならないことになる。

 

  「政治評論家」 と呼ばれる人たちも一様ではない。 独立して評論の筆一本で仕事をしている人もいれば、 テレビ局や新聞社の現場でコメンテーターやコラムニストとして活躍している人たちもいる。 これらの人たち全部が野中発言で指摘された 「評論家」 に含まれるとは思えないが、 野中氏がもう少し具体的な材料を明らかにしない限り、 彼ら全員が読者、 視聴者から疑いの目で見られることになりかねない。

 

  そうなることは現場の記者にとって (もしそれがあらぬ疑いであれば) 耐えがたいことだろうし、 テレビ局や新聞社にとっても受け入れがたいことだろう。 であれば、 メディア各社としては、 野中氏にもっと具体的な事実を公表するよう迫るべきだし、 同時にそれぞれの社内でこの問題に関わりのある人間がいないかどうか、 徹底的に調査する必要があるだろう。

 

  それをしないでいると、 いつまでももやもやした疑心暗鬼が残るだけでなく、 読者、 視聴者の間にメディア全体に対する不信感を一層強めることになる。 新聞の投書欄にもそれを示唆する読者の声がすでに現れている (たとえば 『朝日新聞』 「声」 欄 「言論界への機密費流用追及を」 6月4日)。

 

メディア自身で検証を

 

  野中発言から2ヵ月、 ほとんどのメディアがこの問題で沈黙を守っているのは、 声高に野中氏を問いただせない理由があるからではないか、 とのうがった見方もある。 すねに傷持つ身だから、 下手に野中氏を追及することも社内の調査をすることもできないのだろう、 というものだ。

 

  しかし野中氏が官房長官を務めたのは小渕政権下での1998年夏から翌年秋までの1年余、 その後すでに10年以上が経過している。 昨年夏には政権交代も実現して、 政府とメディアの間の関係も大きく変化している。 仮に野中長官時代に、 政府との間で芳しくない関係を持った記者がいたとしても、 潔く過去の過ちを認めて正せばいい。 事実をあいまいにして、 いまなお政治取材の現場に往時と同じような関係が続いていると疑われることのほうが、 メディアにとってはよほど痛手が大きい。

 

  民主党政権は、 少なくとも自民党政権時代に比べて、 政治とメディアの関係をより透明なものにしようと努めてきた。 鳩山政権の後を継いだ菅政権は、 さらにその透明性を高める方針を打ち出している。 官房機密費の支出についても見直しを求める声が高まり、 政府も検討を約束している。

 

  メディアの側もこの機会に過去の取材慣行や取材源との関係のあり方を再検証し、 やましいものがあればきちんと清算すべきだろう。 なまじ隠したり言い訳をしたりすれば、 かえって読者、 視聴者の不信を買うばかりである。 野中発言に対してメディアが何を考えているのか、 この際、 はっきりとその立場を示すべきではないか。 沈黙は決していい結果をもたらさない。

 

「公共的役割」 果たせ

 

  「政治評論家」 の問題は別にしても、 官房機密費そのものをめぐるメディアの報道も、 腰が引けていて物足りない。 「首相の部屋には毎月1,000万、 自民党の国会対策委員長、 参院幹事長には月500万」 「政界を引退した歴代首相経験者には盆暮れに200万」 「海外旅行する国会議員に50万ないし100万」。 こうして領収書もとらず、 使途も明らかにされない官房機密費を 「毎月5,000万円から7,000万円くらいは使っていた」 と、 野中氏は言う。

 

  これらのカネはどう見ても 「機密費」 にふさわしい使い道に充てられていたとは思えない。 目的外流用の不正支出の疑いが十分ある。 こんなふうに毎年十数億円の税金が使われていることを、 納税者としては黙って見過ごすわけにはいかない。 メディアは当然、 国民に代わって使途を究明し、 不正支出があればその責任をただす努力をしていいはずだが、 そうした努力の結果が報道の形で伝えられている様子はない。

 

  TBSがインタビューを伝えたあとの各新聞の報道ぶりを見ると、 どれも放送の内容を申し訳程度になぞったもので、 TBSの報道をさらに掘り下げたと思われる要素がどこにも見当たらない。 新聞の取材力がそれほど落ちたとは思いたくないが、 放送から一週間以上経ってからの報道としては、 あまりにおざなりすぎる。

 

  おそらく、 官房機密費のはらむ問題がどれほど深刻か、 国民の目線で判断する力と意思が報道の現場に欠けているためだろう。 「評論家」 をめぐるメディア側の思惑が、 その力と意思を殺いでいるのかもしれない。 もしそのことにメディアの現場が気づいていないとすれば、 ニュース報道を担うメディアの役割もいずれ読者、 視聴者から見放される。

 

  官房機密費問題の追及はメディアの 「公共的役割」 の最たるものである。 ワールド ・ カップを大々的に扱うだけで読者、 視聴者を満足させられると思うのは大間違いである。

 

(「メディア展望」 7月1日号より転載)