藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)報道の怠慢、繰り返すな 13/07/03

 

       報道の怠慢、繰り返すな 13/07/03

   藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)

 半世紀以上も前、在日米軍の駐留を憲法違反とした砂川事件判決をめぐり、当時の最高裁長官が駐日米国公使とこっそり会談し、上告審の運び方などについて協議していたことが明らかになった―今年4月、在京各紙は米国の公文書に基づく情報としてそう伝えた。その報道の仕方がいささか正直さと公正さに欠ける、と筆者は先の本欄(本誌5月号)で取り上げた。その後、同趣旨のニュースは5年前に一度報道されたことがある、との指摘を知人からいただいた。

  衝撃のニュース伝えず

 調べてみると、2008年4月30日付の紙面で、毎日、読売、東京の各紙と赤旗が報じていたことがわかった(このほか中国、高知などの一部地方紙も共同通信配信で東京と同じ内容を報道している)。研究者の新原昭治さんが米公文書館の公文書の中から「密談」が行われた事実を突き止めたもので、今年4月に報道された、元山梨学院大学教授の布川玲子さんの発掘した公文書は「密談」の中身をさらに具体的に裏付けたものだった。

 5年前の報道は「密談」の事実が初めて暴露され、衝撃が大きかったせいか、今回の各紙の報道より大きな紙面を割いて伝えられていた。「密談」は、当時の日本の支配層が米国に対していかに卑屈な従属的姿勢をとっていたかをうかがわせる事実だった。戦争に敗れた日本が占領時代を経てようやく独立を回復したばかりの時期だったとはいえ、日本の司法の歴史に消しがたい汚点を残した出来事といって言い過ぎではない。

 しかし不思議なことに、それだけ衝撃的な事実であったにもかかわらず、朝日、日経、産経などの有力紙は5年前にはこの件をほとんど報じていない。公文書が裏付けた事実にニュースとしての価値を見出さなかったのか、あるいは他紙に先を越された悔しさからあえて後追いしなかったのか、理由はわからない。が、いずれであれ、この事実を報道しなかったことは、それぞれの新聞の読者にとっては、知らされてしかるべきニュースを知らされなかったことになる。新聞が読者に対する責任を果たさなかったと見なされても仕方がないだろう。

 このとき報道しなかった新聞が、その後このニュースを独自に掘り下げて伝えようとした形跡もない。データベースによると、朝日では編集委員が週刊誌アエラ(08年5月26日号)で毎日の伝えたこのニュースに触れてはいる。09年3月には砂川事件の被告がこの事件に関する文書の開示を裁判所に請求する動きなどを3回にわたって報じてもいる。ただ同年10月まで「最高裁長官」と「砂川事件」で検索された、合わせて6本の記事はいずれも地方版に掲載されたもので、全国版では伝えられなかった。

  不十分だった改正草案報道

 当然大きく報道されていいはずの重要なニュースを、新聞が無視したり、不当に小さくしか扱わなかったりすることは珍しくない。他社の特ダネをあえて後追いしないというのはよくあることだが、単に問題意識が欠けていたのではと疑われるようなこともある。同じような問題で最近あらためて、やはり変だ、と思わせられるのが、自民党の憲法改正草案をめぐる報道である。

 自民党が改正草案を公表した昨年4月、各紙ともその事実は伝えたが、草案の含む問題性を指摘した報道はほとんどなかった。その後、昨年12月の総選挙で安倍政権が誕生するまで、憲法草案に触れた記事は数えるほどしかない。朝日のデータベースによると、昨年4月以降、今年5月末までの「自民党憲法改正草案」で検索された記事数は88件、うち41件は憲法論議が高まった5月1か月のもの。88件のうち3分の1に当たる29件は地方版の記事である。国の将来に関わる憲法改正、しかも論議を呼ぶ重大な改正条項を含む自民党草案の報道としては、量的に見るだけでもきわめて不十分と思われるが、どうだろう。

