藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)沖縄復帰40年、埋まらぬ溝 12/06/01
沖縄復帰40年、埋まらぬ溝
藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)
1972年5月、沖縄が日本に全面返還されてから40年が経った。先の大戦で敗れた日本が独立を回復したあとも、沖縄は20年にわたって米軍の統治下にあった。多くの日本人にとってはそれもいまや遠い記憶になりつつある。
しかし沖縄の現実は、少なくとも米軍基地とのかかわりにおいて、40年前とほとんど変わっていない。狭い県内に在日米軍基地の74%を抱え、さまざまな基地問題に悩まされつつ、いまだに解決への見通しも立たない事態に、沖縄県民のいら立ちが募っている。そのいら立ちの矛先は、何も変えられない政治に対してだけでなく、沖縄の苦悩に関心の乏しい本土の日本人にも向けられつつあるように見える。
意識され始めた「差別」
復帰40年を前に行われた二つの世論調査に、沖縄県民の本土に対する微妙な気持ちが表れている。一つは沖縄タイムスと朝日新聞が共同で行った調査、もう一つは琉球新報と毎日新聞がやはり合同で実施した調査で、いずれも5月9日付のそれぞれの紙面で伝えられた。
「沖縄・朝日」調査では、「沖縄の基地が減らないのは本土による沖縄への差別だという意見がある」ことについて、「その通りだ」と答えたものが沖縄県では50%を占めたのに対し、全国では29%にとどまった。逆に「そうは思わない」が沖縄で41%、全国では「その通りだ」の2倍の58%となった。
「琉球・毎日」調査では、沖縄県に在日米軍基地の7割以上が集中している現状」について、「不平等だと思う」ものが沖縄では69%に上ったのに対し、全国では半分以下の33%だった。一方、「やむを得ない」としたものは沖縄の22%に比べ、全国では37%と、沖縄の数字を大きく上回った。沖縄への基地の集中を「不平等だ」と感じるのも、ニュアンスに多少の違いはあるものの、「差別」と同じ思いと見ていいだろう。
二つの調査から明らかに読み取れるのは、基地問題をめぐる沖縄県民と本土の日本人の受け止め方の間に、容易に埋めがたい溝があることだ。沖縄タイムスによると、一部の研究者の間ではかねてから基地問題を「構造的差別」と呼ぶことがあった。しかし「差別」が基地問題を語る際に「普通に使われるようになったのは民主党政権誕生以降のこと」という。2009年に登場した鳩山・民主党政権は、普天間基地の「少なくとも県外移設」を公約に掲げていた。しかし政権発足から1年と経たぬ間に、「県外移設」の方針は行き詰まり、退陣に追い込まれた。公約に寄せた沖縄の期待はあっさり裏切られた。基地問題を本土による「差別」や「不平等」ととらえる意識が表出し始めたのはこの時期のことらしい。
沖縄が復帰以降も長らく基地問題で苦難を強いられてきたことを思うと、「差別」「不平等」といった言葉が比較的最近まで本土に向けられなかったことが、むしろ意外でさえある。
最大の原因は政治の不作為
沖縄が本土への反発を強めたきっかけは、普天間基地の県外移設方針の頓挫だけではあるまい。その後の民主党政権の下でも、幾度か普天間の機能の一部海外移転や米海兵隊の一部本土移駐などが米側から提案されたが、本土の関係自治体が受け入れを拒み、日本政府も受け入れなかった。沖縄から見ると、それは「基地問題が本土に拡散しないよう米軍基地をできるだけ沖縄に押し込め」ようとする政府の姿勢と映る。それに対して「保革を問わず『不公平さ』を感じるようになった。それをただすことができない政治の現実を、・・・『差別』という言葉で告発している」と沖縄タイムス社説は指摘する(5月10日)。
