kyu梅田正己/編集者/ 日本の国際協力に武力はどこまで必要か/08/03/29

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  日本の国際協力に

  武力はどこまで必要か

 

               書籍編集者  梅田 正己

 

「日本の国際協力に武力はどこまで必要か」。18字と長いが、本の書名である。このたび私が企画・編集して出版した(伊勢崎賢治=編著、4月1日発売、高文研、本体1600円)。

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編著者の伊勢崎氏は、国際NGOで長年活動した後、2000年より国連幹部として、東チモール、シエラレオネ(西アフリカ)で民兵の武装解除に当たり、さらに02年より外務省特別顧問となって日本政府が引き受けた「軍閥」に対する武装解除の指揮をとった。

アフガンでの武装解除を完了させて帰国、現在は東京外語大大学院教授として、「平和構築・紛争予防講座」を担当している。

 

さて、本書を読み始めて、読者が恐らく真っ先に驚くのは、アフガニスタンでの「対テロ戦争」の一環として行われていたはずの海上自衛隊によるインド洋での給油活動が、肝心のアフガン現地では全く知られていなかったという事実だろう。

 

昨年の秋から年末にかけての臨時国会で最大の問題となったのが、10月末で期限切れとなった給油活動を復活させるための新テロ特措法だった。野党の反対で窮地に立った福田内閣は、参院で否決された法案を衆院の3分の2以上の賛成で再議決するという57年ぶりの非常手段を行使して強行成立させたのだった。

政府・与党にとって、この法案がどんなに重要だったか、新テロ特措法が成立した翌日の読売社説(1月12日)はこう書いていた。

 

《一時的とはいえ、アフガニスタン内外で40か国以上が参加する「テロとの戦い」から離脱し、国際社会の一員としての責任を放棄したことは、日本への信頼感を損ねた。そのマイナスは、決して小さくはあるまい。》

 

ところが、である。日本国内ではこれほど大問題となった、このインド洋での給油活動が、伊勢崎氏によれば、アフガン現地ではカルザイ大統領をはじめ政府の要人たちさえ長いこと知らなかったというのだ。

悲劇というより、これは喜劇というべきだろう。

 

さらに読み進めてゆくと、日本が実は、アフガニスタンの復興支援にとって、給油活動などとは較べ物にならないくらいの重要な役割を果たしたことを教えられる。

先にも書いたが、本書の著者、伊勢崎賢治氏が外務省の特別顧問として現地に派遣されて指揮をとり、日本が断然多額の資金を提供して実施した「武装解除」である。

 

国家機構が崩壊した国にとって、復興の土台となるのが治安対策による安全の確保だが、その出発点となるのが残存武装勢力に対する武装解除である。アフガニスタンの場合は、戦車や大砲など重火器とともに多数の私兵を擁する「軍閥」がその対象となった。

この最も重要かつ最も困難な任務を引き受けたのが日本政府であり、現地でその指揮をとったのが、東チモールやアフリカのシエラレオネで武装解除の経験を積んだ本書の著者だったのである。

 

この武装解除の完了によって生まれたのが、新政府の国防軍であり、それを最も歓迎したのが、泥沼化したアフガン戦争をどう収束させるか、「出口戦略」に頭を悩ませているアメリカだった。

したがって、伊勢崎氏はこう言い切るのだ。

「アフガンにおいては、日本は資金も出したし、やるべきことはやったのです。……かりにインド洋の給油を終了したとしても、日本には後ろ指をさされる筋合いはありません」(本書86ページ)

 

ところが不思議なことに、日本政府(外務省)は自身が果たしたこの重要な復興支援活動を、国民にはまったく知らせようとしなかったし、マスコミもまた報道しなかったのである。

 

復興支援の現場であるアフガン現地ではまったく顧みられなかった給油活動が、日本では政局を揺るがす大問題となり、アフガン現地では高く評価され、アメリカにも感謝された武装解除=治安対策が日本国内では完全に無視されてしまった。

 

ここへ来て、喜劇は二重に重なり、笑えない喜劇、つまり悲惨劇へと転化する。

悲惨劇は今も続行中である。

 

 

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