岩崎貞明/放送レポート編集長/NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」 /07/02/15  

 


07年2月10日放送 NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」

放送レポート編集長 岩崎 貞明

 日本国憲法施行60年を迎え、一方で憲法改正が声高に叫ばれるようになってきたこ
の時期に、日本国憲法の出自を丁寧に明らかにしながらその歴史的意味を問い直す好
番組が放送された。現行の日本国憲法はアメリカの押し付けだ、という定説は改憲派
の論拠のひとつになっている。たしかに、GHQ草案をベースに現在の日本国憲法の
原案(大日本帝国憲法の改正案)が日本政府によって作られたことは歴史的事実では
あるが、番組はそのGHQ草案の1ヶ月以上前にすでに日本の民間人による独自の憲
法草案が存在し、その草案が逆にGHQ草案にも影響を与えた可能性を指摘した。

 それは有識者7人が1945年11月に結成した「憲法研究会」による草案で、主権在民
や平和主義、表現の自由、男女平等などをうたっていた。7人の顔ぶれは高野岩三
郎、森戸辰男、杉森孝次郎、馬場恒吾、鈴木安蔵、室伏高信、岩淵辰雄という、当時
の進歩的な学者、評論家、ジャーナリストらで、いずれも戦時中は治安維持法違反な
どで逮捕・収監され、または職場から追放されるなど、塗炭の苦しみを味わった人々
だ。

 敗戦後、GHQの指導により日本政府も「憲法問題調査委員会」(松本烝治委員
長)を設置するが、日本政府にはもとより帝国憲法を改正する意図は毛頭なかった。
とくに天皇の権限を縮小もしくは削除するような改定はおよそ慮外のことだったよう
だ。その一方、この「憲法研究会」のメンバーは、天皇制廃止も議論の俎上に載せな
がら、天皇の統治権を廃止し、「国家的儀礼を司る」という、現在の象徴天皇制に近
い制度を打ち出していく。

番組は、このような憲法草案が生まれた背景を掘り下げるために、研究会のメン
バーで唯一の憲法学者だった鈴木安蔵にスポットを当てる。鈴木は戦前から帝国憲法の
歴史的研究を手がけ、大正デモクラシー期の思想家、吉野作造の示唆などを受けて
明治期 の自由民権運動に目をむけ、帝国憲法制定当時の議論の中から高知出身の
植木枝盛による 「日本憲法」を再発見する。そこにはすでに「主権は日本全民に属す」
と、国民主権の 思想が打ち出されていた。

 番組はスタジオで古関彰一・獨協大学教授が、森田美由紀アナウンサーを聞き手に
解説する。
古関教授がもっとも強調した点は、いまの日本国憲法の精神が自由民権運動の伝統とつ
ながっていること

、さらにその源流はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言にあり、民主主義、自由と
平等という普遍的な価値観の系譜にあることだった。
 GHQはこの憲法草案を入手してすぐに英訳し、その内容がすぐれて民主的で
「受け入れられる」ものであることを確認する。その後、マッカーサーノートが出され、
GHQ民政局が徹夜を重ねて日本国憲法のGHQ草案を作ったというのが歴史の流れだ。

 番組は最後に、研究会のメンバーだった森戸辰男が国会議員となり、政府が提出し
た帝国憲法改正案に対して「生存権」を盛り込む修正案を示し、その修正などを可決
して成立したエピソードを紹介する。ここでも、日本国憲法がアメリカのいいなりに
作られたのではなく、日本人の智恵が織り込まれていることが指摘され、さらにこの
森戸修正がかつてのドイツのワイマール憲法を踏まえたものであったことも紹介され
る。

 日本国憲法が、歴史的・国際的な「正統性」のもとに生まれた、人類の英知の結晶
とも言うべき存在であることが強く印象付けられる番組だ。再現映像なども交えて当
時の議論のようすを丁寧に描写しながら、全体として抑制の効いた控えめな演出の番
組だから、「人類の普遍的価値を体現した日本国憲法が、一時の政治的な思惑で安易
に改変されていいのか」という番組制作者の叫びが聞こえてくるようだ、と評しては
言い過ぎかもしれない。しかし、この番組が指摘する事実を踏まえずして、憲法改正
論議は成り立たないと言いたくなるほど、深い内容をもった番組だったと評価した
い。(了)