沖縄の「基地負担の軽減」は、政治家をはじめ誰もが口にする。しかし実際に自分の住む地域で沖縄の重荷を分担しようという姿勢は、地域の行政にも住民の声にも乏しい。先の「琉球・毎日」調査では、沖縄の米軍基地を自分の住んでいる地域に移すことに対する賛否をきいたところ、賛成24%に対して反対は67%に上った。沖縄への基地集中を「不平等」と答えた人たちの間でも、自分たちの地域への移設には69%が反対だった。これでは本土が沖縄の苦悩を共有し、理解しているとはとうてい言えそうにない。
復帰から40年経ってなおこうした事態に漂着した最大の原因は政治の不作為にある。この40年間の大半の時期を政権の座にあった自民党は、日米安保最優先を錦の御旗に、米国の望むアジア安保体制の維持に協力することにひたすら心を砕いてきた。基地縮小を求める沖縄県民の声にはほとんど耳を傾けようとはしなかった。3年前に政権交代を実現した民主党も、結局はつかの間掲げた普天間県外移設の旗をあっさりたたみ、自民党時代の辺野古移設へと後戻りして恥じるところがない。
長年にわたるこうした政治の不作為を許してきたのが、その政治の担い手を国会に送り込んできたわれわれ本土の選挙民であることは言うまでもない。そして沖縄に対する政治の不作為を支えてきたのは、本土の人たちの無関心と無理解というべきだろう。本土の人たちが沖縄のことを理解していると思うかとの問いに、「そうは思わない」との答えが沖縄では63%に上っている(「沖縄・朝日」調査)。
否めぬメディアの責任
しかし沖縄と本土の間に横たわる深い溝を考えるうえで忘れてならないのは、メディアの果たしてきた役割だろう。本来メディアは、敗戦後、沖縄がおかれた特殊な地位に鑑み、復帰前も復帰後も他の地域に勝って強い関心を持ち、報道してきたはずだった。が、復帰から時間が経つにつれ、いつのころからか常態化した基地の異常性をそのまま受け入れ、現状維持に大きな疑いをはさむことが少なくなってきたのではないか。それが、基地問題をめぐる沖縄のメディアと本土のメディアの間に、知らず知らずのうちに大きな落差を生んだように思えるのである。
その最たる例が、鳩山政権時代の普天間移設をめぐる本土メディアの報道だった。鳩山首相は自民党政権時代にいったんは決まっていた辺野古への移設計画を覆し、「国外、少なくとも県外移転」を訴えた。政権が交代したこの時期は、安保政策上でも民主党として新機軸を打ち出し、普天間問題で米国に対して大胆に交渉のし直しを求める好機だった。
しかし当時、メディアはこぞって新政権の普天間移設方針を非現実的と批判し、辺野古への移設を主張した。東京本社の政治担当はむろん、米国駐在の記者もほとんど筆をそろえて自民党時代の基地政策を維持するよう書きたてた。それはまるで、日本のメディアが米国の利益を代弁して報道しているような観さえ呈していた(本欄2010年5月号)。このとき、本土と沖縄のメディアの間にこのうえなく深い溝があることを感じざるを得なかった。それは本土と沖縄の人々の間の、基地問題、ひいては沖縄の抱える問題全体に対する感性の落差を表すものとも思われた。
沖縄の人たちに「本土による差別」があると言わせ、基地の集中を「不平等、不公平」と感じさせる背景には、こうしたメディアの報道の積み重ねがあったことは否めまい。
いま沖縄では「本土への不信が潮のように広がり、被差別感となって共感しあい、ある種の沖縄ナショナリズムが高まっている」という(朝日新聞5月9日)。先の沖縄タイムスの社説は「本土と沖縄の間に、意識上の『27度線』がいまなお引かれているとしたら、両方にとって不幸なことだ。だが、それが現実である」と言い切っている。
この「現実」をそのまま放置することはできない。「現実」を変えるには政治が動かねばならない。しかし政治に動くよう働きかけるのは、メディアの役割であり責任である。これまで政治の対沖縄政策を追認してきたメディアに、もう怠慢は許されない。
(『メディア展望』2012年6月号より転載・元上智大学教授)