鈴木 益邦 新聞OB九条の会幹事 / 【社説ウォッチング】新聞よ、憲法の視点こそ、貫け08/08/28
〔終戦記念日の社説ウォッチング〕
新聞OB九条の会事務局会議
63回目の終戦記念日を迎えた。改めて「不戦の誓い」を胸に刻む日だ。新聞OB9条の会事務局では、恒例の「新聞各紙の社説を検証」しつつ、問題点や情勢の特徴を語り合った。(改行の最初の「 」は各社社説の主題、( )は新聞名、続けて論調の要旨)
■@戦争を語り継ぐ■
「記憶の灯を語り継ぎたい」(北海道)は、沖縄の思いを伝えた。ひめゆり部隊のガマと呼ばれる避難壕の洞窟での日々、学友の死、飢餓と絶望――ドキュメンタリ映画が道内各所で上映された。鑑賞した30代の母親の「子の世代に平和を築くためにも目を背けてはならない。つらい映画なのにパワーをもらいました」と感想を紹介した。
「語られぬ悲劇に思いを」(東奥)は、語りたくても語ることのできない悲劇があったことへ思いをめぐらせよう、と説いた。
「今こそ語り継ぐ時だ」(信濃毎日)は、重い口を開いた元兵士たち。人間が人間らしさを失う戦場、被害者であり加害者でもある体験の核心に迫る真実は、語るものも聞くものも勇気がいる。今も心に傷を抱えて生きる人に、語ってもらう。問われているのは体験を受け継ぐ側の姿勢と覚悟だ、と強調する。
【批判と感想】
A 終戦の時10歳ということは、現在73歳。今や戦争を知らない世代が人口の8割に。風化が恐ろしい。悲惨な戦争をどう伝えるか、どう聞いてもらうかだ。
B 重い口を開く勇気、つらい哀しい話を聞く勇気と人間の思いやりが戦争を語り継ぐ上で大切。国も社会全体もこの心を忘れてはならない。マスコミも一過性ではだめ、人間の全生活に視点を向けろ。不戦の誓いがどういうものか、中身をきっちり語り継ぐべきだ。
C 足元の歴史、祖父母や父母の歴史から戦争の残酷さを学ぶ。こういう視点が社説でリアルに取り上げるようになった。これは大切なことだ。戦争体験のない国民が大勢なんだし…。
A だが、戦争の本質に迫り、教訓を引き出すこと、歴史を現実に生かすこと、誤った歴史観の押付けを見破る力をどう深めて論議するかも大事だ。
B 確かに戦争をテレビゲーム感覚でみる風潮もあるが、一人ひとりの人間の歴史が刻まれていることをしっかり見ないとね。
■A加害者と被害者■
「加害者としての責任を再確認したい」(南日本)は、東条英機(当時の首相)に開戦の決定を許したのは誰でもないわれわれ日本人だ。ともすると日本人は戦争被害者として語るようになっているが、日本がアジアの国々に大きな迷惑をかけた加害者であることを決して忘れてはならない、と説く。
「平和の足元を見つめよう 加害者であり被害者」(京都)は、シベリアに抑留された人たちは、過酷な抑留は当時の軍部が兵力提供を申し入れるなどした国の不当な政策が原因だとして国に損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。原告団は約30人、「棄兵・廃民政策によることは明確」「被害者であると同時に日本はアジアでは加害者であることは忘れてはならない」という。政府はかたくなとも見える姿勢を改めようとしない。人の痛み、悲しみを分かろうとすれば思いやりや想像力がいる。戦争の被害者でもあり加害者でもある日本はとくにそれが求められる、と指摘した。
【批判と感想】
D 個人としては加害者にも、被害者にもなりうるし、なったということもある。が、問題は国としての、社会としての、誰に対する加害か、被害かを、その責任追及と合わせてきっちり考えることじゃないかな。そうでないと終戦直後の「一億総ざんげ」になり、責任の所在があいまいなまま感情論が払拭できないのではないか。
E そこがドイツと違うね。ナチス・ドイツに対するドイツ人やヨーロッパの人たちの対応が示すように、きっちりした処罰の上に反省し、その上で欧州連合を作り上げたように。
