藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長、 元上智大学教授)

内向きの政治とメディア10/10/05

 

 

内向きの政治とメディア

 

藤田博司 (元共同通信論説副委員長 ・ ワシントン支局長 ・ 元上智大学教授)

 

  8月末から2週間ほど米国を訪れ、 中西部カンザス州の田舎とワシントン、 ニューヨークにそれぞれ数日滞在した。 日本ではちょうど民主党の代表選挙がメディアをにぎわしていた時期だったが、 米国ではごく一部の新聞を除いて、 このニュースを目にすることがなかった。

 

  ワシントンで会った幾人かの米国人は、 代表選挙が行われること自体を知らなかった。 日本の政治に関心を寄せるジャーナリストも、 3ヵ月前に幹事長の座を退いた小沢氏が菅首相と党首の座を争っていることの事情をまったく飲み込めないでいた。 日本に対する米国メディアの関心の低さを改めて思い知らされた。

 

矮小な政局報道

 

  実のところ、 米国にとって日本の国際的地位がそれほどに落ちているとは思えない。 米国メディアの日本に対する関心の程度はむしろ不当と言っていいほどに低い。 しかしその現実に目をつむるわけにはいかない。 日本の政治の行方を決める政局に米国のメディアがほとんど関心を払っていない現実は、 軽くない。

 

  問題は、 日本の政治家や官僚がこうした現実をきちんと踏まえてことにあたっているのかどうか、 日米関係を伝える現場の記者たちがこうした状況をしっかりと見据えて報道にあたっているのかどうか、 である。

 

  しばらく日本を離れて (インターネットなどで) 日本の政治ニュースを読んでいると、 菅、 小沢両氏の討論や、 二人を取り巻く政治家たちの発言がいかにも矮小に見える。 財政危機も消費税も重要な争点には違いない。 しかしその議論の中身が政策の枝葉ばかりにこだわっているようで、 日本の将来をどうするのかといった大きな構想が語られていない。 外交政策でも、 国際社会における日本の地位を見据えた議論がなされていない。 米国のメディアが民主党の党首選挙に関心を示さないのも、 むしろ当然と思えてくる。

 

  経済をめぐるニュースでも、 日本の影は薄い。 15年ぶりの円高水準が続いているというのに、 「失われた20年」 から日本経済が立ち直るための戦略がいっこうに見えてこない。 日本国内でもその批判が政府や日銀当局に向けられているくらいだから、 海外にいてはなお頼りない印象ばかりが強くなる。 政治も経済も、 すべてが内向きの議論になっているからだろう。

 

普天間にも無関心

 

  政権の行方に関わる代表選への関心がこの程度だから、 「普天間基地問題」 などになると米国メディアの報道はさらに限られる。 ワシントンのごく一部の専門家は別として、 おそらく米国の政治家も一般国民もこの問題が日米両国にとってどのような意味があるのか、 まった無関心といっても言い過ぎではあるまい。

 

  鳩山政権はこの問題で半年あまり右往左往したあげく、 それまでの自民党政権が米国との間で約束した辺野古への移転を実質的にほぼそのまま受け入れて退陣した。 菅政権は鳩山政権の方針を継承することを明らかにした。 このままでは普天間問題は、 戦後65年たっても何も変わらぬまま残ることになる。 米国側から見れば 「すべて世はこともなし」 。 沖縄の人たちの積年の苦悩など、 問題になりようもない。

 

  本来なら民主党政権は、 昨年9月の政権交代を機に普天間問題に新たに取り組むべきだった。 自民党政権時代の合意を根本から見直して、 米政府との交渉に乗り出す好機だった。 それが両国間に多少の摩擦を生んだとしても、 問題の抜本的な解決を先延ばしするより、 はるかに賢明な方策だった。 しかし鳩山政権がそれに失敗し、 菅政権がその失敗をそのまま受け継いで問題の解決を先送りしようとしている。

 

