梅田正己/書籍編集者/新聞への期待と失望 ――年頭の新聞を読んで09/01/04


新聞への期待と失望 ――年頭の新聞を読んで

 

梅田 正己(書籍編集者)

 

◆「対米従属」再検討のチャンスを見送った新聞各紙

 

 「チェンジ!」「イエス、ウイ、キャン!」を合い言葉にオバマは大統領選に勝利した。

 

 新年とともに、米国は「オバマの時代」に入る。アメリカは今まさに変わろうとしている。

 

 この米国の政策転換は、日本にとっても、方針転換のまたとないチャンスである。

 

 1945年、第二次大戦で敗北し、米国の占領下で戦後を踏み出した日本は、以後63年、米国の傘の下で生きてきた。とくに、日米安保体制を軸にした安保・外交面では、米国に依存し、米国に引きずられてきた。

 

 国際関係の上で、日本の「戦後」をひと言でいうなら、「対米従属の時代」だったといえる。

 

 ところがその米国が、冷戦後の単独行動主義によって自滅し、新たな指導者を立てて、新たな進路を探ろうとしている。

 

 当然、日本も、これまでの「対米追随・従属」の安保・外交方針を根底から見直し、完全な独立国としての国際的自立の道を確立していかねばならない。今がその絶好のチャンスである。

 

 したがって、冷戦後最大の転機を迎えて、新年第一日目の新聞各紙では、アメリカの政治的・経済的指導力の崩壊の下、日本のとるべき針路をめぐって全力で取り組んだリポート・提言・議論が提供されるものと思っていた。

しかし残念ながら、朝日、読売、毎日、産経、東京の5紙を見た限り、そうした強い問題意識にささえられた記事は見ることが出来なかった。

 

 国のあり方の根幹にかかわる「対米従属関係」を再検討すべき絶好のチャンスを与えられながら、全国紙各紙はそろってそのチャンスをあっさり見送ったのである。

 

◆御厨東大教授の「乗り越えるべき戦後」とは

 

 そう思っていたところ、1月3日の朝日新聞「私の視点」欄に、日頃の5割増しのスペースで、御厨 貴・東大教授(政治学)の寄稿「今年の選択――『戦後』乗り越える強い首相を」が掲載された。

 

 表題にあるとおり、いかにして「戦後」を乗り越えるか、つまり終焉させるか、それが日本の政治が当面する最大の目的であり、そのためには強い首相の出現が必要だというのがその論旨だ。

 

 御厨氏はまず、「1945年に始まる長い期間、政治の世界では早くから脱“戦後”のかけ声がかけられていた。だがいずれも実体を伴わずに消えてしまう」として、吉田茂以後、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘等の歴代首相から最近の小泉、安倍、福田、麻生までを振り返り、いずれも「戦後」を転換させようとしたができなかったと言う。

 

 日本の政治にとって「戦後」の超克は、いわば歴史的な課題だというわけだ。

 

 したがって、今年予定されている総選挙は、「戦後」を終わらせるための総選挙であり、「今年こそは“戦後”の終わりの始まりと認識すべきだ」と、御厨氏は力説する。

 

 では、御厨氏の言う「戦後」とは、何を指しているのだろうか。

 

 ここまでの私の短い紹介ではわからない、とほとんどの人が言うだろう。

 

 いや、全文を読んでもわからないのだ。終わりのほうに「“強い首相”と“機能する国会”」とか、「もろもろの政治慣習から解き放たれ、原点からコトを考える」とか、「“戦後”を自覚的にリセットし、政治の新たな飛翔を可能にする」といった人目を引く言葉は羅列されているものの、かんじんの「戦後」については定義はおろか何の説明もないのだ。

 

 ところが、最後の一節にいたって、疑問は氷解する。こういう文章だ。

 

 「そして、逆説的だが、“戦後”から解放されて初めて、戦後憲法の改正が現実の日程に上ってくるに違いない。」(アンダーラインは筆者)

 

 何のことはない。御厨氏の「戦後」とは、日本国憲法の価値基軸によって構成される社会体制のことであり、「戦後を乗り越える」とは「戦後憲法」(日本国憲法)を改変することだったのだ。

 

 こういう主張を、東大教授の政治学者が書き、それを朝日新聞が年頭の「opinion=私の視点」欄に掲げる。

 

 オバマの登場を日本の安保・外交政策転換の好機ととらえ、そのための議論を巻き起こすリーダーシップを新聞に期待した私は、やはり世間知らずのお人好しだったようだ。(了)