藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長、 元上智大学教授)首かしげるニュース判断 11/09/04

 

首かしげるニュース判断

藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ 元ワシントン支局長 ・ 元上智大学教授)

 夏の暑さのせいではあるまいが、このところちょっと首をかしげる新聞報道が目についた。共同通信のスポーツ・ニュースにデスクがファンの談話を勝手に加筆したという、1年近く前の出来事が報じられたこと。新聞の人物紹介欄で取り上げた、震災被災地でボランティア活動する「医師」の無免許が発覚したこと。日立製作所と三菱重工業の経営統合協議の合意ができたと報じられた半日後に、話がつぶれてしまったこと―などだ。それぞれはまったく異なる問題をはらんだ記事なのだが、一点共通しているのは、これらの記事を紙面化した各社のニュースの判断基準がどこにあったのか、いまひとつ腑に落ちないことだ。

10ヵ月前の談話「捏造」

 8月2日の『朝日新聞』が伝えた共同通信の「談話捏造」問題は昨年10月の出来事だ。共同では事実が明らかになるとすぐ社内調査を行い、その結果を踏まえて加盟社あてに訂正を送っていた。「捏造」談話を含む記事は共同の加盟新聞4紙が使ったが、4紙は訂正を紙面に載せなかった。『朝日』は9日のメディア欄で再度、この問題を大きく取り上げた。『朝日』が問題としたのは、共同がこの事実を当時、記者会見などで公表しなかったこと、そして加盟新聞4紙が訂正を紙面に載せなかったことだ。

 デスクが勝手に談話を「捏造」する行為はむろん許されない。記事に間違いがあればはっきり訂正すべきだ。それを指摘することは間違っていない。しかし、10ヵ月も以前の出来事をこの段階で蒸し返す意味がどこにあるのか、『朝日』の意図がよくわからない。また2日の報道を受けて同じ内容の記事を半日遅れで伝えた『読売』『毎日』『日本経済』なども、いったいどこにニュースの価値を見出していたのだろう。

 「談話の捏造」を問題にするなら、この運動部デスクが犯した過ちがほかの報道現場でも繰り返される懸念がないかどうか、を検証すべきではないか。架空の談話を捏造することは論外だが、匿名の「関係者」や「目撃者」の談話を取材者の都合に合わせて「加工」されるケースが絶対にないとはいえない現実があるからだ。それを踏まえたうえでの報道なら、意味のある問題提起と言えるのだが、それを欠いた今回の取り上げ方は他社のあらさがし以上のものとは思えない。

ボランティアの無免許医師

 『朝日』12日の朝刊は、10日の「ひと」欄で取り上げた、震災地で医療ボランティア活動をしていた人物が医師の免許を持っていなかったことがわかったとして、お詫びの記事を掲載した。他紙はその日の夕刊でこの事実を伝えていた。この人物はこれより前に日本テレビなどでも震災地の活動家医師として取り上げられていたという。『朝日』が「ひと」欄の取材に際してどのような経歴のチェックなどを行ったかはわからない。素人目には、この人物の活動の背景をもう少し入念に取材しておけばこうした事態は避けられそうに思われるのだが、活動拠点が海外だったというだけに、それが難しかったのかもしれない。被災地で善意のボランティア活動をする「医師」をつい信じてしまった記者やデスクに同情したい気はする。が、新聞でいったん伝えたことの中身に大きな間違いがあれば、少なくとも読者に対しては、現場の事情やその他もろもろの言い訳は通用しない、と心得るべきだろう。

 しかしことが並外れて大きいと、間違いが間違いとされないこともある。『日本経済』が4日朝刊(14版)に1面横見出しぶち抜きで伝えた、日立製作所と三菱重工の「経営統合協議で基本合意」の場合がそれだ。各紙はその日の夕刊1面で、やはり大きくこのニュースを扱った。『日経』によればその日夕方には「基本合意」発表の記者会見が行われるはずだったが、夕刊段階の報道では一転、記者会見は中止された。そればかりか、協議の当事者双方が「(基本合意のような)事実はない」(日立)「決定した事実はなく、合意の予定もない」(三菱)などとコメントし、『日経』の報道に抗議の意思さえ露わにした。『日経』の特ダネはわずか半日足らずでひっくり返ってしまったのである。

