梅田正己/編集者/沖縄全41市町村長・議長
「建白」上京行動の歴史的意味 13/02/02
沖縄全41市町村長・議長
「建白」上京行動の歴史的意味
梅田 正己 (書籍編集者)
普通は陳情、請願、あるいは要請などの用語を使う。
しかし今回は「建白書」と題された。建白とは、政府に意見を申し立てることをいう。実際、その内容は陳情などという生易しいものではなかった。
その終わりに近い一節。
「この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている。
安倍晋三内閣総理大臣殿
沖縄の実情をいま一度見つめていただきたい。沖縄県民総意の米軍基地からの『負担軽減』を実行していただきたい。」
◆本土メディアの報道は
この建白書をたずさえて、沖縄の全41市町村の首長と議長、それに県議ら140人が大挙上京、日比谷野外音楽堂での4千人集会と銀座通りのデモの後、首相、外相、防衛相に直接手渡した。
その建白書を読んでふと浮かんだのは、足尾鉱毒の惨害を訴えた直訴状を手に、明治天皇の馬車に向かって突進した田中正造の故事だった。
人口140万を擁する一つの県の全市町村長と議長が、一人も欠けることなく党派の対立をこえて連署した建白書を、代表に託するのでなく、全員で上京して、総理大臣に突きつけたのである。
日本の憲政史上、まさしく未曾有の事件ではないか。
では、この画期的・歴史的な「事件」を、本土のメディアはどう伝えただろうか。
朝日、読売、毎日、日経、産経の全国紙、それに最近世評の高い東京も含めて(産経を除く)全紙が、集会写真は載せたものの、首長らの上京と集会、デモおよび建白書を提出した事実のみを簡単に報じただけで、その歴史的意味について触れた記事はなかった。
肝心の建白書の中身の紹介も皆無だった。
社説も朝日だけが取り上げたが(「〈沖縄@東京〉基地問う声が重く響く」)他紙は素通りだった。
決して取材しなかったわけではない。腕章をつけた新聞、テレビの記者やカメラマンは集会にもデモにも数多く張りついていた。しかも集会では玉城義和県議が「本土のメディアのみなさんは沖縄をしっかり報道してほしい」と呼びかけていたのである。
昨年9月末の市民による4日間の普天間基地封鎖も、基地の歴史始まって以来の大事件だったにもかかわらず、本土メディアは報じなかった。
その黙殺劇が、今回も繰り返されたというほかない。
◆基地負担の軽減とは
1月28日午前、上京団は当初予定になかった安倍首相と急きょ会うことができた。ただしわずか4分だ。
その日の午後、安倍首相は衆院本会議で所信表明演説を行ない、外交・安全保障の項の冒頭でこう述べた。
「何よりも、その基軸となる日米同盟を一層強化して、日米の絆を取り戻さなければなりません」
「同時に、普天間飛行場の移設を始めとする沖縄の負担の軽減に全力で取り組みます」
日米同盟の強化と普天間の移設、この二つを首相はどんな関係で捉えているのか。
米国は辺野古移設に固執している。首相のいう「普天間飛行場の移設」が従来どおり辺野古への移設なら、それは沖縄県民の求める「沖縄の負担の軽減」にはならない。
では「沖縄の負担の軽減に全力で取り組む」とは何を意味するのか――。
先の朝日の社説も、森本敏・前防衛相が昨年末、普天間の移設先について「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄が最適の地域」と語ったのを引いていた。
海兵隊の抑止力については、鳩山元首相がすでに「方便」だと明かしている。
海兵航空基地を沖縄に置く軍事的必然性、ましてオスプレイ配備の必然性などないのである。
その事実をオバマ大統領に伝え、説得に努めてこそ、安倍首相は「沖縄の負担の軽減に全力で取り組」んだと言えるのではないか。
民主政治の決め手は、大きくは世論である。その世論の形成には、メディアが決定的な役割を果たす。ところが本土メディアの現状は先に見たとおりだった。この一文を書きながらも、いたたまれない思いに駆られる。
しかし、そんな思いを突き破るのが今回の「オール沖縄」の史上初の政治行動だ。
建白書で想起するのは、明治初期自由民権運動の「民選議院設立建白書」である。これが日本の民主主義の出発点だった。その伝統を引き継いで、とくに二次大戦後、民衆運動の火を絶やさないできた地域が、「島ぐるみ闘争」以来の沖縄だといえる。
他の地域では想像することもできない今回の上京行動も、その線上で生み出されたのだろう。そう考えると、現状がどんなに悲観的だろうと、そう簡単に絶望することはできないのである。 (了)