岩崎貞明/放送レポート編集長/「ミサイル」か「ロケット」か/09/04/21
「ミサイル」か「ロケット」か
放送レポート編集長 岩崎 貞明
2009年4月5日(日)午前11時32分、政府は「北朝鮮から飛翔体が発射された模様」と発表、これを受けてNHKと民放キー各局はそれぞれ、通常番組からニュースに切り
替えるなどして速報体制を取った。〈NHKとフジテレビは番組を中断し、ニュース特番に切り替えた。TBSと日本テレビは放送中のニュース番組で伝えた後、通常の番組の一部を変更し、河村官房長官の会見を中心に伝えた。テレビ朝日も放送中の番組内で一方を伝え、その後「L字画面」に切り換えて報じた。テレビ東京は番組の内容、編成は変えず、速報スーパーで伝えた〉(『新聞協会報』4月14日付)ということだ。また、新聞各紙も号外を発行するなどして、いち早く速報を伝えていた。
ところで、これらほとんどすべての報道における表現が「ミサイル発射」となっていたことに、気を留めた方はどのくらいおられるだろうか。たとえば朝日新聞の号外の大見出しは「北朝鮮ミサイル発射」、サブの見出しが「衛星名目、日本上空越える」となっていた。最初の段階では日本政府も「飛翔体」と発表していたはずで、北朝鮮は「衛星打ち上げ」だと表明していた(この号外の本記には「飛翔体」という政府発表も言及しているし、北朝鮮側の表明もリード部分で記述されている)。
この段階で、明らかに「攻撃用兵器」であることを意味する「ミサイル」だと断定的に表現できる根拠はどこにあるのか、この号外の記事には明確な説明が見当たらなかった。他のメディア(新聞・テレビ)もだいたい「ミサイル」だ、と断定した表現をとっていたが、「ロケット」と表記していたのは、筆者の目についたところでは『しんぶん赤旗』と英字紙の『JAPAN TIMES』くらいだった。
ところが、海外のメディア、外電の類は逆にほとんどすべてが「ロケット」という表記であり、韓国の報道でも「ミサイル」の表記は使用していなかったという。そして、4月13日に出された、国連安全保障理事会が北朝鮮を非難した議長声明でも、表現は「the recent rocket launch」(最近のロケット発射)となっていた(国連のサイトにあるニュースリリースより)。
ちなみに、外務省が国会に出したこの議長声明の仮訳では「rocket」が「ミサイル」と翻訳されていて、ある国会議員が「不正確な訳ではないか」と指摘したところ、外務省の担当者は「日本の政府見解が『ミサイル』だからこれで問題ない」と言い張ったそうだ。
北朝鮮側が主張するとおり、仮にあの発射が衛星打ち上げを目的としたロケット発射だったとしても、軍事目的にすぐ転用可能な技術開発には違いないから、表現が「ミサイル」だろうと「ロケット」だろうと大した問題ではない、という見方もあるだろう。
今回、人工衛星が地球周回軌道上に新たに投入された形跡はないそうだが、発射された物体は落下して、日本海や太平洋の海底に沈没してしまったから、本当のところは衛星打ち上げだったのかミサイル発射だったのか確認することもちょっとできない(本当に衛星打ち上げだったとしたら、それは「失敗」だったということになる)。
「ロケット」か「ミサイル」かどちらがより「正確」な表現なのか、判断を下すことは現時点では確かに難しいだろう。しかし、気をつけておきたいのは、好むと好まざるとにかかわらず、メディアの用語の選択が自らの立場を明らかにしてしまうという厳然たる事実だ。ある全国紙では、表記について編集局内で議論した結果、「ロケットという表記では平和利用のニュアンスが強いため、ミサイルという表記でいく」ことを確認したという。
つまり、日本のメディアは一方的に北朝鮮の宇宙開発が軍事目的だと決めつけているわけで、これでは、例えば日本の「H2ロケット」の打ち上げが「ミサイル発射」と他国に報道されても、あまり文句が言えないことになってしまうのではないだろうか。
いくら日本のマスメディアが「公平・中立な報道」(そういうものが本当に実現可能
なのかどうか疑わしいが)を標榜していたとしても、「ミサイル」と表現したとたん、それは日本政府と立場を同じくする、ということを表明していることを意味する。そしてそれは、世界各国のメディアとは明らかに立場を異にしていることになる。日本のマスメディアに、その自覚はあるのだろうか。どういう理由で「ミサイル」と表現したのか、メディアは読者・視聴者に丁寧な説明が必要なのではないだろうか。
結果的に打ち上げの前日となった4月4日(土)昼ごろ、日本政府は「北朝鮮が飛翔体を発射」と速報したが、これはすぐに誤報であることがわかった。この誤情報の発表に際して、テレビ東京以外の民放各局は放送中の番組を報道特番に切り替え、NHKも昼のニュースを急きょ拡大して特番体制に突入した。
やがて政府の発表が誤報だとわかり、その後の続報もほとんどないために、各局は通常番組に順次復帰していったが、なぜ政府から誤情報が出されたのか(事実誤認がそのまま速報されてしまったのか)、そしてなぜそれが無批判に、そのままメディアによって報道されてしまったのか、十分な検証がなされているとは到底言えない。
一連の発射騒動の経緯を振り返ってみると、「迎撃用」のPAC3(地対空誘導弾パトリオット3)の配備のようすなども含めて、この間のマスメディアはほとんど政府発表の垂れ流し報道に終始していたと言わざるを得ない。まさに壮大な「防空大演習」を、メディアも自らこぞって参加して盛り上げたような格好だ。泉下の桐生悠々も苦笑しているか、それともあまりに政府に無批判なメディアに怒り心頭といったところかもしれない。
北朝鮮の「核の脅威」よりも、一大事となるとまるで政府のいいなりに洪水のような報道合戦を繰り広げてしまう日本のマスメディアのほうが、日本国民にとっては恐ろしい災厄を招くことになってしまうのではないか、という気がしてならない。すべてのメディアは、改めて冷静にこの「発射騒動」を検証報道すべきだと思う。そこには、あえて必要以上に大騒ぎをして北朝鮮の恐怖をあおり、新たな「国会総動員体制」を作り上げようとする政府・与党の思惑が見え隠れしている。
検証に際しては、日本政府の動き(とくに防衛省関係)の追跡はもちろん、メディア各社がこの問題に対してどういう体制・スタンスをとって報道に当たったかについても、可能な限り読者・視聴者に自ら明らかにするような姿勢で臨んでもらいたい。
一方で、北朝鮮は、自国が脅威であるように過剰に演出することが国際社会、とくに対日関係において外交上有利なポジションを得られることになるわけだから、勝手に北朝鮮の恐怖を増大させて大騒ぎしてくれることは、彼らにとってむしろ好都合だろう。
つまり、日本国内で北朝鮮の脅威をやたらに強調している人々は、日本の国益より北朝鮮の国益に利する行為を自らとっていることになる。こういう輩こそ「売国奴」という呼称がふさわしい、と言ったら失礼に過ぎるだろうか。
私たち一般の読者・視聴者も、マスメディアの表現、言葉の選び方一つひとつにもっと神経を尖らせなければならない。その用語の選択にどういう意図が隠されているのか、それとも無意識のうちに不用意に特定の用語を選択してしまっているのかを見抜く目を養う必要がある、ということだ。それこそがまさに「メディア・リテラシー」を身につける、ということではないだろうか。(了)