梅田正己/編集者/日中共同声明の「言葉」 ――胡錦濤来日の成果は「パンダの貸与」だけだった? 08/05/14
梅田 正己(書籍編集者。著書『「北朝鮮の脅威」と集団的自衛権』他)
「言霊(ことだま)の幸ふ(さきわう)国」という言い方がある。
辞書には「言語の呪力によって、幸福がもたらされている国」という意味だと書かれている。言葉には「霊力」が含まれているというのだ。
そしてこの日本は、その「言霊の幸ふ国」だとされてきた。
当然、「言葉」を何より大事にする国ということになる。
5月6日、中国の胡錦濤国家主席が来日、翌7日、福田康夫首相と会談、共同声明を発表した。正式名称を、「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」という。
私はその全文を朝日新聞で感銘深く読んだが、その言葉(表現)に注目し、評価した記事・発言は、マスメディアではほとんど見かけなかった。
たとえば、朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」だ(5月8日付)。そこにはこうあった。 「戦略的互恵関係 懸案事項に深入りせず、声明は曖昧表現。分かりやすい成果といえばパンダ貸与、のような関係をいう。」
このコラムは、小粒でピリリと辛いのを身上とする。そのためシニカルになるのはわかる。しかし、今回の首脳会談の成果はパンダの貸与だけだったと言ってよいのか?
「声明は曖昧表現」と揶揄しているが、声明の表現はそんなに曖昧だったか?
以下、声明の一部を引用する(アンダーラインは筆者)。
「双方は、日中両国が両国のいずれにとっても最も重要な二国間関係の一つであり、いまや日中両国が、アジア太平洋地域及び世界の平和、安定、発展に対し大きな影響力を有し、厳粛な責任を負っているとの認識で一致した。」
「双方は、長期にわたる平和及び友好のための協力が日中両国にとって唯一の選択であるとの認識で一致した。」
「双方は、政治及び安全保障分野における相互信頼を増進することが日中『戦略的互恵関係』構築に対し重要な意義を有することを確認するとともに、以下を決定した。
「・エネルギー、環境分野における協力が、我々の子孫と国際社会に対する責務であるとの認識に基づき、この分野で特に重点的に協力を行っていく。」
「・共に協力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする。」
日中国交回復以来、両国の「首脳」が署名した文書は今回が初めてだという。 1972年、米中国交回復の文書には、ニクソン大統領と毛沢東国家主席が署名したが、つづく日中共同声明では、署名したのは田中角栄首相と周恩来首相だった。
10年前、98年の江沢民国家主席の来日の際は、共同宣言は発表したものの、署名はしなかった。
それが今回は、ついに両国の政治の最高責任者が署名したのである。「成果はパンダの貸与だけ」などという揶揄ですましていいわけはない。
たとえば安全保障の問題だ。
核をめぐる「北朝鮮の脅威」は、現在のところ北朝鮮による核開発の申告を軸に米朝の綱引きが続いているが、年内には片がつくに違いない。
すると当然、「北朝鮮の脅威」は消滅する。つまり、自衛隊の仮想敵が消える。 そこで水面に浮上してくるのが、「もう一つの仮想敵・中国」となるだろう。
いいかげんな推量ではない。
長崎県佐世保には、陸上自衛隊・西部方面隊司令部の直轄部隊として、660人からなる「西部方面普通科連隊」が編成されている。対ゲリラ戦のための特殊部隊だ。
この特殊部隊の編成目的というのが「島嶼部への侵略」(現「防衛大綱」)だ。ここで島嶼部といえば、琉球列島以外には考えられない。またそこに侵入してくる外国も、地理的に見て中国以外には考えられない。
そして実際、陸上幕僚監部(陸幕。旧陸軍でいえば参謀本部)は中国軍の島嶼への上陸を想定したシナリオを作成、その対策を考えているというのだ(朝日、05・9・26、「陸自の防衛計画判明」。詳しくは拙著『変貌する自衛隊と日米同盟』)。
図上のシナリオだけではない。沖縄・那覇には現在、陸上自衛隊の第一混成団が駐屯しているが、来年度末にはそれが「旅団」に拡大・格上げされる。そのための庁舎や施設の建設がすでに今年から始まっている。
また、現在、那覇基地にいる航空自衛隊の戦闘機はF4ファントムだが、これもより高性能のF15に替わる。 このように沖縄の自衛隊が着々と強化され、琉球列島の防備体制が固められてゆく。
その背景に、「仮想敵・中国」の影が黒ぐろと描かれているのは間違いない。 こうした「平地に波瀾を起こす」ような、ほとんど策謀、策動ともいえる動きに対し、今回の日中両国の政治の最高責任者による共同声明は、こう言い切ったのだ。
「いまや日中両国が、アジア太平洋地域及び世界の平和、安定、発展に対し厳粛な責任を負っている」
「長期にわたる平和及び友好のための協力が、日中両国にとって唯一の選択である」
そのために、「安全保障分野におけるハイレベル相互訪問を強化し、様々な対話及び交流を促進し、相互理解と信頼関係をいっそう強化していく」
これが今回の日中の最高責任者による「誓約」である。 これを正面から受け止めれば、「中国仮想敵論」に対する有力な歯止めとなるはずだ。
しかし、どんな「誓約」も、みんなが忘れてしまえば、一片の紙切れ、空手形となる。
逆に、みんながしっかりと記憶し、見守っていけば、現実に働く「力」となる。 日中両国の最高指導者の「誓約の言葉」を、東アジアの平和を打ち固めてゆくための道標(道しるべ)として、人々の記憶に焼き付けることこそが、マスメディアの役目ではないのか?
揶揄や冷やかしで、せっかくの「誓約」に水をかけるのは、利口者を装った馬鹿の愚行としか言えない。