B 日本はポツダム宣言受諾の意味をあいまいにし、戦争責任や加害被害をあいまいにして、いまだに戦争を正当化する政治家を選ぶし、持ち上げるマスコミもある。
●B靖国
小泉内閣時の「靖国」問題の喧騒は今はない。
「静かな追悼の日としたい」(読売)は、安倍前首相が参拝を見送り、あいまい戦術をとった。「靖国神社に行く可能性と権利」まで手放してはならないと述懐している。東京裁判で「無罪論」を主張したインド代表判事バル氏の遺族を尋ねていることを紹介。東京裁判は、「勝者の敗者に対する儀式化された復讐」「欧米諸国はその帝国主義と植民地支配に照らして、日本を裁く資格なし」としたバル判事の言い分を解説。靖国合祀・分祀問題をふくめ追悼施設問題の早期決着を求めた。
「過去に深い思いを巡らそう」(山陰中央)「アジアから平和と繁栄を」(岐阜)は、小泉元首相が靖国参拝にこだわったことで、中韓両国との関係が悪化、日本国内にも狭い意味でのナショナリズムが沸き起こった。その後の指導者の交代で関係も改善された。しかし気を許すことはできない。歴史認識問題や竹島の領有権論争が厳然として存在する。火のつき易い問題を炎上させない知恵と気配りが常に必要である、と指摘した。
【批判と感想】
A 福田首相は02年の官房長官時代に、靖国でなく誰もが参列できる無宗教の戦没者(戦災死没者や外国人を含めた戦争被害者全体の)追悼・平和祈念の施設建立の報告書を出したが、靖国派の前に沈黙した。
C 靖国神社は「正しい戦争だった」と戦争肯定の支柱だし、宣伝の場になっている。読売は靖国派安倍元首相の動向だけを取り上げ、こだわり、与党内にもあった靖国以外の追悼施設や批判的問題点の解明にはほっかぶりだ。
B 静かになったとはいえ、現閣僚3人の参拝、国会議員などの集団参拝は行なわれており、靖国派は集結している。気を許せない。
■C中国五輪と平和■
63回の終戦記念日と中国での五輪開催が同時進行。平和な祭典オリンピックの成功を喜ぶ思いと大国中国の愛国心高揚に一抹の不安と危惧をもつ国民感情について論じる傾向が目立った。今年の特徴だ。
「嫌日と嫌中を越えて」(朝日)は、嫌日感情がまたいつか噴出すか、五輪の熱戦を楽しみにしつつもそんな不安がなかなかぬぐえない。戦争を知らない若い世代の嫌日とは何か、中国大学生は「日本人はよく軍部の独走といった逃げ口上を用いるが、日本は日本、別物ではない。体制は連続している」という。また「日本を主導する政治思潮は軍国主義と大半が見ている」など学生調査を紹介。日本社会の嫌中感情にも似た側面があるかもしれない。中国の現実よりも思い込みや毒入りギョウザ事件に影響されやすい。
大国化する中国への反感と閉そく感から抜け出せない日本自身へのいらだち。嫌中と嫌日は今の日中関係を映し、共鳴し合っている。認識のずれを探り、柔軟な心で双方の「違い」に向き合っていく、それが結局、信頼と友情を手にするための王道。様々な摩擦があるだろうが、嫌日と嫌中がぶつかり合うのは不毛である。五輪が象徴する中国の台頭は、日中関係にも新たな発想を迫っている。と結んだ。
「平和を呼びかける語り部に」(北日本)は、北京五輪は史上最多の204の国・地域が参加。正々堂々と戦い、終われば笑顔で握手を交わす選手たち、その姿は実にすがすがしい。平和友好を築く貴重な機会でもある。この五輪を妨害するかのようなテロ行為が頻発、中国政府の対少数民族政策への反発が噴出した。グルジアではロシアとの軍事衝突が起きた。多数の住民らの命が奪われている。平和の祭典と戦争。何とも皮肉な絵巻が繰り広げられている。これが世界の現実だ、と嘆いた。
