梅田正己/編集者/メディアの“菅たたき”は何だったのか?11/08/14
メディアの“菅たたき”は何だったのか?
梅田 正己 (書籍編集者)
朝日新聞の「オピニオン」と名づけたページでは、いろんな人を記者がたずねて意見を聞く。ページの半分以上を使う大型の欄である。
8月12日のこのページは、国分功一郎さんという若い哲学者(37)に、菅首相の言動をどう見るかを聞いたものだった。
が、ここでいま私が紹介したいのは、国分さんの意見ではない。
インタビュアーの秋山惣一郎記者の発言(記事)である。
秋山記者は、冒頭まずこう発言している。
「菅直人首相が、ようやく退陣の覚悟を決めた。『辞任』を示唆した覚書から2カ月ちょっと。思いつき、場当たり、利己主義者。そんな批判も非難もものかは、首相のいすに座り続けた。一体何を考えているんだろうと思っていたら、菅首相の発想には、震災後の日本を作る新たな哲学が見えたという。それってホントですか。」
このような前文があって、記者はこう切り出す。
――ようやく退陣を決断しましたが、菅直人首相は評判が悪かったですね。
ところが、若い哲学者はこう応える。
「はい。ただ、なぜ批判されていたのか、その理由はハッキリしないと感じていました。それに私は菅首相は評価すべき発想の持ち主であるとも考えているんです。」
なるほど、それでこの国分氏が「オピニオン」欄に登場したわけだが、これを聞いて、記者はこう驚いてみせる。
――えっ? 場当たり的、思いつきだけの菅さんのどこを評価するのですか。
菅首相の評価は最悪である。その最悪の菅さんにもいいところはあったんだと弁護するために、冒頭で故意にこき下ろして見せたのだと見えないこともない。
だがこのインタビューの最後、「取材を終えて」に秋山記者はこう書いているのだ。
「……我々は今、秩序に従って自制的に生きている。しかし菅首相は自然権を振り回し、ひとりホッブズ的な世界を生きてきた。
そう考えると、このまったく理解不能だったリーダーの振る舞いに、説明がつく気がする。」
「思いつき、場当たり、利己主義者」という非難は、ジェスチャーではなく記者のホンネだったのである。
では、菅首相のいかなる言動をもって、このような最低レベルの評価を下しているのだろうか。
国分さんも、上記の引用の中で、菅首相が「なぜ批判されていたのか、その理由はハッキリしないと感じていました」と語っている。
じっさい、多くの国民がそう感じているのではないか。
■政・財界とメディアによる菅首相への総攻撃
これまでの歴代首相も、みんな評判は良くなかった。とくに、自民党時代の末期、福田、安倍、麻生とつづいた短命首相、それに政権交代後の民主党の鳩山首相もさんざんたたかれた。
しかし、今回の菅首相ほど集中攻撃を受けた首相はいなかった。
今回の“菅たたき”で特徴的だったのは、同じ民主党内でも総すかんをくったことである。
自民党がカサにかかったのは言うまでもない。国会審議での自民党議員の首相に対する発言は、ほとんどバリゾウゴンに近かった。一国の首相に対して、一年生議員、それも女性議員が、聞くに堪えない言葉で首相をののしっているのを聞いた時は、おもわずテレビを消してしまった。
政界に加えて、財界である。経団連会長はじめ、財界の幹部たちがこぞって菅首相の早期退陣をうながした。
そしてもう一つ、メディアである。
テレビをつければ、どこでも菅首相の悪口を言っていた。
新聞は? これも先ほど、朝日記者の発言を引用した。
こうして、この数ヵ月間、政界・財界・メディアが、寄ってたかって菅首相を血祭りに上げ、一日も早い退場を迫ってきた。
では、なぜ政財界はこれほどまでに総がかりで菅首相を攻撃したのだろうか。
■核心は原発問題
冒頭に引用した「オピニオン」の掲載日と同じ8月12日付の朝日の4面に、「首相番記者」の岡村夏樹記者の記事が載っていた。
「首相、脱原発尻すぼみ 退陣圧力、気迫失う?」という見出しである。
これも前文を引用する。
「『脱原発』に執念を燃やしてきた菅直人首相。5月に浜岡原発の運転中止を打ち上げた跡は大胆な発言を続けたが、徐々に現実路線にトーンダウンし、『減原発』に落ち着いた。首相番記者として間近でウオッチしてきたが、求心力を失って原子力行政の『壁』を突破できず、燃え尽きた感じだ。」
一国の首相であるから、当然、さまざまな問題をかかえている。まして、東北の太平洋岸は壊滅状態となっている。そうした中でも、菅首相の最大の関心は原発問題だったようだ。
岡村記者の記事にこうある。
「首相番になって3カ月。原発問題を自身の言葉で語る首相の目は、生き生きとしていた。」
「極めつきは7月13日の記者会見。『将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する』と宣言。『調整運転中のほかの原発も止めるのでは』(官邸スタッフ)と周りをハラハラさせる勢いだった。」
ところがほどなく、菅首相の言葉から生気が失われてゆく。
「『脱原発』を表明した記者会見の後、与野党の反発を受けて『個人の考え』と後退させた。首相は『原子力で何か言うと、「延命」とか「思いつき」とか言われる』と周辺にこぼした。」
「脱原発尻すぼみ」は自ら好んでそうなったわけではない。
前述のように、政財界によって、叩きにたたかれたからである。
政治家たちは、半世紀前の原発の導入時から、原発拡大を“国策”として推進し、そこから甘い汁を吸い続けてきた。
また財界は、電力会社を伝統的リーダーとしてたてまつってきた(地方の経済団体のトップの地位は電力会社経営者の指定席である)。また、原発建設を請け負うのは独占的な巨大企業である。
だからこそ、政財界は、このまま「脱原発」に向かって突っ走られてはかなわないと、総力を挙げて“菅たたき”“菅おろし”に躍起になった。
それは、それなりにわかる。
では、メディアの“菅たたき”の理由は何か?
メディアが菅をたたかなければならない理由は、あるいは事情は何だったのか?
■「脱原発」が社論のメディアがなぜ“菅たたき”に走ったのか
もちろん、メディアも一色ではない。
自民党や財界の代弁者になっているメディアもある。
それらのメディアが“菅たたき”に熱心になった理由はわかる。
しかし、そうでないはずのメディアも存在する。
朝日新聞、毎日新聞は、社論として「脱原発」の方向を打ち出した。
代表的な大新聞が、国民的な課題について、あれほどの大紙面を使って、あれほど明確に進むべき方向を打ち出したことはめずらしい。
その背後にはもちろん、7割を超える国民が「脱原発」を支持しているという世論調査の結果がある。
だが、そうした新聞にして、今なお冒頭に紹介したような記者が存在し、自国の首相に対して「思いつき、場当たり、利己主義者」といった悪罵を投げつけ、それをそのまま記事にしているのである。
“菅たたき”の原因は明らかにその「脱原発」宣言にある。
「脱原発」を阻止するための“菅たたき”だったのだ。
しかし、原発をこのまま使い続けるのが不可能なことは、フクシマの惨状を見れば、誰の目にも明らかである。
いま何よりも必要なのは、原発に代わる再生エネルギー開発のための産業的・社会的・法的な条件整備に着手することだ。
それなのに、メディアの言説は容易にそうした方向に向かわない。
一国の首相に対して、政財界が一体となり、それに全メディアも加わって、非難、誹謗に熱狂した例は、たぶん他にはない。
政財界がそうなった理由は前に書いたとおりだが、メディアはなぜそうしたのか。
ぜひとも聞いてみたい。 (了)