梅田正己/編集者/小泉政治5年間が残したもの/06/09/01

 


小泉政治5年間が残したもの

  ――自衛隊「参戦」・有事立法・日米軍事同盟の深化

               梅田 正己(編集者。著書『「非戦の国」が崩れゆく』他)

9月末、小泉政権が幕を閉じるのを前にして、小泉時代とは何だったのか、小泉政治の5年間は何をもたらしたのか、いろいろ語られている。

「郵政改革」をはじめ、いわゆる「構造改革」をめぐる評価が議論の中心だが、しかし私は、それよりも安保・防衛問題こそ、小泉政権が最大の“業績”を挙げた領域だったと考える。

小泉政権が安保・防衛に関して重大な政策を次々と打ち出し、実行に移していった背景に、小泉首相が政権についた2001年の秋、9・11という空前の出来事の勃発があったのはたしかである。

9月20日、ブッシュ大統領が「対テロ総力戦」を宣言した後、同月25日、小泉首相はワシントンに飛んで大統領と会談、米国へのできる限りの貢献と、そのための「新法」の制定を約束した。

 

そして10月末、テロ対策特別措置法が成立すると、補給艦とそれを護衛する護衛艦を出動させて、アフガニスタンのタリバン政権攻撃のために作戦行動中の米英軍の艦船に対する給油活動を開始した。つまり日本の自衛隊は、軍艦を動かすのに不可欠の燃料の補給という後方支援(兵站)活動を通じて、発足以来はじめて戦争に参加(参戦)したのである(この海上自衛隊による給油活動は、すでに4年半がたった現在もなお続行されている)。

アフガン攻撃につづいて、03年3月20日、米英両軍はフセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っているという口実をもうけて、イラクへの攻撃を開始した。同じ日、小泉首相は緊急記者会見を開き、米国のイラク攻撃への「理解」と「支持」を表明した。

その後、米国からは、同盟国・日本に対する具体的な「支持」行動が求められる。今度は「後方支援」ではなく、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上部隊の派遣)が米国の要求である。

7月26日、自衛隊をイラクへ送り出すためのイラク特別措置法が成立した。しかしイラクでは激しい戦闘が続いている。全土が戦場と化したイラクへ、憲法で武力の行使を禁じられた自衛隊をどんな形で送り出すか、政府は模索を重ねたすえ、年を越した04年1月、ついに陸上自衛隊の先遣隊をイラクへ送る。以後、イラク南部サマワでの陸自の「復興支援活動」は、06年7月の撤収まで二年半にわたって三ヵ月交代で続けられ、約5500人の自衛隊員が「戦場」を体験したのだった。

なおこのイラク戦争には、航空自衛隊も輸送部隊を派遣し、輸送活動で参加した。「戦闘」こそなかったが、陸海空の三自衛隊が、このアフガン戦争・イラク戦争において、発足以来はじめて「戦争」に直接かかわり、「戦場」の空気を呼吸したのである。その自衛隊の最高指揮監督権者は、いうまでもなく小泉首相であった(自衛隊法第7条)。

このように自衛隊を戦地へおもむかせる一方で、小泉政権が手を打っていったのが有事立法だ。

02年4月17日、小泉内閣は有事関連3法案を国会へ提出した。武力攻撃事態対処法案、自衛隊法改正案、安保保障会議設置法改正案の3つである。

このうち国会でもっぱら取り上げられたのが武力攻撃事態法案だったが、論議の中で法案の杜撰と欠陥が明らかとなり、政府答弁はしばしば立ち往生した。最も根本的な問題は、なぜいま有事法なのか、という疑問であったが、これに対し小泉首相の口からは「備えあれば憂いなし」のことわざが繰り返されるだけだった。

この後、有事法案の審議は、小泉首相の突然の北朝鮮訪問や米英のイラク攻撃開始などもあり、半年以上も棚上げになるが、年を越した翌03年5月、野党の民主党ももともと有事法制に賛同していたこともあって、自民党の久間・政調会長代理(元防衛庁長官)と民主党「次の内閣」の前原・安保相による1週間の密室協議により修正協議が合意に達し、6月、衆参ともに9割の国会議員の賛成を得て成立したのだった。

自民・民主の修正協議が決着した日の夜、小泉首相は上機嫌でこう語ったという。

「有事法案で民主党が賛成してくれることになった。かつては安保問題で国論を二分していたことを考えれば、隔世の感がある。今日は記念日だ」(読売新聞、03・5・14)

「首相はいい気分で“卒業旅行中”であるが…」

かつて「有事立法」という言葉は、最も鋭く「平和憲法」を食い破る言葉として、自民党にとってもタブーとされてきた。そのため、1978年以来、防衛庁・自衛隊内部では有事法制の研究に手を染め、その検討結果がまとめられていたにもかかわらず、それは法案化されることなくお蔵入りとなっていた。その防衛庁・自衛隊にとっては20数年来の懸案だった有事立法が、小泉政権によって一挙に実現されたわけだ。「隔世の感」はまさに実感だったにちがいない。

このあと、成立した武力攻撃事態法との関連で、この後も国民保護法や米軍行動関連措置法(武力攻撃事態等に際しての米軍の円滑な行動を保障するための法)などが次々と制定されていった。

こうして小泉政権は、対外政策としては、陸海空自衛隊のアフガン戦争・イラク戦争への「参戦」、国内にあっては有事立法の実現により、日本の「国のかたち」に大きな変更を加えたのだった。そしてもう一つ、今後の日本の安保・防衛政策の枠組みを決定する国家間の約束を、米国との間に取り結んだのだ。「日米同盟――未来のための変革と再編」合意文書である。

これにより、米軍と自衛隊の一体化は、「軍事的癒着」としか言いようのないほどに深まり、結果として、自衛隊は米軍のアジア太平洋戦略の中に完全に組み込まれることになる。

なお、この「日米同盟」がその設計図どおりに作動するためには、自衛隊を固く拘束している憲法9条2項の廃棄が絶対の条件になるが、その9条2項を削除した改憲草案も、「小泉総裁」の下の自民党ですでに作成され、発表された(昨年10月末)。この改憲が実現すると同時に、新たな「日米同盟」が生きて動き始めるのである。

以上に見たように、安保・防衛政策における小泉政権の5年間の“業績”には改めて目をみはらざるを得ない。歴代の政権の中でこれに匹敵する大仕事をなしとげた政権としては、日本の再軍備から保安隊をへて自衛隊発足までを担当した「ワンマン宰相」吉田茂政権くらいであろう。小泉首相は、中曽根元首相のように「戦後政治の総決算」などと呼号はしなかったが、実質的に自衛隊の宿願であった懸案を一挙に解決したのである。

自民党の次期総裁としては、安倍官房長官が“勝ち馬”として独走態勢に入った。安倍氏の政権公約の柱は「改憲と教育」である。まさに、小泉政権が敷設した「軍事国家への軌道」を完成させることを公言したと見なくてはならない。