梅田正己/編集者/ “ヒゲの隊長”の「超法規発言」/07/08/17
“ヒゲの隊長”の「超法規発言」
梅田 正己(書籍編集者)
「集団的自衛権」について検討する安倍首相の私的諮問機関「有識者懇談会」が、首相官邸の会議室を使い、安倍首相自身も参加して精力的に検討を重ねている。秋には報告書を提出する予定だ。安倍首相の提起した「4類型」のうち、日本上空をアメリカに向かって飛んでゆくミサイルを自衛隊が撃ち落とせるかという問題、公海上を並走していたアメリカの軍艦が攻撃されたとき、自衛艦は応戦できないのかという問題の検討はすでに終わったらしい。
次は、外国で自衛隊が人道支援活動を行っていた際、一緒に活動していた外国の部隊が攻撃されたとき、自衛隊は駆けつけて応戦できないのか、という問題だ。「有識者懇談会」では予定どおり自衛隊による応戦を「認めるべきだ」の意見が相次いだが、これに加え、自衛隊の側からも強力な賛同意見が飛び出してきた。陸上自衛隊のイラク派遣・先遣隊の指揮官で“ヒゲの隊長”として有名になり、今回の参院選で自民党参議院議員となった佐藤正久氏だ。
TBSニュースサイト(8月10日)によると、JNNの取材に対し、佐藤氏はこう述べたそうだ。「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」そして佐藤氏は、もしオランダ軍が攻撃を受ければ、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」という状況を作り出すことで、憲法に違反しない形で警護するつもりだったという。なぜなら――「(戦闘に)巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手を差し伸べるべきだというときは(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば、喜んで裁かれてやろうと」この発言の“問題性”を正確に知るためには、「イラク特措法」を見る必要がある。周知のように、自衛隊のイラク派遣は「イラク特措法」にもとづく。ところが、イラクは当時も今も全土が「戦場」だ。「戦場」に出れば、自衛隊はいやおうなく戦闘行為に巻き込まれ、巻き込まれたらいやおうなく(憲法9条で禁じられている)「武力による威嚇又は武力の行使」を強いられることになる。そのため、イラク特措法では、自衛隊の活動する地域は「非戦闘地域」に限定された。次のとおりだ。第2条(基本原則)「現に戦闘行為が行われておらず、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる……地域において実施するものとする」そしてさらに、人道復興支援活動中に「戦闘行為」が近づいてきたら、さっさと活動を中止し、避難せよとの条項も付け加えられた。
次のとおりだ。第8条(対応措置の実施)6 ……当該活動を実施している場所の近傍において、戦闘行為が行われるに至った場合又は付近の状況等に照らして戦闘行為が行われることが予測される場合には、当該活動の実施を一時休止し又は避難するなどして当該戦闘行為による危険を回避しつつ……措置を待つものとする」このようにイラク特措法は、出かけてゆく自衛隊員に対して、徹底して、「戦闘行為に巻き込まれるな」「戦場から遠ざかれ」と命じている。したがって、武器の使用も、自分や同僚、また職務遂行の関係で自分の管理下に入った者などの身体・生命を防護するためにやむを得ないと判断される場合に限って認められた。しかも、その場合の武器使用も、刑法36条(正当防衛)、37条(緊急避難)に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならないと定められている。このようにイラク特措法の下、自衛隊は徹底して「戦わない軍隊」「戦いを避ける軍隊」としてイラクへ出て行ったのである。先遣隊の指揮官だった佐藤氏は、もちろんそのことを百も承知していたはずだ。しかし一方、この指揮官は、「戦わない自衛隊」の護衛役をつとめてくれたオランダ軍が攻撃されたときは、駆けつけて一緒に戦うのだと心に決めていたという。それには、イラク特措法の武器使用の禁止条項を何とかしてかいくぐらなくてはならない。その一つの方法が、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、あえて巻き込まれる」ことだったというわけだ。戦闘行為に巻き込まれたら、自分たちの生命を守るために武器を使用することができる。「正当防衛」「緊急避難」だったといえば、“敵”に危害を与えることもできる。つまり、オランダ軍を支援して戦うことができる、と佐藤隊長は考えていたわけだ。しかしイラク特措法の武器使用の規定は、正確にはこう書かれている。「……生命又は身体を防衛するためにやむを得ない必要があると認める相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で……武器を使用することができる」あくまで生命・身体を防護する場合に限り武器使用を認めるのだと、くどいくらいに念を押して法律には書かれている。ところが隊長は、その条項を逆手にとって、自ら「正当防衛・緊急避難の状況を作りだして」武力行使に突入してゆくつもりだったというのである。“ヒゲの隊長”はその人なつこい笑顔で人気者になった。その笑顔の下で、彼は、いざという時には、イラク特措法という法律を確信犯的に踏み破るつもりで、イラク出動の先頭に立ったのだ。それが咎められた時には――「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」覚悟を決めて。今から約30年前の1978年、自衛隊のトップである栗栖弘臣・統合幕僚会議議長が週刊誌のインタビューに答え、もしも外国から奇襲攻撃を受けた際は、有事法制がないのだから自衛隊は「第一線の指揮官の判断で超法規的に行動するしかない」と言い切った。
いわゆる「超法規発言」である。自衛隊のトップが公然と法を踏み破ると言ってのけたのだから、当然大問題となる。1週間後、栗栖統幕議長は金丸防衛庁長官によって解任されたが、しかしその「超法規発言」はしっかりと政治的効果を挙げた。時の福田内閣は、防衛庁内部で公然と有事法制の研究を開始し、その成果が、25年後の小泉内閣で、有事立法の一環としての「自衛隊法の大改定」となって実を結んだのである。今回の“ヒゲの隊長”の発言も「超法規発言」である。イラク特措法に従って、自分はイラクへ行くが、そのイラク特措法は初めから踏み破るつもりだったと公言したからだ。陸上自衛隊が初めて「戦場」へ出てゆく、その先遣隊長に抜擢された自衛隊のエリート幹部にとって、法律というものはその程度のものにすぎなかったのだ。しかもそのエリート幹部が、今や政権党の国会議員となっている。今回、安倍首相が「有識者懇談会」に検討を委ねた「4類型」の設問は、現行の法律に照らせば、すべて「違法」であることがハッキリしている問題ばかりだ。にもかかわらず、わざわざ結論の見え透いている「有識者懇談会」なるものを作って検討させているのは、「一緒に活動している外国の軍隊を見殺しにできるんですか!」という俗耳に入りやすい議論を導入することにより、憲法9条を源流に、この半世紀をかけてつくられてきた「武力行使抑制の法体系」(私の造語)を根底から突き崩したいためだ。今回の佐藤参院議員の「超法規発言」は、この自民党総裁の“私兵”を使っての“憲法乗っ取り”に対する、自衛隊側からの支持表明にほかならない。この発言の危険な本質に着目し、正面から取り組むマスメディアは、この国にないのだろうか。