「五輪と政治 それでも非戦の夢託したい」(河北)は、五輪の夢は政治に振り回され続けてきた。〜国家の強権発動の前に五輪はあまりにもろくみえる。しかしそれでも、五輪が開かれ続けること、頼りなくはあっても世界の平和の度合いを測る指標の一つとして、存在し続けることに意味を見出したい、と強調した。
「隣の国と歴史をともに」(信濃毎日)は、人・モノ・カネが行き交う中国と韓国と日本。普段は平穏な隣同士だが「愛国心」という厄介な火種がくすぶっている。愛国心自体を否定するつもりはない。だが、「それが疑心暗鬼や恐怖心、誤った情報と結びつくと醜悪なものとなる」と学者は指摘している。一歩誤れば制御不能に陥る。政治家や国家が愛国心を強調する危険性に十分注意しなければならない、と警告した。
【批判と感想】
A 中国五輪の特徴、五輪と政治がらみ、スポーツの産業化、報道の問題などそれぞれの問題点を考える必要がある。「平和なスポーツ祭典」だが、いつも「国際政治」に翻弄されてきた。そしてナショナリズム高揚に利用されてきた歴史があり、今も引きづっている。最近はスポーツの商業主義化、五輪大型興行化が進み、契約、広告もケタ外れに大型化している。国別メタル数で見る。スポーツの崇高な理念、人間性重視よりも選手のメタル数で評価する傾向が強まっている。メタルに至る人間の努力の姿、勇気をくれる素晴らしい生き様に焦点を当てて伝えてほしい。マスコミ報道も同じ欠陥をもっている。
B 開催前からチベット問題、ギョーザ問題、環境や人権、さらに地震災害まで中国に対する不信・不安が増幅した。それに加えて大国中国の国家の威信をかけた大掛かりな取り組みに急速な経済発展への脅威や妬みが重なった。平和と友好のスポーツ祭典という以上に、メディアは「嫌中」をことあるごとに増幅させた。
D いや、中国の人権、言論とメディア規制、貧富の格差、偽装などポスト五輪の中国問題は、隣人日本としても注目しないとね。
■D日米同盟、国際協力■
「日米の絆を確かめたい」(産経)は、中国の国力を誇示することを最大の目的にしたような五輪。中国の強大化を世界中が良くも悪くも無視できなくなってきた。米国世論が中国に傾斜していくことは避けられない。日米同盟より6ヵ国など多国間の交渉に重点を置く流れを止めるのは容易でない。日米同盟への疑念が生じても仕方あるまい。日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や領土問題で敵対する韓国などと多国間の枠組みを選ぶとなれば、日本は孤立の道を歩むことになる。
米国の「変心」に備えて、「自立性」を強めることも大切。だがその前にやるべきことは、給油の継続など日米同盟の成果を示し、日米の絆を確かめることだ。中国や北朝鮮などの同盟への揺さぶりや弱体化させる動きは封じていかなければならぬ、と主張した。
「日本独自の国際協力を」(毎日)は、「テロ時代」を重視する。日本は国連維持活動(PKO)など国際協力に積極的に参加すべきだ。一国平和主義から脱して世界の平和に責任分担すべきだ。だが、国際協力と対米協力は区分けする必要がある。米国との同盟は日本外交の機軸であり、同盟を確かなものにする努力を怠ってはなるまい。しかしそれは何もかも米国に追従することを意味しない。対米追随では評価されず、日本の國際的地位も高まらない。確かに日本の対米依存は骨がらみだ。困難でも自前の国際協力のあり方を構想する時期である、と結んだ。
「描こう平和の大きな絵」(信濃毎日)は、歴史の反省から、やり残した課題が多い、3点を挙げる。第一は「不戦」の決意を訴え続ける取り組みだ。日本が再び脅威にならないことを世界の人々に納得してもらう努力だ。第二は、緊急課題として日米安保条約の適切な運用だ。条約は日本の安全を守り、アジアの安定を保つ装置としての役目を果たしてきた。アジア諸国も日本が軍事大国にしない歯止めとして、条約を事実上、容認してきた。
