梅田正己/編集者/朝日「社説」の戦後史認識 13/01/08
朝日「社説」の戦後史認識
梅田 正己 (書籍編集者)
◆マスメディアが作り出す新しい「神話」
1月7日の朝日新聞の社説は、「激動期の日本外交」についてだった。
その初めの方で、社説は、安倍首相が早い時期に訪米し、「民主党政権下で傷ついた日米同盟の修復などの懸案」についてオバマ大統領とじっくり話し合うのは時宜を得ている、と述べていた。
訪米の主目的は「民主党政権下で傷ついた日米同盟の修復」だと言っている。
しかし、民主党政権下で、いつ、どのように「日米同盟は傷ついた」のだろうか。
鳩山前首相の「普天間基地の県外移設」の画策のことだろうか。
しかし前首相は、結局は「海兵隊の抑止力」を口にして移設を撤回、米軍の固執する辺野古での新基地建設に戻った。
以後、これが民主党政権の動かぬ主張となった。
だいたい、鳩山氏が首相の座から引きずりおろされたのも、民主党内から「鳩山やめろ」の大合唱が湧き起こったためではなかったか。
日米同盟を傷つけるどころではない。日米同盟を守る、守りたいというのが民主党の立場だったのだ。
その証拠に、最後の防衛大臣には、軍事評論では自民党政権時代からの日米同盟推進の筆頭株ともいえる森本敏氏を起用し、全国に広がったオスプレイ配備反対の声をその「能面のような顔」(仲井真沖縄県知事)で聞き流し、米国の方針に忠実に従ったのである。
「民主党政権下で傷ついた日米同盟」というのは、マスメディアが作り出した新しい「神話」ではないか。
私にはそう思える。
◆誤った歴史認識は、誤った現状認識を生む
この朝日「社説」に含まれる「神話」は、それだけではない。
終わりの方に、こう書かれている。
「振り返れば、戦後日本はじつに恵まれた国際環境を享受してきた。」
本当にそうだろうか? その「恵まれた国際環境」とは、何をさすのか、続いてその答えが書かれている。
「米ソ冷戦時代には、米国の庇護の下、復興と経済発展に励むことができた。」その結果、
「外交の基本も沖縄返還や近隣との国交正常化など、敗戦で失ったマイナスを取り戻す道のりだった。」
問題は、この戦後史認識である。
「米国の庇護」とは何をいうのだろうか。
米国の指令で再軍備をし、日米安保条約を結び、米国に誘導されるままに米軍のアジア戦略に組み込まれたことを言うのだろうか。
しかしそれによって、日本はいまや米国の忠実な従僕となってしまった。
社説は、「復興と経済発展に励むことができた」ともいう。
軽武装ですますことができたからというのだろうが、しかしこれもその最大の要因は「米国の庇護」ではなく、自動車産業の発展にしろ家電産業の飛躍にしろ、日本国民が汗を流し、知恵をしぼって勤勉に働いたからではないのか。
また「米国の庇護」のもと、「沖縄返還」ができたという。
しかし、沖縄を戦争が終わって27年もの間「占領」していたのはだれか? 米国ではないか? 日本本土の占領が終了した後も、20年もの長期にわたって占領しつづけ、やっと施政権だけは返還したものの、軍事基地はその後も40年、そっくりそのまま「治外法権区域」として占拠しているのは、米国ではないか?
このような「沖縄返還」も、「米国の庇護」のたまものだというのか?
さらに「近隣との国交正常化」も社説は「米国の庇護」のたまものだという。
近隣とはどこの国か。まず中国だ。
その中国とは、戦後27年もの間、日本は国交を断絶したままだった。当時の日本にとっての「中国」は、台湾の蒋介石政権だったのだ。
なぜ、そうだったのか。米国と中国(中華人民共和国)とは敵対関係にあり、日本は米国陣営に組み込まれていたからだ。
1972年2月、突如、ニクソン大統領が訪中し、米中国交正常化へ向かった。それでやっと同年9月、田中角栄首相が訪中、日中国交回復ができたのだ。
近隣の国には、北朝鮮ももちろん含まれる。
しかしこの北朝鮮とは、世界のほとんどの国が国交を開いているにもかかわらず、日本はいまだに断交状態だ。
原因は、朝鮮戦争を戦った米国と北朝鮮が、休戦協定を結んだだけで、いまだに戦争状態にあるからだ。米朝が平和条約を締結してこの状態を終息させないかぎり、日本は米国をさしおいて国交を正常化することができない。
したがってまた、過去の35年間の植民地支配問題を解決し、拉致問題を解決することができない。
これで果たして、「敗戦で失ったマイナスを取り戻」せたと言えるだろうか。
しかし社説は、「戦後日本はじつに恵まれた国際環境を享受し」、「米国の庇護の下」、沖縄の問題や「近隣との国交正常化」などを処理することができた、と言っている。
しかし現実は、いま見たとおり、沖縄の基地問題も、北朝鮮との関係の問題も、まったく未解決のまま、そっくり残されている。
そしてその未解決の問題には、すべて米国の政策がからんでいるのだ。
この社説の戦後史認識では、沖縄問題の基本は40年前に解決済みとされている。
しかし、この年頭、元日の沖縄の2紙の紙面は、悲壮ともいえる危機感にみちたものだった。たとえば琉球新報は、2-3面ぶち抜きのタイトルで、
〈「辺野古」圧力強まる 剣が峰を迎える沖縄〉
また沖縄タイムスの1面は、やり特大の活字で
〈逆走政府 止めたい〉
そしてこの日から始まった連載シリーズの通しタイトルは、なんと、
〈「日本」への告発状――基地問題の実相〉
だった。沖縄問題は解決どころではない、その矛盾はいまや極点に達しようとしているのだ。
安倍内閣は発足そうそう早くも軍事費の増大を決め、そのための「防衛大綱」の改定を決めた。
安倍首相がめざす目標は憲法改正だ。自民党が昨年発表した「憲法改正草案」では、9条2項を廃して「国防軍」の設置を定めるとともに、天皇を「元首」とすることを定めている。
戦後67年、歴史は大きく転回して、ふたたび戦後の出発点に戻ったようだ。
この67年とは、私たちにとって、いったい何だったのか、その思いが胸を噛む。
戦後史認識とは、たんに過去をどう見るかの問題ではない。
今われわれの立っている位置、現在の日本をどう考えるかという問題だ。
誤った歴史認識は、誤った現状認識につながる。
今われわれは、自分たちの生きてきた戦後67年の総点検を迫られているのではないか、そう思えてならない。 (了)