梅田正己/ジャーナリスト/カギはやはり米朝直接協議だった 、半世紀の歴史的懸案、ついに解決へ!/07/02/20
梅田 正己(ジャーナリスト。近著『変貌する自衛隊と日米同盟』)
2月13日、北京で開かれていた北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議は、ついに合意文書の採択に成功した。
閉幕式を前に横一列に並んで手を重ね合わせる各国主席代表の顔には、そろって安堵と喜びの笑みが浮かんでいた。
ヒル米国主席代表は、米朝国交正常化の作業部会のため北朝鮮主席代表の金桂寛外務次官をニューヨークに招待したことを明らかにし、一方、韓国はさっそく2月27日から、7カ月間中断していた南北閣僚級会談を平壌で再開することを北朝鮮との実務者会議で決めた。
6カ国協議で直接の問題となったのは、核問題である。しかしその背後には、歴史的な懸案事項が横たわっていた。何か。
米国と北朝鮮との「敵対関係」である。朝鮮戦争で互いに大量の血を流し合った北朝鮮と米国は、国際法的にはいまだ「敵国」どうしなのだ。
1953年7月27日、朝鮮戦争の「停戦」協定が調印された。
調印したのは、南側が国連軍司令官の肩書きを併せ持つマーク・クラーク米軍司令官、北側が北朝鮮人民軍最高司令官の金日成と、50年10月、国連軍が鴨緑江に迫ってきた危機感から参戦した中国人民義勇軍司令官の澎徳懐だった。
韓国軍司令官がこれに加わっていないのは、50年6月に朝鮮戦争が勃発してまもない7月、李承晩・韓国大統領が韓国軍の指揮権を米軍司令官(当時はマッカーサー)に譲渡していたためだ。そのため、それから半世紀以上がたった現在も、韓国軍の戦時の指揮権は在韓米軍の司令官にゆだねられている。
それにしても、この3国の軍司令官が調印したのは、戦争を終結させる平和条約ではなく、一時的な「停戦協定」でしかなかった。
米国と、北朝鮮・中国との間には、依然として潜在的敵対関係が続いていたのである。
その後、このうち米国と中国の関係は、1972年のニクソン大統領の訪中によって国交正常化の扉が開けられ、79年には米中は国交を樹立した。
残る敵対関係は、米国と北朝鮮の関係だけとなった。
しかもこの歴史的敵対関係の上に、ブッシュ政権は北朝鮮をさして「悪の枢軸」の1国、打倒すべき「テロ支援国家」のレッテルを貼り付けたのだった。これにより、潜在的敵対関係は、いつ火を噴いてもおかしくない敵対関係へと浮上した。
昨年7月、北朝鮮は連続してミサイル発射実験を行い、10月には核実験を行って、世界を震撼させた。
どうして北朝鮮は、世界から非難を浴びるような暴挙をあえて立て続けに行うのか?
理由は、ミサイル発射の後、当時の安倍官房長官も言ったように、「米国との直接対話を求めて」だった。
10月初めの核実験の際も、北朝鮮外務省の声明は、米国との直接対話を通じての「朝米敵対関係の清算」を求めていた。
このころまでは、ブッシュ政権は北朝鮮との直接交渉については、頭から突っぱねていた。
しかし、中間選挙での敗北と、加えて泥沼化したイラク情勢の行き詰まりが、このかたくなだった姿勢を変えた。
年が変わって1月、米朝代表はベルリンで互いの大使館を訪問し合って会談、さらに北京に場所を移して金融制裁解除について協議、ここから一挙に水が流れ初め、今回の6カ国協議による北京「合意」となったのである。
ミサイル発射や核実験によって米国との直接対話・直接交渉を求めた北朝鮮のやり方は、瀬戸際外交だと言われる。一歩まちがえば谷底に転落しかねない綱渡り外交である。
しかし、米国との交渉を抜きにして米国との関係が改善されることはあり得ず、米国の承認なしに北朝鮮が国際社会に復帰することができなかったのも事実である。
瀬戸際外交はしたたかだったと言わざるを得ない。
さて、合意文書には5つの作業部会が設けられることになっている。
そのうちの2は「米朝国交正常化」であり、3が「日朝国交正常化」に関する作業部会である。
「米朝国交正常化」については、次のように述べられている。
《北朝鮮と米国は、未解決の二国間の問題を解決し、完全な外交関係を目指すための二国間の協議を開始する。》
《米国は、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する作業を開始するとともに、北朝鮮に対する対敵国通商法の適用を終了する作業を進める。》
米朝間の「未解決の二国間の問題」とは、言うまでもなく朝鮮戦争の後始末である。停戦協定によって、いまだ潜在的敵対関係にある両国が、平和条約を締結することによって敵対関係を終結させ、国交正常化を実現することである。
今回の6カ国協議の前面に立てられた課題は、核問題だった。しかしその背後には、米朝の半世紀にわたる敵対関係の終結という歴史的な懸案事項が横たわっており、今回の6カ国合意で、その歴史的懸案がついに解決へ向かって動き出したということなのである。
なお「日朝国交正常化」については、こう述べられている。
《北朝鮮と日本は、平壌宣言に従って、不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として、国交を正常化するための措置をとるため、二国間の協議を開始する。》
文中、「不幸な過去を清算し」「懸案事項を解決する」と述べられている。
「不幸な過去」が日本による植民地支配を指していることは平壌宣言を見ても分かるし、「懸案事項」に拉致問題が含まれることはこれまでの経過から見てだれも否定できないだろう。
つまり、今回の6カ国合意には、日朝関係においても、60年を超えて放置してきた植民地支配の過去の清算にようやく踏みだしたという歴史的な意味が込められているのだ。
拉致問題も、これではたしてどれだけの進展が望めるのか、それはわからない。しかし、国際的に見守られるなかで交渉の場が設定されたことは、重要な一歩だと考えるべきではないか。
アヘン戦争によって幕を上げた東北アジアの近代は、帝国主義の時代はもとより第二次大戦後も激動が続き、平和と安定を享受することはなかった。
今やっと、6カ国合意によって、東北アジアの平和と安定が確保されようとしている。
そのことの歴史的な意味を、私たちはもっと声を大にして語るべきではないかと思う。