ところが安保条約を変質させ、日本を米国の軍事戦略に協力させる「日本防衛からアジア太平洋地域安定の基礎」に変えた。条約は差し当たり維持するとしても、専守防衛の原則が欠かせない。将来的には日、中、韓に米とロを加えた5ヵ国の安全保障対話の枠組みに置き換える可能性を探るべきだ。第三は政治、経済、環境など各項にわたる地域協力である。〜問題は日米同盟の強化が軍事的一体化を加速するようではアジア諸国の警戒をむしろ招く。
欧州統合の歩みに学ぶところが多い。今の欧州連合(EU)に至った道だ。日中韓の連携がカギになる。3ヵ国が信頼の糸で結ばれれば可能性は大きく広がる。日本はそのとき初めて戦争の歴史を克服できる。その先にアジア連合(AU)を構想することも夢物語でなくなる。〜政府間レベルで摩擦が起きても、市民レベルの信頼の糸が結ばれていれば大丈夫だ。われわれ一人ひとりが、戦争の歴史を見据え続けることが出発点になる、と強調した。
【批判と感想】
A 産経に代表される日米軍事同盟堅持路線は、世界の多極化と平和共同体への流れ、紛争は武力によらず平和的に解決する、この流れが主流になりつつあることがみえていない。方向性を失った孤立路線だ。国民が燃料高騰で休漁や倒産まで出ている時に戦争のため無償の給油継続とは何事だ。
B 信濃毎日の主張は、重要な指摘だ。世界の流れにそって見ていると思う。確かに日米軍事同盟の変質など論議が必要だ。やはり、基本は憲法9条の理念に立脚していることが大事だ。
C 毎日の主張はその点であいまいだと思う。結局自衛隊の海外派兵に道を開くことに、手を貸すことにならないか。
■E貧困と資本主義の破局■
「人間中心主義に帰れ」(東京中日)は、資本主義の暴走と破局、自由とヒューマニズムを強調した。破滅に至る15年戦争の熱狂はどこからきたのか。略奪や侵略が当たり前だった帝国主義の時代だった。欧米列国への恐怖と不安、長年の鬱積が一気に噴出した。軍のマスコミ工作もあった。この時代は世界大恐慌の暗雲が立ち込めていた。第2次世界大戦のもう一つの側面も資本主義の暴走と破局であった。今、グローバル経済の行方が気がかりだ。
一握りの勝者と多くの敗者、効率追求から低賃金、過激労働、雇用不安を世界に広げ、多くの国で社会保障の削減となり、石油、食料が投機対象となる貪欲と無節操は帝国主義時代さながらだ。〜自由とヒューマニズムこそ戦後日本の立脚点、人間のための社会経済システムや社会保障体制が一刻も早く再構築されなければならない。人間を雇用調整の部品や在庫調整の商品並みにあつかったのでは資本主義の敗北で未来があるとも思えない。
あの戦争で多くの若者が日本の未来を信じることで不条理の死の慰めとした。私たち一人ひとりは戦争と地続きのなかで、かけがえのない人生を生きている。他人と歴史に無関心で、それすら忘れてしまったら、戦後の日本は不毛になってしまう、と真剣に人生と向き合うことを強調した。
「平和への責務が日本に」(秋田魁)は、かつて国土が焦土と化し唯一の被爆国ともなった日本には、世界の国民が平和を享受できるよう、国際社会に強く呼びかけ続ける責務がある。核兵器であれ通常兵器であれ強力な殺傷力に訴える戦争は、非人道的な行為に他ならない。〜しかし国際的に見れば、長く米国の保護の下で復興を果たし平和を謳歌している日本の世界に対する発言力は実に弱く、説得力を持たない。経済大国となった現在は、様々な面で社会は破たんを来たしている。戦後の軌跡を振り返り対米関係の在り方行く末をじっくりと考える時期に来ているのではないか、と指摘した。
【批判と感想】
C 憲法前文の平和に生きる権利とその具体的保障の9条と、憲法25条の社会的生存権保障は一体のものだ。
