武力行使抑制の法体系
梅田 正己
補給支援特措法案(新テロ特措法案)が国会で審議中だ。自民党はこの法案の成否が今国会最大の課題だといっている。
しかし私がここで書こうとしているのは、この法案が抱えている問題やその行方についてではない。法案の条文そのものについての話だ。
――自衛隊の補給艦がインド洋で他国の軍艦に給油活動をやっている。どこかその近くに、ミサイルが飛んできたとする。すると自衛艦は、ただちに活動を中断し、さっさと安全地帯に避難しなくてはならない。
本当か?と思う人が多いに違いない。仮にも軍艦だ。まして護衛艦(駆逐艦)が2隻、守っている。それなのにどこか近くにミサイルが落ちたくらいで作業を中止して引き上げるなんて、そんなことが実際にできるのか?
しかし条文にはハッキリそう書かれている。第五条の5項だ。
《…当該補給支援活動を実施している場所の近傍において、戦闘行為が行われるに至った場合又は付近の状況等に照らして戦闘行為が行われることが予測される場合には、当該補給支援活動の実施を一時休止し又は避難するなどして当該戦闘行為による危険を回避しつつ、前項の規定による措置(注:防衛大臣の指示)を待つものとする。》
この条項は、今回はじめて入ったものではない。六年前のテロ特措法にも全く同文の条項があったし、その後に制定されたイラク特措法にも同趣旨の条項がある。それらより先、自衛隊が実際の作戦行動に参加することを想定した最初の法律、周辺事態法にも、自衛隊が活動できる「後方地域」についてこう規定されていた(第三条の3項)。
《…現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じ戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海及びその上空の範囲をいう。》
要するに、少しでも硝煙の臭いがしたら装備・装具を片付けて撤収しなくてはならないというわけだ。
では、なぜ自衛隊はこのように神経質なほど「戦闘行為」に背を向け、回避するのか。その源流は自衛隊法にある。
自衛隊法で「武力行使」が認められているのは外部から攻撃を受けた際の「防衛出動」だけであるが、その場合も「事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならない」とされているのだ(八八条)。実態は軍隊でありながら、その武力を無制限に行使してはならないという「武力行使の抑制」が、自衛隊の発足時から法律に埋め込まれたのである。
理由は、憲法九条2項にある。戦力の保持を禁じられながら、「自衛のための必要最小限の実力組織」として辛うじて存在を認められた自衛隊は、自国の防衛のためでも武力の行使は必要限度内にとどめ、まして海外での武力行使は論外(したがって武力行使を迫られる戦闘行為はひたすら回避する)とされたのである。
こうして、自衛隊法から武力攻撃事態法、周辺事態法、テロ対策特措法、イラク特措法の全てをつらぬく原則として、武力行使の抑制―戦闘行為の回避が条文に書き込まれている。武器使用についても、国外に出た自衛隊員に対しては警察官以上の厳しい制限が課されている。
この武器使用の制限を含め、とくに海外に出る自衛隊に固い縛りをかけている諸法律の条項を、私は「武力行使抑制の法体系」と呼んでいる。そしてこの「法体系」は、いま述べたように九条2項から生まれた。憲法九条は一本杉のように孤立して立っているのではない。ガジュマルの木が枝や幹から気根を派生させ、それらが支柱となって木の全体を支えているように、九条もこの60年の間に生み出した「武力行使抑制の法体系」と共に自らを支えているのだ。
今年五月、安倍前首相が作った集団的自衛権を検討するための「有識者懇談会」の正式名称は、マスメディアは殆んど注意を払わなかったが、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」といった。この「安全保障の法的基盤」こそが私の言う「武力行使抑制の法体系」のことであり、集団的自衛権をハンマーに使ってこの「法体系」をぶち壊し、新たな法的基盤を「再構築」しようというのがこの「有識者懇談会」の目的だったのである。
安倍政権の挫折でこの「有識者懇談会」も休眠状態に入ったが、情勢次第でいつでも動き出すだろう。「武力行使抑制の法体系」をなぎ払った後は、もちろん自民党憲法草案が示しているように、九条2項という幹の切り倒しにかかるのである。