梅田正己/編集者/東北関東大震災から何が見えるか「虚構の脅威」 から 「現実の脅威」 へ――日本の 「安全保障」 を根底から考えなおす11/03/24
東北関東大震災から何が見えるか
「虚構の脅威」 から 「現実の脅威」 へ
――日本の 「安全保障」 を根底から考えなおす
梅田 正己 (書籍編集者)
それはまさに 「自然の暴力」 としか言いようがなかった。
突然、 真っ黒い水の壁が立ち現れたかと思うと、 たちまち防潮堤を越え、 家々を押し倒し、 道路を川に変え、 市街地の中へ、 巨大な蛇のように身をくねらせ、 音もなく侵入してくる。
音もなく、 と書いた。 だがそれは遠くから撮ったテレビの画面を見ているからで、 濁流が突き進む現場では家々の砕かれる音がバリバリベキベキと凄まじかったに違いない。
そして津波が去った後は、 一面、 瓦礫の原。 その瓦礫の中を、 生存者を探して歩き、 瓦礫を処理する自衛隊員の姿が心強く見えた。
■新防衛大綱が描く 「虚構の脅威」
今回の大震災から突きつけられたのは、 国の安全保障についての基本的な考え方の再検討である。 安全保障といえば、 どうしても軍事が中心となる。 しかし、 それでいいのか?という問題を、 大震災は突きつけたのだ。
昨年12月、 菅内閣が閣議決定した新 「防衛大綱」 は 「島嶼部に対する攻撃への対応」 「島嶼部における対応能力の強化」 を重点目標として掲げた。
それを受けて同時に閣議決定した新 「中期防衛力整備計画」 では、 与那国島と他の島に陸上自衛隊の沿岸監視部隊その他を配置するとともに那覇基地の戦闘機部隊1個飛行隊 (現在24機) を2個飛行隊 (36機) に増強、 あわせてE2C早期警戒機を配備することを決めた。
だが、 では一体、 どこの国が南西諸島に侵攻してくるというのだろうか? 仮想敵に設定されているのは、 誰が見ても中国だろう。 しかし中国は日本の最大の貿易相手国だ。 対中貿易総額は米国をはるかに超え20%強を占める。 経済的には、 日・中・米は完全に相互依存関係に入っている。
あの尖閣諸島問題のときも中国はレアメタルの対日禁輸を決行したが、 国際的批判をあびて中止した。 国際的に孤立しては、 中国の経済的成功はたちまち崩壊する。 世界中から指弾される南西諸島への侵攻など、 300パーセントあり得ない。 なのに、 新防衛大綱は 「南西諸島に対する攻撃への対応」 を最重点目標にすえた。
■日本を襲う 「現実の脅威」
新防衛大綱が “脅威” として設定しているのは明らかに 「虚構の脅威」 である。 大綱自身も、 「大規模着上陸侵攻等の我が国の存立を脅かすような本格的な侵略事態が生起する可能性は低い」 と認めている。 本格的侵略もゲリラ的侵攻も、 戦争の引き金になることに変わりはない。 本格的侵略がないなら、 ゲリラ的侵攻もあるはずがないのだ。
大綱が説く日本への脅威は虚構である。 それは先ごろの鳩山前首相の 「抑止力」 は 「方便」 論やケビン・メア前国務省日本部長の 「我々は日本でとてもいい取引をしている」 というホンネ発言からもわかる。
では、 虚構でない 「現実の脅威」 はどこにあるのか? それへの回答が、 今回の大震災だった。
津波に襲われた後の瓦礫の原の光景は、 66年前の空襲による焼け跡とそっくりだった。 「天災」 も 「戦災」 も、 災害に変わりはない。 つまり、 安全保障の原点に立てば、 戦争への備えも、 自然災害への備えも同等なのだ。
この66年、 日本は一度も他国からの攻撃を受けなかった。 つまり戦災は受けなかった。 では、 自然災害はどれほどこうむっただろうか。 6千人が命を落とした阪神淡路大震災から、 まだ16年しかたっていない。 その間には中越大地震もあった。
そしてまた、 今回の大震災だ。
■災害対策に熟練した大規模 「災害救助隊」 を
今回の大震災に、 政府は10万人の自衛隊員の出動を決めた。 自衛隊自身も先月 (2月) 中旬、 東海沖地震を想定、 全国から11万人の隊員動員を予定した兵站中心の訓練を実施している (自衛隊準機関紙 『朝雲』 2.24)。
それならいっそ陸上自衛隊16万人の半数、 8万人で災害救助隊を新設したらどうか。 緊急動員で銃をスコップに持ち替えるのでなく、 日頃からスコップや重機の扱いに熟練した災害救助隊となるのだ。 自衛隊員自身もそれを歓迎するだろう。 世論調査でも、 自衛隊の評価で最も高いのは災害派遣だ (09年は78%、 『防衛ハンドブック』 2010年版) 。
災害救助隊は海外にも出てゆく。 近年だけでもスマトラ沖、 ハイチ、 中国四川省、 ニュージーランドと、 地震は絶えない。 熟練した救助隊はもちろん歓迎されるだろう。 やがて日本は、 世界で災害救助に最も熱心な国として認められる。
こうして得た国際的な信頼と親愛は、 日本にとって軍事力に代わる “安全保障力” となるに違いない。
■もはや日本は 「戦争のできない国」 になっている
さらに、 今回の大震災はもう一つの大災害を生んだ。 原発事故である。 東北、 関東を見舞った放射能の不安は、 日本がもはや 「戦争のできない国」 であることを証明した。 炉心が破壊されなくても、 これほどの不安をもたらすのである。 炉心が破壊されたら、 どんな事態が生じるのか。
日本にはいま、 北海道から九州まで、 54基の原発が点在する。 そのうちの1基でもミサイルが撃ち込まれたら、 どんなことになるのか、 想像するのさえ恐ろしい。 そのミサイルが核弾頭を付けていなくとも、 原発に命中した瞬間に核爆弾となるのだ。
今回の大震災で多くの中国人が自国に避難していった。 私がよく行く中華料理店の店先で弁当を売っていた中年の中国人女性も、 姿が見えないと思ったら、 中国へ帰っていったという。
中国も、 現在運転中の原発が11基、 建設中の原発が26基だという。 中国も戦争はできない。 いや、 原発を持つ世界中の国が、 もはや総力戦は戦えなくなっているのだ。
ということは、 今や憲法9条が、 グローバルな規模でリアリティーをもつ時代に入っているということにほかならない。 つまり、 私たちは今、 「9条の時代」 の入り口に立っており、 そのとびらを、 恐るべき犠牲と引き換えに開けて見せてくれたのが、 今回の大震災だったのである。
■安全保障観のパラダイム転換を
パラダイムとは、 思考 (考え方) の枠組みをいう。 安全保障についてのパラダイム転換が、 今こそ必要である。 今回の大震災は、 私たちにその安全保障観のパラダイム転換を迫るとともに、 その機会 (チャンス) を与えてくれたのである。 このチャンスを生かすことこそが、 大震災の日々増加する犠牲者への手向けとなる。
※この一文は、 『琉球新報』3月24日付け文化欄に掲載されたものに加筆したものです。