梅田正己/編集者/沖縄知事選から何を学ぶか  2014/11/28

               沖縄知事選から何を学ぶか

                              梅田  正己 (編集者)

 さる11月16日投票の沖縄知事選は前代未聞の結果だった。なにしろ前回の知事選では仲井真候補の選対本部長だった翁長氏が、今回は対立候補となり、圧勝したのだ(得票数比率は6対4)。
  しかも翁長氏は、自民党沖縄県連幹事長もつとめた保守のエースだった。その翁長氏を、共産党を含む革新陣営が支持、「オール沖縄」を合い言葉に現職の仲井真候補に立ち向かったのだった。
  つまり今回の知事選は、復帰前1968年の初の首席公選の選挙以来、半世紀近く続いてきた〈保守対革新〉という対立軸が転換した最初の知事選となったのだ。
  では、新しく対立軸となったのは何だったか。「基地」問題と対「本土(政府)」意識の変化である。

 ◆今回の沖縄知事選で問われたこと
  翁長陣営が今回かかげたキャッチフレーズは「イデオロギーよりもアイデンティティー」だった。ここでのイデオロギーとは〈保守対革新〉の構図をさす。アイデンティティーには適切な日本語がないが「自分が確かに自分であるという自己証明」のことだ。
  では、沖縄のアイデンティティーの問題とは何か。その一つが、いま政府が建設に強行着手している沖縄本島北部・辺野古での海兵隊基地にかかわる選択の問題だった。
  日本への復帰からすでに42年、しかし沖縄の「軍事植民地」状態は微動だにしない。その上、かけがえのないサンゴとジュゴンの海を破壊して半永久的な基地を建設する。それで果して沖縄の尊厳と誇り=アイデンティティーを守れるのかという問いかけだった。
  もう一つは、対「本土(政府)」との関係だ。
  昨年1月、沖縄の全41市町村長と議長は翁長・那覇市長を先頭に、政府に対する基地負担軽減を求める「建白書」をたずさえて上京した。1県の全市町村長そろっての請願はまさに空前のことだった。しかし、それに対して安倍首相が面会に割いた時間はたったの4分だった。
  また昨年暮れには、前回の選挙では普天間基地について少なくとも「県外移設」を公約した仲井真知事が、政府による振興予算の割り増しと引きかえに「県内(辺野古)移設」を承認した。あわせて全員「県外移設」を公約していた沖縄出身の自民党国会議員5名が、石破幹事長の説得(恫喝?)に屈して、そろって「承認」へと寝返った。
  こうした政府の対応に加えて、本土メディアの沖縄の現実に対する軽視・無視、その結果としての国民の無関心。こうした本土(沖縄ではヤマトという)への失望の蓄積が、沖縄県民のアイデンティティー意識を刺激して、今回の劇的な選挙結果を生んだのである。
結果を報じた琉球新報の17日の社説に、次の一節があった。
「失われかけた尊厳を県民自らの意志で取り戻した」

 ◆沖縄知事選が教えてくれるもの
  このように沖縄知事選が劇的な結果をもたらした、その衝撃をかき消すかのように、外遊から戻った安倍首相は衆議院解散を宣言した。「大義なき解散」、まさに藪から棒の解散だった。
  沖縄知事選での従来の保守、革新混合の翁長陣営の「建白書」勢力は、この衆院選でも協力体制を組んだ。沖縄は4つの小選挙区からなるが、その全選挙区に候補を立てた自民党に対し、(11月24日現在)野党は調整して次のような候補を立てたと伝えられる。
  1区=共産党(比例現職)、2区=社民党(現職)、3区=生活の党(比例現職)、4区=無所属(翁長氏を支持する元自民党顧問)
  自民党に対抗する諸党は、この衆院選も、知事選の延長として協力体制をとったのである。
  ひるがえって、総体としてのこの国の政治状況はどうか。混迷も極まっているというしかない。それは、この数年に生まれた新党の政党名にも如実に表れている。すなわち――維新の党、次世代の党、みんなの党、生活の党。これらの党名からは、かかげる政治理念、めざす政治課題は殆んど何もうかがわれない。
  それに対し、安倍首相率いる自民党のかかげる政治方針は明瞭だ。すなわち――「戦後レジームからの脱却」「美しい(強い)国・日本」「世界の真ん中で輝く国・日本」
  しかしこれは何も安倍内閣だけが突出した方針ではない。
  すぐに連想されるのは、1982年に登場した中曽根内閣だ。中曽根氏は「戦後政治の総決算」をかかげ、レーガン、サッチャーの米英とともに新自由主義を推進し、シーレーン防衛、日本の不沈空母化を主張、85年には国家秘密法案を提出した。いまの特定秘密保護法と本質はまったく同じ法案だ(但し国民的反対運動で廃案)。
  その後、湾岸戦争を機に自衛隊の海外出動が始まって常態化し、戦後50年の95年、村山談話への反発から日本型歴史修正主義が本格化、次の橋本内閣で安保再定義(橋本・クリントン共同声明、極東安保から太平洋安保へ)、新ガイドラインの決定、それを受けての周辺事態法など有事法制の制定へ向かい、次の小渕内閣で国旗・国歌法を決め、森「神の国」内閣をへて01年、小泉首相が靖国を参拝、続いてアフガン・イラク戦争で自衛隊による米軍協力を推進し、03年、有事3法を制定、05年、自民党の新憲法草案を発表(9条2項の削除と自衛軍保持を明記)、06年、第一次安倍内閣で教育基本法を改変、翌07年、国民投票法を成立させたのだった。
  こう見てくると、安倍政権はその余りの強権性ゆえに突出して見えるけれども、本質は自民党の伝統的な政治方針を受け継ぎ、それをより尖鋭化し、強行しているだけだということがわかる。
  したがってそれに対抗するには、既成の枠組みを超えた大きな政治勢力の結集がどうしても必要となる。そしてそのためには、思考の枠組み(パラダイム)の根底からの転換が求められる。
  つまり、私たちが直面している国民的、さらには人類史的な現実を見据え、将来を見通した世界観・文明観に立って、長期的な政治課題と、当面の政治課題を明示し、それへの取り組みの方針をかかげた新しい統一的な政治勢力の出現が、いま何よりも求められているということである。
  突然、降ってわいた総選挙を前に、何を迂遠なことを、と思われるに違いない。しかし戦後69年、いわゆる55年体制からも59年、カキの殻のようにこの列島に蔽いかぶさった政治・教育体制をくつがえすには、それ以外に王道は考えられない。
  沖縄人(ウチナーンチュ)のアイデンティティーを求めて、既成の〈保守対革新〉の枠組みを突き破った沖縄知事選が示唆しているのも、そのことではないだろうか。そして沖縄の人々は衆院選でもその知事選でつかみ取った道を進もうとしている。
  ちなみに、私が考えている政治課題は、(A)原発問題を含む地球環境問題、(B)少子高齢化、年金、医療等を含む福祉・社会保障問題、(C)非軍事による安全保障問題、である。
  この3つを包括的にとらえた新しい政治理論・政策論を共有する政治勢力の登場を期待するのは、白昼夢に過ぎないだろうか。                    (11月24日記)


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