B それに根ざした労働の権利も言論表現の自由権も一体だ。人間のための社会経済システムは憲法が生かされるシステムと考えるべきだ。資本主義体制の下でもきっちり民主的に憲法を全社会生活の根本にすえる。その貪欲な無節操な資本主義を国民の力で社会的に縛りをかける必要があると思う。
E 憲法というルールを忘れた資本主義に、まともなルールで規制をかける。市民の力で民主的に改革するということだね。
A 戦前、戦中、戦後と苦汁の中で今の日本を再建した高齢者への冷たい仕打ちはひどい。年金も医療も教育も労働も農業も破壊してきた政治は変えるしかない。
■F憲法9条を高らかに■
「それでも非戦の夢を託したい」(河北)は、(前述の五輪と政治に続けて)〜日本は戦後第1回のロンドン五輪(48年)で排除された。憲法9条に非戦の希求を掲げた戦後社会の歩みが国際社会に受け入れられなければ東京(64年)の開催はなかった。憲法の非戦の理念もまた、国家間の冷徹な政治力学の前にはもろく映る。でも、9条があり続けること、他国から見れば日本社会の変化を測る目安であることの重みを忘れたくない。歴史と現実の両方に目を向けながら、非戦の夢を語り継ぎたい。この夢は戦後社会が手放さずにきた意志でもある。
「平和と繁栄のアジアを」(茨城)は、憲法は無謀な戦争を二度と繰り返さないことを宣言した。以来、わが国は一度も戦火に見舞われず自衛隊が海外に派遣されるようになってからも武力紛争に巻き込まれることはなかった。この戦後の歩みを肯定的に評価し、平和憲法にうたわれている戦争放棄の精神は永遠に高くかかげたい、と決意をかためている。(同様な決意は、岐阜、山陰中央、愛媛などの地方紙に共通している)。
「見直したい不戦の力」(中国)は、平和主義を脅かす影が徐々に広がっているようにも見える。「専守防衛」の枠からはみ出す恐れのあるミサイル防衛(MD)は、憲法が禁じている集団的自衛権の行使に当たりはしないか。憲法論議を置き去りに実態が先行する実態は危うい。在日米軍再編を契機に軍事協力が深まり、国際テロなどグローバルな脅威への共同対応は「専守防衛」と違う次元へ踏み出すことだ。米国一辺倒の安全保障政策を徐々に見直す時機だろう、と強調した。
「平和を世界に広めたい」(徳島)は、9条は時代に合わないというが、世論調査でも「改正する必要がない」が大きく上回った。9条の理念は守り続けたい。武力だけで平和は守れないことはイラク戦争などが示している。米国では核兵器廃絶を求める機運もようやく高まってきた。軍縮の進展につなげたい。多国間での安全保障体制づくりも急ぐ必要がある。日本は「東アジア共同体」の実現を目指す。日本は唯一の被爆国、戦争放棄を掲げる国だ。平和憲法の理念がアジアから世界に広がるよう、政府は強いリーダーシップを発揮すべきだ、と主張した。
「加害者としての責任を再確認したい」(南日本)は、周辺国との対話重要。戦後、新憲法で平和を誓った日本は、一度も戦火に見舞われることはなかった。積み重ねてきた平和をさらに持続させるには、加害者としての責任を意識するとともに、周辺国との対話を怠らないことだ。日中韓がしっかり手を携えることができれば、アジアの恒久平和も夢ではない、と促した。
「平和と平等を問い直す」(沖縄)は、戦後社会がはぐくんできた「平和と平等」という価値観が大きく揺らいでいるのは間違いない。福祉国家の解体が進み、新自由主義思想が台頭した。多発テロを機にテロ特措法、武力攻撃事態処置法が成立した。「世界の中の日米安保同盟」と、なし崩しに安保条約を飛び越えようとしている。これは憲法前文や9条の理念とは異なり平和な国造りを、米国の国益に引きずられ歪められてしまう。もう一度締めなおすべきだ。新聞社の使命としてこれからも愚直に訴えていく、と決意を述べた。
