梅田正己/編集者/ビンラディン殺害と 「アメリカの正義」11/05/05

 

ビンラディン殺害と 「アメリカの正義」

 

梅田  正己 (書籍編集者)

 

 

  オサマ ・ ビンラディンが殺害された後、 オバマ大統領が演説するのをテレビで見た。 英語を私は聞き取れないが、 それでも最後の一句だけはわかった。

 

  Justice has been done.  正義はなされた。

 

  聞いていた群集の中から、 「USA!」 「USA!」 の声が湧き起こった。 日本に置き換えれば、 ニッポン、 ニッポンとなるだろう。

 

  テレビではまた、 どこかの球場で試合中にこのニュースが飛び込んでくると、 観客席から期せずしてこの 「USAコール」 が湧き上がったと伝えていた。

 

  ビンラディン殺害が伝えられた5月2日の夜、 テレビ朝日の報道ステーションで、 元朝日新聞ワシントン特派員のコメンテーターが語るのを聞いた。

 

  あの世界貿易センタービルが攻撃され、 崩壊した時のことを話していた。 3ヵ月がたっても現場には名状しがたい臭いが残り、 カメラを向けることもはばかられる粛然とした空気につつまれていたと語った。

 

  テレビで見ただけの私たちにも、 あの9・11の黙示録のような映像はまだ目に焼きついている。

 

  しかし、 あれから10年がたつ。 この10年の間に、 何があったか。

 

  2つの国が滅茶苦茶に破壊された。 5千年の歴史を持つ国が、 首都バグダッドをはじめ国土を破壊しつくされた上、 多くの子供たちが劣化ウラン弾による放射能汚染に苦しんでいる。

 

  もう一つの国アフガニスタンはもっと痛ましい。 この10年間、 戦火は絶えず、 米軍を主体に今なお15万人の外国の軍が駐留してタリバンと戦闘を続けている。

 

  はたしてアメリカは 「勝利」 したのか?

 

  物事にはすべて原因があって、 結果がある。 人間の行為ならなおさらである。

 

  世界貿易センタービル崩落にも、 もちろん原因があった。

 

  直接には1991年の湾岸戦争である。

 

  前年の8月2日、 とつぜんイラク軍がクウェートに侵攻、 併合を宣言した。

 

  米国が直ちに反応する。 父ブッシュ大統領は空母をアラビア海に向かわせ、 リチャード ・ チェイニー国防長官をサウジアラビアに派遣して3日がかりでサウジ国王を説得、 これまで外国の軍を一歩も立ち入らせなかった領土内に、 米国軍が駐留することを認めさせた。

 

  これにより、 米国はイラク攻撃の拠点を確保する。

 

  以後、 半年をかけて多国籍軍を編成、 万全の態勢をつくった上で翌年1月に攻撃開始、 わずか1ヵ月で無条件降伏に追い込むのである。

 

  こうした米国の強引なやり方には、 もちろん批判も反対もあった。

 

  開戦の直前だったが、 ソ連のゴルバチョフ大統領はイラクのアジズ外相をモスクワによんで説得、 クウェートからの完全無条件撤退を約束させた。

 

  しかし米国は黙殺、 イラク攻撃に突入していった。

 

  戦後も、 米軍はサウジアラビア国内に居すわった。 海兵隊がキャンプ(基地)を構築、 第五艦隊がペルシャ湾に母港を設置した。

 

  イスラム原理主義者にとって、 聖地メッカ、 メディナをかかえるサウジアラビアに異教徒の軍隊が基地を構えることは認めることができない。

 

  以後、 サウジ国内の海兵隊宿舎の爆破などアフリカをも含む各地でテロが激発する。

 

  そうしたテロの延長線上に、 世界貿易センターのツイン・タワー・ビルへの自爆テロがあったのだ。

 

  そのニューヨークのテロで失われた命は3千、 テロ犠牲者の数として空前の数字にちがいない。

 

  では、 この10年間のアフガン、 イラク戦争では、 米本国の兵士も含め、 どれほどの命が失われたか。

 

  その痛恨を抜きに、 「USA!」 をコールできるのか?

 

  1991年、 イラクへの空爆を続行中だった1月30日、 父ブッシュ大統領は一般教書演説の中でこう述べた。

 

  「これだけは言える。 われわれの目的は正義にかなっている。 道徳に則している。 そして正しいものである」

 

  さらに1ヵ月後の2月28日、 イラク無条件降伏後の勝利演説でも、 再びこう語った。

 

  「この勝利は……国連、 全人類、 法の支配、 正義にとっての勝利だった」

 

  米国大統領は、 何よりも 「正義」 を掲げたがる。

 

  今回のオバマ声明も 「正義はなされた」 で結ばれた。 黒人大統領オバマもまたアメリカの大統領だったわけである。 ただし、 世界のだれもが認める 「正義」 がなされたのではない。 「アメリカの正義」 がなされたのである。 (了)