梅田 正己(書籍編集者)
防衛省の守屋武昌・前事務次官の腐敗行為が次々と明るみに出てきつつあった10月23日、仲井真弘多(なかいま・ひろかず)沖縄県知事は県庁での記者会見で、防衛省に対する怒りをぶちまけた。こんな具合だ。
「基地移設は地元の理解と協力なしに進めることは絶対無理と考える。進め方としておかしい。ただ手続きを進めればいいというのは、まったく意味がわからない。68年生きてきたが、こういう進め方は初めてだ」(琉球新報、10月24日付から。以下も同じ)
知事が「進め方」といっているのは、例の沖縄本島北部・辺野古に計画している米海兵隊航空基地建設のための手続きの「進め方」のことだ。
サンゴの海を埋め立てて造る航空基地は、環境破壊や爆音被害をはじめ住民の暮らしに決定的な影響を及ぼす。そこで政府は、沖縄県と関係市町村も加わって、「普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会」を設置し、そこで地元の意見も聞きながら事業を進めてゆくことを約束した。
ところが防衛省は、その協議会を1回も開くことなく、法律に定められている手続き――環境影響評価(アセスメント)方法書の公告・縦覧や、その環境アセス方法書に対する住民意見の概要書の県への提出などを、一方的に行ってきた。
これに対し、知事は、これまでそれらの受け取りを保留してきたが、ただ保留するだけで意見を述べないでいると、異議なしととらえられ、地元の意見は無視されたまま事業が進められてしまうという危機感から、23日、この問題についての「知事コメント」を発表した。
その記者会見で、知事は防衛省に対し積もり積もった怒りを爆発させたのである。
「知事コメント」の最後は、このような強い調子で結ばれている。
「なお、防衛省のこのような強行により、アセス手続きのやり直しなど移設作業に遅れが生じたとしても、すべて防衛省の責任であることを自覚すべきであると申し添えておく」
この末尾の文言について、記者会見でその異例の激しさを指摘された知事は、こう答えている。
「(この文言を)入れるべきか、迷った。沖縄悪者論というか、沖縄のせいで(移設作業を)やり直しているという響きを、東京に行くと感じる。『冗談でしょう』というのが正直な気持ちだ。
東京から遠いというだけで、防衛省が責任を地元に押し付けるのは、普通は考えにくい。一種の地域蔑視、差別用語に近い響きを感じる。『沖縄は一つ譲ると、(増長して要求が)次々出てくる』という失礼で侮辱的な表現をわれわれに使うのが許されていいのか。
(コメントの最後に書いた)『防衛省の責任』うんぬんという恥ずかしいことは、普通は言わない。あの人たちの鈍感さ(から)ここまで言っておかないと、ということだ」
周知のように、この仲井真知事は保守の側に立つ知事である。普天間基地の辺野古への移設自体には反対していない。昨年11月の知事選でも、現在の日米合意案のV字型滑走路を取りやめ、基地全体を沖合へ移すという案を公約に掲げて当選した。
その仲井真知事が、防衛省のやり方に対し、このように激しく怒りを爆発させている。現職の知事でありながら、「沖縄差別」を公的な場で口にしたのは、この仲井真知事が初めてではないかと思う。いったい、知事の胸の底には何があるのだろうか――。
去る9月29日、沖縄・宜野湾市において、教科書検定での文科省による修正意見の撤回と記述の回復を要求する県民大会が挙行された。
参集した県民は11万人。12年前、米兵による少女暴行事件をきっかけに基地撤去と日米地位協定の改定を求めた県民大会の8万5千人を大きく超えた。
何が、かくも多くの沖縄県民を大会場に向かわせたのだろうか。
旧知の新崎盛暉・沖縄大学名誉教授に尋ねると、「いつまでもなめられてたまるか」「馬鹿にするな」という感情ではないかという意見だった。
私にもわかるような気がする。今年6月に出版した本に、私は著者の吉田健正さんと相談の上、『「軍事植民地」沖縄』という書名をつけた。
私が「軍事植民地」という言葉を知ったのは、作家の大城立裕さんの文章からだ。
大城さんは、2年前の文章で、「これまで自分は沖縄を語るのに軍事植民地という言葉を遠慮がちに使ってきたが、これからはもう遠慮はすまいと思う」と書いていた。
沖縄の基地負担を軽減しなくてはならない。政府はそう言い続けてきた。しかし基地の縮小はすすまない。少女暴行事件後の島ぐるみ運動によって日米政府間で結ばれたSACO合意でも、若干の返還はあったが、実態は老朽化した施設の更新、新鋭化だ。
沖縄の「軍事植民地」状態は、何と62年も続いている。しかも、いつまで、という見通しもない。見通しがないどころか、新たな海兵隊航空基地には軍港も併設される。つまり、半永久的に要塞化されるのだ。
「馬鹿にするな!」正常な感覚を持った人ならば、そう思わずにはいられまい。
仲井真知事の防衛省に対する激しい怒りの底にも、この「いつまでもなめられてたまるか」「馬鹿にするな!」の沖縄人(うちなーんちゅ)としての感情が渦を巻いていたのではないか。
知事の記者会見は、県庁で行われた。沖縄県庁の記者クラブには、地元のメディアのほかに、全国紙の支局も入っている。私自身も一昨年の暮れ、「米軍・自衛隊再編」に抗議する沖縄人33人の本を緊急出版した際、そこで記者会見をやったので、よく知っている。
しかし、異例、異常とも言えるこの仲井真知事の中央政府(防衛省)に対する怒りは、本土のマスメディアでは伝えられなかった。恐らく、沖縄の支局から原稿は送ったが、本社のデスクによって屑籠に放り込まれたのだろう。
仲井真知事の怒りは、決して政府だけに向けられたものではない。
《追記》 10月27日付の朝日に、「政府、沖縄と修復へ一歩」という記事が出た。
「福田政権が、安倍政権でこじれた沖縄との関係修復に動き始めた。1月から途絶える米軍普天間飛行場の移設協議会の再開を決定」した、という記事だ。
仲井真知事の怒りの会見が、さすがに福田首相の耳に入ったのだろう。