「節目の日に『非戦』を考える/恒久平和を誓う『国民宣言』を」(琉球)は、ポツダム宣言受託の日を重視する。ポ宣言は、現在の自由と民主主義を基本とする国造りの基本を示していた。軍国主義勢力の除去、軍隊の完全な武装解除、戦争犯罪人の処罰、平和的な傾向を持つ責任ある政府の樹立を義務付けた。そしてこれらが終了後に速やかな占領軍(米軍)の撤収を宣言している。63年後の今日、宣言が破壊した「戦争遂行能力」を持つ軍隊を復活させ、有事法を整え、海外に派兵し、平和憲法の改悪すら射程に入れている。いま、「新たな戦争」を回避し、恒久平和を誓う「国民宣言」が必要な時期を迎えている、とした。
【批判と感想】
B 全体に平和への危機感と9条の非戦を守り、平和を生かす取り組みと展望について提起した主張が目立ってきているが、まだまだ一部だ。
A 確かに、世界の平和の流れに確信を持った主張は少なく、展望についても「夢」「願望」に終わっている。
C 核廃絶でも思うことは、核保有国の核廃絶をどう実現するかだ。北朝鮮の核拡散阻止だけが取りざたされるが、インドの核は容認援助というのはおかしい。9条と同時に核廃絶の運動と一体で進めなくては。広島・長崎平和宣言の宣伝と新しい核廃絶の署名運動が大事だ。
D 日本が「核の傘」の中にいつまでいるのか、対外的にも、新聞論調でも説得力がなく「夢」「願望」で終わってしまう。
E それはジャーナリストの世界と歴史を見る洞察力、憲法の立場に立った科学的思考の不足じゃないか。また国民的論議、草の根からの運動、われわれの取り組み不足を反映していると思う。
D 現実の世界の紛争、戦争、テロの多発をみると悲観的に陥る。希望も持てなくなる。しかし、核廃絶にしろ、平和の共同体の前進にしろ、9条を守る運動にしろ、前向きの変化を見て取り組みを強めるそれぞれのやり方で、学びながら、連帯することで道は開かれる。
■G若者へのメッセージ■
「鎮魂の季節を世界と共有」(宮崎日日)は、戦後生まれが人口の8割近くに達し戦争の実相を知る世代が残り少なくなったからこそ、国家として戦争の記憶を風化させない努力が求められる。日本が米国を相手に戦ったことさえ知らない若者が増えているという。知らない若者が悪いのではなく、きちんと教えてこなかった親世代の責任だ、と問いかけた。
「悲惨さを伝える努力を」(佐賀)は、「具体的な体験を読んだり聞いたりしないと、想像することは難しい。映画や小説の戦争作品は多いが大半は悲惨さよりもかっこよさや英雄ぶりを強調している。若者は悲惨さに目をそむけやすい。秋葉原の通り魔事件に見られるように、最近の若者の犯罪は「誰でもいいから殺したかった。社会に不満があった」など、取るに足らない理由で起こしているケースが多い。彼らにとっては戦争の悲惨さは無縁であり死がどういうものであるかも全く理解していない、と警告した。
「人間中心主義に帰れ」(東京中日)は、〜「貧困大国アメリカ」の衝撃は、貧困ゆえに教育や就職の機会を奪われ、軍にリクルートされる高校生、短大、大学生の詳細なリポートだ。テロとの戦いの大義を問う前に、若者たちにとってイラク戦争は生活のための戦いに出ることが紹介されている。日本人の青年はいう「人間らしく生きのびるための生存権を失った時、9条の精神より目の前のパンに手が伸びるのは人間として当たり前だ」と。貧困と生活のおびえに平和の理念も吹っ飛ぶ。と貧困格差の中での若者の苦悩を指摘した。
【批判と感想】
A 若者は漫然としているわけでない。派遣労働にしろ、過酷な労働にしても立ち上がる姿があるし、核廃絶の原水禁大会でも、「世界9条会議」でも若者が多数参加してきている。
D 親世代、祖父母世代のわれわれ高齢者には、若者との対話は難しい。爺ちゃんの頑張り、爺ちゃんの真剣さ、爺ちゃんの温かさが、必ず若者に通じると思う。
B 若者の悲惨な事件多発で若者不信が広がった。若者の「無能・馬鹿」を売り物にしてテレビで映し出す。頑張る若者に焦点を当てた、勇気を鼓舞するメディアの努力も大事だ。
(まとめ・鈴木益邦)