梅田正己/編集者/集団的自衛権容認の「閣議決定」―官僚作文のウソとゴマカシ 2014/07/04
集団的自衛権容認の「閣議決定」
梅田 正己 (編集者)
この「閣議決定」の文字数を計算してみた。ざっと7300字になる。べたで組んで、新聞1面の約三分の二を占める。
「閣議決定」は全員一致が必要だというが、これを本当に「閣僚」の全員がちゃんと読んだのだろうか? 疑問が残る。というのは、まともに読んで理解できる文章ではないからだ。?、?、?の連続だからだ。
いくつか、例を挙げる。
◆疑問だらけの大前提
冒頭に近く、こう書かれている。
(憲法施行から67年)「安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。」
「重大な国家安全保障上の課題」と言っている。言いかえれば、重大な危機的状況が発生しているということだろう。
では、どんな「重大な」事態が起こっているのか? しかし根拠は書いていない。根拠を示さず、危機だけを言い立てるのはオオカミ少年だ。
その後にも、似たような言い方が続く。
「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。」
本当か? シリアやウクライナで紛争状態が続いている。日本に影響がないとは言わない。しかし、「我が国の安全保障」に「直接的な影響」とまで言えるのか?
これも論証ぬきの一方的なご託宣で終わっている。
そして、こう飛躍する。
「もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。」
一国だけでは平和に生きていけないと、そう簡単に言い切れるのか?
また、日本が軍事力で「一層積極的な役割を果たすこと」を、いったいどこの国が期待しているというのか?
そうしたことはいっさい説明抜きで、「閣議決定」はこう結論する。
「米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼および協力関係を深めることが重要である。」
「域内外のパートナー」とは、どこの国を指すのか? 対中国との関係で、フィリピンやベトナムをいうのか?
しかし、そうした国との軍事的協力関係を結んで、隣国の中国との関係をどうするのか? 中国との不信・対立関係を固定してしまうのか?
◆「集団的自衛権」赤から青への手品の仕掛け
以上は、閣議決定の「序文」に当たるところに書かれている。「なぜ今、集団的自衛権の行使容認が必要なのか」という、その理由説明だ。
この後、「1.武力攻撃に至らない侵害への対処」「2.国際社会の平和と安定への一層の貢献」があって、最後に「3.憲法9条の下で許容される自衛の措置」となる。
集団的自衛権の問題はこの「3」にかかわる。
初めに例の1972年の政府見解が解説される。
「国民の生命や権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態にさいしては、やむを得ない措置として、必要最小限度の範囲において武力の行使が許される。」
という見解だ。この論理的帰結として、72年見解は「だから、集団的自衛権の行使は憲法上許されない」としていたのである。
ところが、今回の閣議決定は、72年見解の「武力行使の限度」については、「この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない」としながら、結論としては「集団的自衛権の行使は容認される」としたのである。
筒の上から押し込んだ赤いハンカチを、下から引っ張ると青いハンカチに変わる手品がある。では、今回の閣議決定はどんな手品を使ったのか。
仕掛けは筒の中にあった。筒とは、先に紹介した「序文」の状況説明だ。
そのことを、閣議決定はこう述べる。
「しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。」
だから、その場合も、「必要最小限度の実力行使は、憲法上許容されると考えるべきである」とした。
つまり、「序文」において私が「?」を付けた状況認識を理由として、歴代内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を、赤から青へとひっくり返したのである。
しかもここでさらに「?」を付け加えた。
「他国に対して発生する武力攻撃であったとしても」「我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る」とは、いったいどんな事態を想定しているのだろうか? 私にはいくら考えてもわからない。
手品のタネの部分である。ぜひとも具体的に説明してもらいたいものだ。
◆この閣議決定を国民的議論の俎上に
閣議決定の文書の中には、こうも書かれている。
「政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。」
では、この閣議決定に、はたして「論理的整合性」はあるのか。
私の見たところ、先に述べたように状況認識の大前提のところで「?」が続出する。判断の根拠そのものがぐらついている。立論の土台そのものが怪しいのだ。論理的整合性どころではない。したがって、法的安定性も限りなく薄い。
この「閣議決定」を伝える記者会見で、首相は初めにこう言明した。
「抽象的・観念的な議論ではない。現実に起こり得る事態に、現行憲法の下で何をなすべきかという議論だ。」
その通り、説明抜きの抽象的・観念的な断定だけでは議論にならない。
「現実に起こり得る事態」を想定して、具体的に語ってもらいたい。
今回の閣議決定には、現実的・具体的な説明がまるで欠落している。これで国民を納得させようというのはとんでもない話だ。
このあとの段取りとして、政府は自衛隊法や周辺事態法はじめ関係する国内法の整備にかかる。その法案を国会に提出してから、審議に入ってもらうというのが政府の心積もりだろう。
しかし、そんな法案を待つ必要はない。すでに法案作成の「前提」となる疑問符だらけの閣議決定が、目の前に差し出されているのだ。
集団的自衛権の行使を容認できない政党、政治家は、この閣議決定について、国民の目の前で大議論を起こしてもらいたい。
メディアももちろん、その場を提供し、かつ牽引していってもらいたい。
それらに励まされ、あるいは後押しして、市民運動もウイングを広げていく。