藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)イラク戦争10年目の検証 13/02/04

 

         イラク戦争10年目の検証 13/02/04

藤田博司 (ジャーナリスト・共同通信社社友・元ワシントン支局長)

 米、英がイラクに強引に軍隊を送り込み、サダム・フセイン政権を崩壊させたイラク戦争の開始からこの3月で10年になる。フセイン政権が大量破壊兵器を保有し、国際的テロ組織アルカイダとつながりを持っている、というのが、米英側の戦争に踏み切った大義名分だった。しかしその大義名分はどちらも間違っていたことがほどなく明らかになった。
  戦争は、オバマ政権が一昨年10月米軍戦闘部隊の全面撤退を決めたことで事実上、終結を見た。日本は小泉政権が米国のイラク介入にいち早く支持を表明、国内世論の懸念や反対を押し切って自衛隊をイラクに派遣した。

  公表されない報告
  昨年12月21日、外務省はイラク戦争に関する「検証結果」なるものを公表した。報告は、2002年から03年3月までの間、イラク問題に関して外務省がとった対応は「概ね適切」だった「と思われる」と結論づけている。外務省が言う「対応」の中身は①国際的連帯を重視し、関係国との意思疎通を緊密にし、外交的働きかけに努力した②(首相)官邸を始め、政治サイドに情報を提供し、政治的判断を仰いだ③(外務省内の)関係各局間の連携を強化し、情報収集・共有を図った―などを指している。
  日本の外務省がイラク戦争について検証するとすれば、小泉政権がどのような判断に基づいて自衛隊派遣に踏み切ったのか、その政策決定過程と判断の是非を問うべきだろう。しかし外務省は「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証の対象とするものではな」いとして、報告はもっぱら外務省内の情報収集、分析、広報作業などの「妥当性」を検討するにとどめている。しかも今回公表されたのはA4版紙4ページ分の要約のみで、全文は公表されていない。
  せんじ詰めて言えば、公表された「検証結果」は、米国が主導した「大義なき戦争」に無条件で支持を表明した当時の日本政府の政策判断の是非は一切問わず、外務省内部の実務的な対応が「概ね適切」だったと言っているに過ぎない。まったくの自己満足にすぎないこのような報告に、いったいどれほどの意味があるのか、これを「検証」と呼ぶ当局者の感覚を疑わざるを得ない。
  報告全文を非公開にしていることも解せない。公表資料ではその理由を「そのまま公開した場合には関係国との信頼関係を損なう恐れの高い情報等が含まれている」ため、としている。しかし米国、英国、オランダなどではこれまでに、イラク戦争をめぐる大規模な検証作業が行われており、その結果が公表されている。それ以上に日本の将来の外交活動に支障を生じるような情報があるのかどうか。あるとすれば「関係国」にとってというより、日本外務省にとって不都合な情報が含まれているからではないかと推測されるのである。

  否定された介入の根拠
  この「検証」作業は2011年、民主党政権の松本剛明外相の指示で行われたものとされている。その結果を政権移行期のタイミングに公表したのが意図的なものかどうかはわからないが、結果として政治的どさくさに紛れて、ほとんど注目されなかった。
  イラク戦争の正当性については、開戦当初から軍事介入を主導した米国や英国でも疑問が提起された。米国では議会上院の特別情報委員会や政府調査団による調査が実施され、04年10月には、フセイン政権は大量破壊兵器を保有していなかったことが政府調査団の最終報告として発表された。軍事介入の最大の根拠としていたブッシュ政権の主張が完全に否定されたのである。
  英国では、03年7月に下院外交委員会の報告書が公表され、04年1月と7月にそれぞれ二つの独立委員会による調査報告書が発表された。一連の報告では、イラクの大量破壊兵器保有などをめぐって英政府による意図的な情報操作や政治的利害誘導はなかったとされたものの、大量破壊兵器の存在にまつわる情報が誤っていた事実は動かず、政府部内の情報分析やその扱いが不適切であったことなどが指摘された。
  米、英いずれの調査でも検証作業が高い公開性、透明性の原則の下で進められたことで、その検証結果についても詳細な内容が資料とともに公表されている。
  それに引き替え日本の外務省による「検証」は、時期的に大幅に遅れているだけでなく、当時の政府のイラク派兵の妥当性を検証対象から外し、しかも報告の全文を非公表とする秘密主義をとっている。このことは、検証をまったく無意味にするだけでなく、国民に対する説明責任を拒むものと言わねばならない。

  誤解?「おおむね適切」
  しかし外務省のこうしたやり方がほとんど注目されず、批判もされずにまかり通っている責任の大きな部分は、新聞をはじめとするメディアにもある。12月21日の外務省による発表を翌日の各新聞は、朝日を除いていずれも20行前後のべた記事扱いでしか報じなかった。検証がきわめて不十分であること、報告を非公表にしたことが不適切であることを指摘したものもなかった。
  朝日は3段見出し130行あまりの記事で報じ、発表内容が「検証とは程遠い」と伝えたが、本来公開されてしかるべき報告書の中身が国民の目から隠されていることに対して厳しい批判もせず、その問題性を十分に指摘もしていない。
  読売はわずか20行ほどの記事で、外務省が「当時の政権によるイラク戦争支持について、『おおむね適切』と結論づけた」と伝えた。しかし公表された発表文が「おおむね適切」としたのは、外務省による「外交的働きかけ」や首相官邸への情報提供などの実務上の「対応」についてであって、小泉政権のイラク戦争支持を「おおむね適切」としている記述は発表文のどこにも見当たらない。もしこれが非公開の報告全文の中に含まれているのでもなければ、読売の報道は誤報、控えめに見ても、発表の内容を著しくゆがめた報道と見なさざるを得ない。
  読売はイラク戦争開戦当時から一貫して、米国の武力介入と小泉政権の自衛隊派遣を全面的に支持していた。外務省の「検証結果」を「イラク戦争支持『おおむね適切』」と読み違えたのは、意図的な歪曲というより、自社の論調に合わせ都合よく誤解した結果であったのかもしれない。

  鈍感、吠えない番犬
  それにしても新聞のこの鈍感さはどうだろう。イラクへの自衛隊派遣は、日本の安全保障・外交政策上、歴史的にも重要な転換点であったはずである。その政策決定過程を10年後に当事者が検証した結果を、中身がいかにお粗末だったからとはいえ、これほど軽く扱っていいものか。ましてその中身がほとんど非公開扱いとされたことに、メディアとしてはもう少し敏感に反応し、厳しい批判を加えるべきではなかったのだろうか。
  米、英など戦争を主導した当事国は、当然のことながら早々に議会や独立の第三者による検証、調査を実施し、その結果を公表した。政府や議会だけでなく、報道機関もまた自分たちが当初、政府の誤った情報を基に戦争を後押しする報道を続けたことを反省し、それぞれ独自に過去の報道を検証し、誤った報道の経緯を公表した。
  日本は、政府も報道機関もいまだにイラク戦争に関与した自分たちの振る舞いとその結果について、検証らしい検証もせず、総括らしい総括もしていない。検証作業は、外務省の秘密主義の悪名をすすぐ好機であったはずだが、結果はむしろ、隠ぺい体質の印象を一層強めることになった。
  そしてメディアもまた、権力に従順な、吠えることを忘れた「番犬」の姿を読者、国民の目にさらしたことは否めない。もしメディアが権力の監視役を自負するなら、非公開にされた報告書全文の公開を、いまからでも遅くない、強力に主張すべきだろう。(元上智大学教授)
                    *メディア展望2月号「メディア談話室」より転載