 東京新聞はさすがに、自民党改正草案の中身を詳細に検証する連載企画を6月5日から始めている。本来なら、こうした試みがもっと早い時期に、昨年の総選挙以前に、あってしかるべきだった。選挙の争点にしなければならないテーマだった。それがなされなかったのはどう考えても、新聞の大きな怠慢だったと思わざるを得ない。

 96条改正問題の報道についても同じことが言える。安倍首相が「先行改正」を口にし始めた今年4月ごろから新聞の紙面に出る回数が増えたが、自民党は昨年4月の改正草案で96条改正の方針を打ち出していた。しかし新聞はその後の1年、96条を取り上げることはほとんどなかった。

 おそらく昨年暮れの選挙で自民党が大勝し、安倍第2次政権が復活するまで、憲法改正や96条問題がこれほど急テンポで現実の課題になるとは、現場の政治記者たちも考えていなかったのかもしれない。だとすれば、見通しの甘さを反省しなければなるまいし、7月の参院選までに怠慢の埋め合わせに大車輪で取り組むべきだろう。

  不平等な日米地位協定

 最高裁長官と米国公使の「密談」の事実は、当時の日本と米国がまるで植民地と宗主国の関係にあったような錯覚を覚えさせる。多くの日本人にとっては遠い過去の挿話の一つに過ぎまい。が、沖縄がいまおかれた状況を考えると、この挿話がつい最近の出来事のように思われてくる。

 日本は1952年に米国の占領統治を終えて独立を回復した。そのとき日本から切り離された沖縄はそれから20年後に日本に復帰した。しかし沖縄はその後も米軍の基地負担を押し付けられ、米兵の犯罪はじめ基地負担に伴うもろもろの被害に悩まされ続けている。沖縄はことあるごとに、日米両政府と米軍に負担の軽減や事態の改善を求めているが、事態が変わる様子はない。

 変わらない最大の理由は、日本と米国の関係が対等の独立国のそれではなく、実質的に日本は半世紀以上前と同様、米国の植民地に近い状態に置かれているためだとする指摘がある。その根拠は日米安保体制の下で日本に駐留する米軍の地位を定めた「日米地位協定」の中身にある。

 元琉球新報記者の前泊博盛さん(現沖縄国際大学教授)の近著『日米地位協定入門』には、在日米軍に「事実上の治外法権」を与えているこの協定の不平等性、不当性が数多くの事例とともに指摘されている。沖縄ではこれまで繰り返し地位協定改定の交渉を求める声が上がっているが、日本政府は検討する気配すら見せていない。

 地位協定の内容(と、それが結ばれた経緯)を詳細に見ると、少なくとも締結当時の米国が日本を独立国と見なしていたとは思えない。この協定の抜本的な改定を望まない日米の当局者、政治家たちは、まさに半世紀前の最高裁長官が米国公使と「密談」したころのメンタリティをそのまま引きずっていると言ってもいい。地位協定は沖縄だけでなく、日本全土に適用されている。地位協定と基地負担に悩む沖縄が「植民地状態」に置かれているとすれば、日本全土もまた同じ状態にあることを自覚しなければならないだろう。

  感性と問題意識研ぎ澄ませ

 普天間基地の移転でもオスプレイの配備でも、沖縄は繰り返し沖縄の負担軽減を求め、政府に善処を要請してきた。しかし歴代政権は口先で「軽減」を約束するばかりで、沖縄の期待に沿う動きをしたためしがない。本土の新聞も、沖縄の主張や要望を一時的に伝えることはあっても、問題解決に向けて持続的に報道に取り組んだことがない。まして、地位協定の不平等性のように日本にとって重要な問題をはらんだ事実を国民に広く伝える努力もしていない。それは自民党の憲法改正草案や96条改正についていち早く問題性を指摘し詳細を読者に伝えることを怠っていたのと、同じ過ちを繰り返していることにはならないか。

 現場の記者も取材を指揮するデスクも、もっとニュースの感性を研ぎ澄まし、問題意識を耕して、怠慢のそしりを受けることのないよう心してほしいものである。
                   (『メディア展望』「メディア談話室」2013年7月号より転載)