  問題を解決につなげる第一歩は、 普天間問題の存在をまず米国に伝えることだろう。 日米関係の専門家だけでなく、 議会や一般の世論に働きかけて、 普天間返還の正当性を強力に訴える必要がある。 そしてそのためには、 米国のメディアの関心をこの問題に引き付けなければならない。 もっとも有効な手立ては、 民主党政権が普天間返還を求めて新たな方針を打ち出し、 米政府と交渉する姿勢を明確にすることだ。

 

波風立っても議論を

 

  むろんそれによって米国との間に多少の波風は立つかもしれない。 しかし波風が立つくらいでないと米国のメディアはこの問題に目を向けようとはしないし、 米国の議会や世論への訴えも届かない。 なによりも、 波風が立つことを恐れていては、 日本はいつまでも普天間問題とそれに象徴される日米間のさまざまな問題を、 米政府と対等に議論し交渉できるようにはなれない。

 

  普天間問題や民主党の党首選が米メディアにほとんど関心を持たれていないことには、 日本のメディアの報道にも責任がある。 普天間報道では、 鳩山政権の 「迷走」 ぶりや米国との交渉期限ばかりに焦点が集まり、 日米安保や沖縄の基地問題のあり方を根本から問い直すような報道は少なかった。 普天間が 「対米」 問題だけでなく、 「対日本政府」 「対日本人」 問題を象徴する事柄であることを指摘するような姿勢も、 本土のメディアの報道には乏しかった。

 

  政局報道も両陣営の数合わせ、 人がらみ報道が大きな比重を占め、 長期的な戦略、 構想、 政策を深く掘り下げた報道は、 十分だったとは言い難い。 内向きの政治は政治家や官僚だけの責任ではあるまい。 視野の狭い、 近視眼的な政局報道が政治の内向き志向をあおっていることも間違いあるまい。 普天間をめぐってほとんどのメディアが鳩山政権の 「少なくとも県外移転」 を批判し、 辺野古移転を主張する報道を繰り広げたのも、 その一つの表れと言っていい。

 

魅力ある情報発信を

 

  かつて日米関係は、 米国がくしゃみをすれば日本は肺炎を起こしかねない関係と言われた。 メディアの報道でも、 日本側が米国の事情をこと細かに伝えるのに対して、 米国側は日本のニュースをほとんど伝えない状態が1970年代初めまで続いた。

 

  その後、 日本の経済が大きく拡大、 世界第二の経済大国として米国を脅かす存在になったとみられた80年代後半にかけて、 米国メディアも日本に目を向けた時期が続いた。 しかし90年代に入り、 日本経済が停滞し、 逆に中国の経済成長が際立つようになって、 米国の目は日本を通り過ぎて中国に向かった。 日本の 「失われた20年」 の間に、 米国メディアの関心はすっかり中国に移ってしまった。

 

  メディアの報道が国家間の関係と同じように国の政治力や経済力に左右されるのは当然と言える。 しかし同時に、 情報の発信力にも大きな関わりがあることは否めない。 自国の立場、 主張をより効果的に海外に向けて発信する力である。 政治、 経済に加えて、 文化や芸術も力になる。 これらの力をいかに魅力ある情報として発信するか、 メディアが関わる部分も大きい。

 

  いまの日本の政治や経済には素材そのものに魅力がない。 将来、 国際社会でどのような政治的、 経済的役割を果たそうとしているのか、 他国に耳を傾けさせるような戦略や構想が示されていない。 政治的に、 経済的に、 あるいはその他の分野でも積極的なリーダーシップをとる意欲を、 日本は世界に向かって示していない。

 

  自民党長期支配の崩壊と民主党政権の登場は、 日本の政治に海外の関心を引き付ける絶好の機会だった。 鳩山政権の早期退陣はこの機会に期待をかけた人々を興ざめさせた。 民主党にかけた期待はまだ完全に失われてはいない。 党首選に勝った菅首相はこの機を逃さず、 新しいリーダーシップを発揮しなければならない。

 

(『メディア展望』2010年10月1日  第585号掲載、 「メディア談話室」 から転載)