藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)新聞の主張と公正な報道13/12/03
新聞の主張と公正な報道 13/12/03
藤田博司 (共同通信社社友・元共同通信論説副委員長)
わたしたちは日々、新聞やテレビに接することでニュースを知り、それぞれの暮らしや社会の行く末を考える材料を得ている。新聞やテレビは当然、市民の知るべきニュースをバランスよく伝え、市民が自分たちの社会についておおむね共通の認識と理解を共有できるような報道をしているもの、と一般には考えられている。
しかし最近の新聞やテレビの報道を見ると、その前提が大きく崩れかけているように見える。特定の新聞1紙だけを読んでいる読者は、別の新聞1紙だけを読んでいる読者と世の中のありようについてまったく異なるイメージを抱く結果になっているのではないか、と思われるのである。そうだとすれば、メディアは情報、ニュースをバランスよく伝えるという本来の機能を果たしていないとのそしりを受けても仕方がない。
ニュース報道に疑念と不安
そんな疑念と不安を持たせる一つの例が、特定秘密保護法案をめぐるメディアの報道である。本稿執筆時の11月半ば現在、国会で審議中のこの法案の行方は定かではない。政府は今国会でのその成立を最優先課題としているらしい。すでに衆院を通過している国家安全保障会議法案と抱き合わせの法案だが、「知る権利」をはじめ、国民の生活に重要なかかわりを持つ法案として、国会の内外で賛否の激しい議論を巻き起こしている。
しかし東京新聞を含めた中央6紙の紙面を見ていると、秘密保護法案をめぐる紙面の扱いが新聞によってがらりと違う。ごく大ざっぱに言えば、読売、産経、日経は法案が国会に提出された10月25日以降も、特別委員会での審議の経緯や与野党間の駆け引きをあっさり伝える程度で、国会が法案を巡って重大な局面にさしかかっているという印象はほとんど与えない。まして国会の外で法案に反対するデモや集会があちこちで催され、世論が動きつつある空気は紙面にほとんど読み取れない。
一方、朝日、毎日、東京の紙面では、国会での審議の内容が詳しく報じられ、さらにこの法案が国民の知る権利を始め、市民生活のさまざまな側面に与える影響など、法案の問題点が検証されている。弁護士や識者らだけでなく、市民団体などの反対運動の動きなども細かく伝えている。特に11月に入ってからは、3紙とも総合面、社会面などでも連載記事などを通してこの法案に対する批判の調子を強めている。
これらの新聞の報道姿勢はそれぞれの社説の立場を反映したものに過ぎない。読売、産経は基本的に法案を必要と見なし、法案の成立を支持している。朝日など第2のグループの新聞は、法案に真っ向から反対の立場をとり、法案を廃案にするよう求めている。両者の違いは、法案の必要性と危険性をどう評価するかにあるのだが、これほどまでに紙面で大きな差が出てくると、報道のありように疑問も生まれてくる。
社説と独立の報道
この法案に限らず、新聞がさまざまな問題について社説でどのような主張を展開するか、自由である。しかしニュースの報道は社説の主張とは独立して、読者(市民)が必要とする情報を公正に伝えなければならない。新聞の主張に好都合な情報だけでなく、不都合な情報も含めて読者の判断に供する必要がある。そうでなくては公共に奉仕するメディアとしての責任は果たせない。
情報の選択やニュースの伝え方の決定に関わる編集責任者の判断が社説の立場に影響を受けることは不自然ではない。が、主張とニュース報道とはそれぞれ独立した関係にあるというジャーナリズムの基本に立てば、編集責任者はできるだけ社説の立場とは距離をおいて、読者に対する責任を第一義に考えたニュース編集を心がけねばならない。社説の主張に寄り添ったような紙面づくりをしていては、とても独立したジャーナリストの仕事とは言えまい。