ひっくり返った特ダネ

 『日経』の第1報は情報源にはまったく触れず、「3日までに両社の首脳が会談し、基本合意した」と、既定の事実として書き並べていて、まるで日立・三菱両社の発表文を読まされているような感さえ受けた。記事の内容には十分な自信がありそうに見えた。ところが朝刊最終版に掲載された1報以降の新情勢を踏まえた4日夕刊早版段階の紙面になると、「基本合意した」という流れと、「記者会見は先送りに」という流れが一つの記事の中で錯綜し、そこに日立・三菱両社の否定談話が加わって記事そのものが混乱し、第1報の歯切れの良さはすっかり影をひそめてしまった。

 しかし『日経』はそれでもへこたれない。5日朝刊では1面、3面、経済面などで両社が「事業統合の協議を始める」ことを前提にしつつ、この企業再編成の動きについて3本の解説を載せていた。さらに社説では 「統合を産業再興の一歩に」 と題して両社の 「決断を日本の産業力復活の呼び水にしたい」と、この統合への流れを何が何でも実現させたい意向を打ち出していた。他の中央3紙の扱いは「統合への交渉をしていたことがわかった」(『読売』4日夕刊)で始まり、「統合交渉、難航必至」(『毎日』5日朝刊)とつないで、『日経』のように踏み込んだ報道にはなっていない。出遅れたことが結果的に幸いしたのかもしれない。

 当事者が否定しても「協議始まる」という『日経』の自信の根源がどこにあるのかはわからない。ただ読者の側から見ると、「基本合意、きょうにも発表」という形で伝えた『日経』の最初の報道とその後の事態の展開は明らかに大きな食い違いが生じている。少なくとも「基本合意した」というこのニュースの核心部分は誤報だったのではないか、と読者の目には映る。

謙虚さと慎重さ

 いやいや、これは誤報とは言わないのです、と事情通が解説してくれた。合意はできていたのだが、ちょっとしたボタンのかけ違いでへそを曲げたものが出てきて、土壇場で事情が変わったのだ、と。しかし読者の立場で言えば、それは報道する側の屁理屈であって、「基本合意した」という事実がなかったことには間違いない。「事情が変わった」というのは何の説明にもなっていない。『日経』はむろんこれを「誤報」と認めていないし、「訂正」も出していない。その後の紙面を見る限り、報道に齟齬が生じた経緯を読者に十分、説明しているようにも見えない。これでは読者に対して報道する側の責任が果たせたとはとうてい言えそうにない。

 10ヵ月前のスポーツ記事の談話「捏造」には、『朝日』が2度にわたって取り上げるほどのニュース価値がどこにあったのか。 同業他社の不祥事はニュースになる。不祥事の中身やそれを取り上げる意味合いを十分に検証しないまま、報道する。先を越された社もニュースの価値についてそれぞれが判断する前に同調する。そんな安易な姿勢がなかったかどうか。日立・三菱の経営統合「基本合意」の報道が半日足らずで宙に浮く事態を、『日経』はまったく予測しなかったのか。特ダネをあせって情報確認の詰めに手落ちはなかったのか。両社が否定してもなお「協議が始まる」との報道を続ける根拠は何か。報道が混乱した経緯を読者に説明する必要はないのか。こうした読者の疑問に、『日経』はほとんど答えていない。他社の報道のなかにも答えの手がかりは見つからない。

 読者のこうした疑問が積もり積もれば、いずれ新聞に対する大きな不信に転じることが避けられない。新聞には、これらの疑問に可能な限り答えるよう、誠実で開かれた対応を期待したい。

(「メディア展望」 2011年9月号 『メディア談話室』 から転載)