梅田正己/編集者/読売は民主主義に敵対するのか 2015/09/01

              読売は民主主義に敵対するのか

                              梅田  正己 (編集者)

 2015年8月30日の安保法案に反対する大民衆行動を、朝日と毎日は、1面の左半分と社会面のあらかたを使って報道した。
  東京新聞は、1、2、3面と社会面、最終面の全部を使って報道した。

 3紙の1面の見出しはいずれも当日の行動が画期的だったことを伝えていた。
  「安保法案反対 最大デモ――国会前に集結 全国各地でも」(朝日)
  「安保法案 反対の波――全国300カ所で集会・デモ」(毎日)
  「届かぬ民意 危機感結集――8・30安保法案反対、全国300カ所で」(東京)

 では、読売はどうだったか。
  1面にも2、3面にも、社会面にも記事はなかった。
  やっと第二社会面に記事を見つけた。写真2枚と35行の記事だった。しかも見出しは上の3紙とは質的に違っていた。
  「安保法案『反対』『賛成』デモ――土日の国会周辺や新宿」
  そして写真も、30日の国会前の集会の写真の下に、29日の新宿での「安保賛成」デモの2枚が掲載されていたのだった。
  記事もまた、反対デモに参加した女性の声のあとに、土曜の新宿の賛成派のデモに参加した女性の話――「法案の中身を正しく知らないで反対している人が多い。今のままでは国を十分に守れない」というのが活字にされていた。

 記事は、国会周辺のデモ参加者は、「主催者発表で12万人」と伝え、一方、新宿区内のデモは「主催者発表で500人」と伝えている。
  12万人と5百人。240対1を、読売記事はほぼ対等にあつかっているのである。これを「公平の原則」というのだろうか。
  日経もまた、社会面の左端、中ほどに、写真と32行の記事ですましていた。さすがに「賛成」派の記事は載せていなかった。

 報道の社会的役割と責任の第一は、事件・事態の生起した事実そのものを伝えることである。それをどう伝えるかが第二の仕事となるが、とにかく事実が起こったことを伝えないことには何も始まらない。
  したがって、目の前で重大な事態が生じていることが分かっているのに、それを報じないということは、報道機関としての任務と責任を放棄したことにほかならない。

 大行動の翌31日のテレビ朝日・報道ステーションは、ドイツの公共放送もイギリスのBBCも30日の大民衆行動を大きく報じたことを伝えた。
  続くTBSのニュース23は、韓国の全国紙各紙がやはり大きく報道したことを伝えた。アメリカの通信社も伝えていた。

 今回の読売と日経の記事のあつかいは、事態そのものの重大さから見て、ほとんど「黙殺」したに等しい。
  読売は国内随一の購読部数を誇る。購読している世帯のほとんどは読売1紙だけしか購読していないはずである。したがって、読売だけからニュースを得ている人のほとんどは、国内の各紙はもとより、海外のメディアさえこれほど大きく報道した事実を知らぬまま終わったのではないか。

 国内各紙と海外メディアが、今回の大民衆行動を画期的な事態として報道したのは、それが日本の民主主義と平和主義の民衆的基盤が幅広く存在することを証明して見せたからにほかならない。
  つまり、日本の民主主義が健在であることを、目の当たりに示したからにほかならない。

 しかし、読売は(また日経も)この歴史的ともいえる事実をほとんど「黙殺」した。とくに一般紙である読売は、いまや日本の民衆行動に敵対するメディアであることを、公然と示したと言わざるを得ない。
  つまり、民主主義に敵対する新聞ということである。(2015年9月1日記)

 


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