特定秘密保護法案を支持する新聞は、秘密保護法の「必要性」に大きな比重を置いた主張を展開している。法案の「危険性」については、知る権利や報道の自由への「配慮」などを要求してはいる。恣意的な秘密の指定や秘密指定の期間などにも「憂慮」を示してはいる。が、「必要性」の主張の前に「配慮」や「憂慮」はあっさり影をひそめてしまう。
これらの新聞では、ニュースの紙面でも「配慮」や「憂慮」に比重を置いた報道はほとんど顔を出していない。現場の記者や編集者に法案の持つ「危険性」にまったく懸念がないとは思えないのだが、具体的な記事の形ではそれが表れない。記者や編集者が自己規制しているのか、あるいは現場が取材、執筆して記事にしても編集責任者の判断で紙面化されないのか。いずれにしても、独立、公正を最上位の規範とするジャーナリズムのあるべき姿とは言えそうにない。
当初は鈍かった反応
秘密保護法案に批判的な新聞にしても、当初からこの法案に敏感に反応していたわけではなかった。昨年末発足した安倍晋三第2次政権が、この法案(当初は秘密保全法案と呼ばれていた)を政権の重要課題と見なし、秋にも国会に提出することは春の段階で伝えられていた。が、メディアはその後もあまり問題にせず、9月初め、法案の骨子が明らかになって初めてその問題性に目を向け始めた(前号「メディア談話室」参照)。
しかし、10月半ばころまでの報道は、もっぱら知る権利や報道の自由への「配慮」がなされるかどうか、法案の中にどのような形で「明記」されるか、などをめぐる自民党と公明党の交渉ばかりに目を奪われていた。成立すれば国民の将来の生活を脅かしかねない、法案の持つ本質的な「危険性」に徹底的に迫る報道は少なかった。法案が防衛や外交だけに関わるものでないことを、一般市民の目線で検証する報道が表れ始めたのは、法案が国会に提出された10月下旬になってからのことだった。
社説での反応も鈍かった。8月半ば以降、10月末までの期間、秘密保護法案を論じた中央6紙の社説は、朝日が4本、毎日、東京各3本、読売2本、産経、日経各1本ある。同時期の地方紙の社説では、信濃毎日が9本、京都4本、北海道、西日本、岐阜、神戸、山陽、南日本などが各3本で秘密保護法案を取り上げている。一部の中央紙より地方紙のほうがこの問題に強い関心を抱いていることがわかる。
11月1日から15日までの社説を見ると、毎日の9本と信濃毎日の7本がずば抜けて多い。毎日は5日以降ほぼ連日、2本社説のうち1本を「秘密保護法案を問う」にあて、法案の問題点を詳細に点検、批判を加えている。この期間、朝日は2本、読売は1本、この法案を論じる社説にあてている。立場があいまいだった日経は11月16日の社説で初めて、現状のままの法案成立に反対を表明した。
圧倒的に反対・批判の地方紙
地方紙の社説は圧倒的に法案に反対ないし批判の立場をとるものが多い。もし新聞の社説が多少とも国民の世論を反映するものとすれば、政府・与党は今国会で法案を強引に成立させる方針を考え直さざるを得ないだろう。ただ彼らが法案支持派の新聞の紙面だけを見ていれば、国民の間に(あるいは新聞の論説委員の間に)これほどまで広く法案への反対、不信、疑念があることには気づかないかもしれない。なぜなら、支持派の紙面にはそうした反対や疑念をうかがわせるニュースがほとんど伝えられていないからである。
新聞の読者についても同じことが言える。そうした読者は反対派の新聞を読んでいる読者とはおそらく今の社会についてまったく別の認識を抱いているかもしれない。それは一方の読者にとってだけでなく、すべての市民、社会全体にとって極めて不幸なことと言わねばならない。その不幸をもたらしている最大の責めはメディア、とりわけ新聞の仕事に携わるものに帰せられるだろう。
(『メディア展望』2013年12月号[メディア談話室]より転載)