梅田正己/編集者/「歴史」を消したい安倍政権 2015/06/23
いま日光東照宮の国宝・陽明門が修復中だという。その作業の一端を先日テレビで見た。平成25年から始めて31年まで、実に6年がかりの大事業だ。
なぜそんなにかかるのかというと、天然の岩絵具による彩色を中心とする30を超す工程を、4百年前の創建時の工法どおりにやるからだ。明治初期の修復時に作られた精細な図面が残っており、それに従ってやっているのだという。
歴史が深く刻まれた国宝を保存することがどんなに大変か、改めて知らされた。
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では、同じコクホウでも、国法はどうだろうか。
第一次安倍晋三内閣は平成18年9月に発足、わずか1年で退陣したが、その間に重大な法の改変を行った。
18年12月の教育基本法「改正」である。
どう「改正」したのか?
教育基本法は、昭和22年3月末、日本国憲法の施行を1カ月後にひかえて制定・公布された。
この基本法の第一の特徴は、憲法と同様「前文」が付けられていたことである。こういう「前文」だった。
――「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」
この基本法が、新憲法と固く結びついた、いわば憲法とセットだったことがよくわかる。
また新憲法の制定が、日本国民の世界に向けての「決意表明」だったこともわかる。
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ではこの「前文」冒頭部分が、安倍政権によってどう「改正」されたか。
――「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。」
まず文章の調子が、原文のピンと張った文体から、力感が抜け落ち、だらだらと長い、弛緩した文章に変わった。
内容的には「憲法」が消えた。
したがって、この基本法が新憲法とセットであることも、また日本国民が憲法に込めた「決意」も消されてしまった。
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では、どうして基本法と憲法との緊密な関係を消してしまったのだろうか。
予想される理由は、憲法の制定からもう60年もたったのだから、ということだろう。「決意を示した」といっても、大昔のことではないか、時代の推移に応じて条文を変えるのは当然、というのだろう。
しかし、あらゆる文物と同様、法律も歴史的産物である。無風状態の中で漫然と制定された法律などはない。一定の歴史的状況の中で、支配者側からにしろ、被支配者側からにしろ、必要があり、必然性があって、法律は制定されるのである。
したがって、法律にはすべて「歴史」が刻まれている。中でも憲法と教育基本法には、大日本帝国の崩壊した廃墟の中から立ち上がった新生日本のめざす方向と決意が明瞭に込められていた。
それなのに、安倍政権は基本法の「前文」冒頭部分から、基本法を生みだした土壌ともいうべき憲法を消し去ってしまった。
なぜか?
安倍政権は、憲法自体を変改しようと考えていたからである。現憲法から、そこに刻まれた「歴史」を消し去るつもりだったからである。
その意志は今も変わらない。目下のところ「解釈」によって実質的改憲をはかっているが、目標は明文改憲による、現行憲法の換骨奪胎である。その証拠に自民党が発表している改憲草案の前文も、こう書き出されている。
――「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって……」
私のいう現行憲法に刻まれた「歴史」は、跡形もない。 (了)